サドンデスー異説信長・桶狭間の戦いー
手塚エマ
第一章 異《い》
第一話
「僕、今度、織田信長を書いてみたいと思ってるんです」
「織田信長ですか?」
案の定、
ライトノベル作家の森崎の、新しい担当編集者だ。メールや電話で、引き継ぎは済んでいる。
十代後半で単行本デビューした森崎のキャリアは十年近い。
数冊連作しているヒット作もあり、新作も定期的に出している。
売れ行きはといえば、可もなく不可もなくといったところだ。
それでも昨日までは中高生だった彼等が次から次へと作家になり、先生と呼ばれるご時世で、本を出してもらえるだけでも、ありがたいと思っている。
「それは……、こう。なんて言うのか。ライト文芸的な感じに、ですか?」
早乙女は口元に手をやり、言葉を選び、こちらに探りを入れている。
顔つきといい、語調といい、それは困ると語っていた。
通常、よほどの大御所でもない限り、作家と編集者はメールか電話でしか話をしない。プロットの打ち合わせもそうだった。
初稿を上げてからの改稿の相談も。
森崎は、言外に面倒くさいと嫌がる早乙女に懇願し、今日という日を設けてもらった。
初顔合わせの印象は、思っていたより優しげで中性的だ。
年齢は三十三歳。七歳年上という事か。
夜の十九時三十分。
待ち合わせた場所で名刺を交わし、手土産を交わし合う。初対面の儀礼も終えている。
早乙女は陰鬱に黙り込み、手酌で冷酒を御猪口に注いだ。
「あっ、すみません。気が利かなくて」
「いえ、いいんです。先生はお酒、お強いですか?」
「そうですね。強いです」
「わりと、はっきり言うんですね」
黒縁の細い眼鏡の向こうで早乙女が、ようやく目元を和らげた。
早乙女はといえば、あまり強くはなさそうだ。御猪口を二杯空けただけで、耳が赤くなっている。
徳利を持った早乙女に促され、森崎は空になった御猪口を差し出した。
初夏らしいストレッチ素材の白いジャケット。黒いストライプのシャツ。黒のボタン。ストレートのブラックジーンズ。ブラックのスニーカー。
中肉中背の体型と、さらさらした黒髪によくマッチしていて似合っている。
すっきりとした顔立ちで、カジュアルな服装だからなのか、二十代に見えなくもない。
眼鏡と時計をコレクションしていそうなタイプだと、想像する。
「先生の場合、主に十代が読者層ですからね。漢字だらけの歴史ものというと、転生や召喚ファンタジーで書いても、なかなかですね。食いつきが……」
カウンターに頬杖をつき、空の御猪口を手慰みにいじりながら、ひとりごとめいた口調で説得にかかっている。
森崎は今、なるほどなぁと気がついた。
店選びは彼に任せていたのだが、男が横並びに並んでも、酔っぱらっても気にせずいられる店だった。
森崎も、早乙女と毎回会おうなどとは、思っていない。
前の担当者とは長いつきあいだったのだが、一度も会った事はない。
ただ、早乙女の次回作についての尖ったメールの文面や、ビジネスライク全開の電話対応。毎回毎回気に食わない。
どんな奴だと顔が知りたくなったのだ。
「信長は、もう書き尽くされた感もありますし。先生のファン層は十代前半の女の子達ですからね。……信長っていうのは」
じりじりと、ボツ方向に追い込みをかける早乙女が薄く笑う。
「……っていうか、ラノベは卒業して、純文学に転向とかですか?」
早乙女はメールでも電話でも高圧的。上からものを言われている。
そんな気分にさせるダメ出しと、電話の声音。どんな奴かと思ったら、こんな奴。
だが、既に初稿は書き上げた。
早乙女の承諾が得られれば、すぐにでも打ち合わせができるように準備した。なぜだか無性に気が急いた。冒頭の一文は、『信長様はキツネ憑き』。
信長様はキツネ憑き。
お気の毒にも、
重臣のみならず、城に出入りする業者にまで、噂はさざ波のように広がった。
信長は、尾張藩国主を父に持ち、正妻腹の第一子として生まれた男児だ。
跡継ぎに向けられた父の期待は尋常ではなく、幼少期から帝王教育が
養育したのは兵学は基より、和歌や茶道に通じた粋人、
織田一族は美貌で知られた家系だが、瓜実顔の信長も、ほっそりとして秀麗な面立ちだ。
深く切れ込んだ眦と、少年らしい一文字の眉。
教養と礼節に裏づけられた輝きを放つ漆黒の瞳。鼻筋の通った高い鼻梁。
紅をさしているような、薄く紅い唇が織りなす容姿は、どんな美女より美しいと称賛され、男女を問わず魅了した。
今はそれが、かつての話になりつつある。
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