風紀委員長はラブコメをしない/副委員長はラブコメがしたい

ああああ/茂樹 修

第1話

【獅子身中の虫】

①組織の内部にありながら、災いをもたらす者や裏切り者。

②風紀委員会副委員長、天宮四季のこと。






 桜舞う放課後の校庭に、赤ら顔の少女が佇む。一年前と変わらない春の匂いは、自然と彼女を思い出へと浸らせた。


 きっかけは、本当に些細な事だった。


 高校入学と同時に買ったローファーで靴擦れしたから、足を痛めて近くのベンチに腰を掛けて。知り合いもいない地元から離れたこの場所で、頼れる相手なんかいなくて。


 そんな時、声をかけてくれたのが高山君だった。これ使いなよと差し出してくれたハンカチは、まだポケットの中にあって。


 彼女は決心していた。このハンカチと一緒にこの秘めた思いをあなたに――。


「高山なら来ないぞ」


 が、それを許さない男がいた。


「なっ、貴方は!」


 背は高く顔も良い、おまけに眼鏡が似合っている……本来なら学校中が色めき立ってもおかしくはないその男は、今や学校中の嫌われ者だ。


「風紀委員長、氷川玲司!」

「クックック……貴様のラブレターに浮かれて鼻の下を伸ばす高山の顔は見物だったぞ」


 氷川玲司。奇しくも憤怒の英単語と同音の名前を持つ男は、右手の中指で眼鏡を直すと悪役顔負けの高笑いを上げた。


「残念だったな桜井……俺の目の黒いうちはラブコメなど絶対に認めん、大人しく風紀委員室まで来てもらおうか」


 桜井と呼ばれた少女は身構えた。風紀委員室に一緒に入った男女は永遠に結ばれない――この伝説は最早常識、高山と結ばれるためには自分だけでも逃げないと。


「連れて行くつもり? でも残念、貴方が私に触ろうものならセクハラだって叫ぶから」


 高山は持てる武器を、女性という盾を最大限に活用した。


 ――男の氷川が自分を連行出来る訳がない、ここで逃げ切ればまだ高山くんと。


 桜井はそんな生ぬるい事を考えてしまったのだ。


「桜井、成績の割には随分と頭が悪いようだな」

「な、なによ」


 氷川玲司は用意周到な男であった。前日に時間割を確認して鞄に教材を詰め、ハンカチは常に二枚持ち歩き、雨が降らなくとも鞄の中には折り畳み傘を常備する。


 そんな彼が女子生徒を捕まえるのに無策である筈もない。


「四季、そこの女を取り押さえろ」


 彼は右腕を振り下ろす。すると突如背後から現れた小柄な女子生徒が、桜井の腕を締め上げた。


「なっ!?」


 驚き振り返ってももう遅い。桜井の瞳に映るのは自由の利かない自分の腕と、学年一の美少女の姿だけだった。


「動かないで下さい。抵抗するならへし折ります」


 天宮四季。身長一五〇センチにも満たない彼女を美しいと思わない者はいないだろう。腰まで伸びた白い髪に、ルビーのように赤い瞳。そして人形を思わせる細く伸びた華奢な体は、見る物全てに愛でたいと思わせるだけの魅力があった。


「そんなこと」

「私は合気道五段です」


 四季が真顔で桜井を脅す。小柄で愛らしい彼女ではあったが、その対策として武術も身につけていた。


「くっ!」


 歯軋りをして玲司を睨む桜井。ちなみに玲司の体育の成績は五段階評定の二なので、桜井が突進すれば普通に逃げられた。


「よくやったぞ四季……いや副委員長と呼ばせてもらおうか」

「全ては玲司くん……いいえ、風紀委員長の理想のために」


 仰々しく両手を広げる玲司に、恭しく頭を下げる四季。


「ああそうだ、晴れて風紀委員長になったこの俺が!」


 ネクタイを締め直し、玲司は嗤った。風紀委員長という権力に、四季という最強の右腕。


 彼の野望を阻むものは……まぁたくさんあるが。


「全てのラブコメを……殲滅する!」


 戦え玲司、負けるな玲司!


 学校から全てのラブコメを殲滅するその時まで!


 ……だが最大の敵は思ったより近くにいるぞ!

 





 桜井を風紀委員室にぶち込んですぐに、二人は生徒会室へと向かった。今日の議題はもちろん。


「最近の風紀委員はやり過ぎだと思う人」


 生徒会長宝月ひかりが頬杖をつきながらそう尋ねれば、生徒会の役員達が一斉に挙手をした。最近の風紀委員の行動はそれなりに問題になっていた。


「思わない人」


 沈黙。話題の当人達も手を上げようとはしない。その様子を見た生徒会長は心底嫌そうにため息をついた。


「風紀委員が手を上げないのはどういう了見かしら?」

「やだなぁ生徒会長、我々の意見はこうです」


 不機嫌な会長とは違い、玲司はご機嫌に芝居がかった言葉を返す。


「ぬるい」


 だがその一言は気怠げな生徒会室の空気を一変させた。


「全てのラブコメの殲滅……それが俺達風紀委員の掲げるスローガンです」


 玲司は両手を広げながら、わざとらしく首を振る。


「ですが現状はどうですか? 飛び交うラブレターに愛の告白、学生の本分たる勉学なんてどこ吹く風です」

「別にそれぐらいは」


 生徒会長がそう答えれば、玲司は確信する。獲物が餌に食い付いた、と。


「四季、資料を」


 そして右手を小さく上げて、四季に用意していた資料を全員に配らせた。


「資料の一枚目を見てください。これがここ五年間の校内ラブコメ率と我が校の偏差値……そして入学希望者数の推移です」

「……反比例しているわね」


 生徒会長は資料に書かれたグラフを見て、歯痒そうに呟いた。


「その通りです。ラブコメに現を抜かす連中が増える程成績が下がり、偏差値に反映された結果新入生が減る……何もおかしくはないですよね」

「それは」


 都合の良い数字を選んで作られた詐欺のような資料だったが、それでも生徒会長はこのグラフと風紀委員の主張を信じてしまった。


「俺はですね、別に恋愛そのものがいけないなんて考えてはいませんよ」


 さらに玲司は口籠る生徒会長に逃げ道を用意した。そもそも風紀委員は恋愛そのものを取り締まる訳ではないと。

 

「えっ」


 なお四季は初めて知った。


「どうした四季」

「いえ、なんでもありません」


 口元を四季が拭うが、その理由を玲司は知る由も無かった。


「俺の両親だって恋愛結婚です、恋愛そのものを否定はしませんよ。ですが次のページをご覧下さい」


 役員達がページを捲れば、今度は大きな円グラフが目に入った。


「高校生カップルの結婚率……8%!?」


 内容は『100組の夫婦にアンケート! あなた達はどこで知り合いましたか?』だ。


 8%という数字は妥当ではある。後ろで話を聞いていた生徒会の顧問も『まぁこれぐらいだよな』という顔をしている。


 それでも現在進行形の高校生達には衝撃的だった……それは今付き合っている高校生の92%が別れるという意味でもあるのだから。


「そうです、世の夫婦100組のうち高校から交際していたのはたったの8組……そのうちの5組に至っては」

「出来ちゃったって奴ね」

「ちなみに我が校で『そういう』生徒は存在しません。既に教師陣には確認済みです」


 後ろの生徒会の顧問が黙って頷く。


「つまりですね、今の恋愛が将来に役立つ生徒なんて3%しか存在しないんですよ。それをさも青春だとか一生の思い出だとか、耳障りの良い言葉で虚飾するから駄目なんです」


 玲司は常々思っていた、この世界はあまりにも恋愛史上主義であると。町中には今日も今日とて、ラブコメ作品が溢れているから。


「取り締まり? いいえ違います……我々は守っているんですよ」


 だが彼は知っているのだ、お話は珍しいからお話足りうるのだと。


「97%の生徒達を、人生における無駄からね」


 玲司が笑顔を向ければ、役員達がどよめいた。


「改めて問いましょう。我々風紀委員の活動は『まだ易しい』と思う方は挙手を」


 その一言に過半数以上の役員達が手を挙げた。


 何故か。恋人がいないからである。


「……質問をすり替えないで」

「議事録には残して下さいよ? まだ本題がありますから」


 恋人はいないが手を挙げなかった宝月会長は悔しそうに呟くが、玲司の思惑通り今のやり取りは議事録に記録されていた。


「さて、早速ですが風紀委員は提案します」


 そして玲司は用意していた次の一手を躊躇なく打った。


「校外での不純異性交遊の取締り強化の承認と……それに関わる風紀委員会の予算の増額に」


 ラブコメ殲滅に向けた、次の過激な作戦の行方は。


「賛成の方は、挙手を」







 生徒会役員との協議から二日後の日曜日、玲司は朝から駅前の待ち合わせスポットで四季と電話をしていた。


『流石に提案は却下されましたか。すみません、資料が至らぬばかりに』


 協議の結果、風紀委員会の提案は認められなかった。校外でも風紀委員が取り締まるなど、過激すぎて当然の結果ではある。


「気にするな、それに狙い通りでもある」


 だがそれも玲司の策略の範疇だ。


『提案が却下されたのに、ですか?』

「確かに却下はされたさ。だがこれから連中は『校外での取締り強化の是非』について議論するだろうな。『風紀委員の活動が過激かどうか』という議題を忘れて」


 玲司のスマホから四季の感嘆のため息が漏れ聞こえる。


『流石です玲司くん。私はまだあなたの理解者ではなかったようですね』

「四季は十分俺の理解者さ。今日だって悪いな、日曜日なのに付き合わせて」

『構いません、校外活動での実績が必要なんですよね?』


 玲司は目の前に相手がいないのに、つい小さく頷いた。今日の目的は校外での取締り強化の必要性をアピールするため、どれだけの生徒達がラブコメしているかの調査である。


 そう、調査である。例え昨日の晩から服装に悩み、いつもの髪型ではお堅すぎるから少し崩した方がカジュアルだろうかと思い悩んで、約束の一時間前からここに立っていたとしても……これは氷川玲司の中では、れっきとした調査だった。


「流石に風紀委員室に連行は出来ないがな。まずは郊外でラブコメしてるら生徒がどれだけいるかの調査から」

「着きました、玲司くん」


 と、電話ではなく目の前から四季の声が聞こえてきた。


「ああ、おそかっ――」


 玲司は顔を上げた瞬間、言葉を失った。


 一応変装のつもりなのか、大きな黒縁眼鏡をかけて、髪はまとめ上げている。頭には遠慮がちに小さなベレー帽が乗せられ、ベージュのタートルネックのニットと汚れ一つない白のロングスカート。


「玲司くん、具合が悪いんですか?」

「いや、何でもない……何でもないぞ四季!」


 顔を背ける玲司は必死で四季と距離を取る。清楚さを残しつつも気取りすぎないそのコーディネートは、有体に言えばどストライクだったのだから。


「ただちょっと君が」

「私が?」


 ラブコメNGワード『可愛すぎる』を言おうとした自分の口を、玲司は右手で何度も叩いた。


 これは調査だと玲司は自分に言い聞かせ、なんとか平静を取り戻す。


「まずはゲームセンターの調査だったな」

「私に何かか至らない所でも……服装、変ですか?」


 玲司は本来の目的を口にするが、四季は不安そうに彼の瞳を覗き込むだけだった。その仕草がまた庇護欲を唆るものだったせいで、玲司の平静さはどこかへと吹き飛んでしまう。


「至らないのは……」


 彼は自分の至らなさを噛みしめながらも心の中で叫んだ、叫ばずにはいられなかった。


 ――俺の副委員長が可愛すぎる!


「行くぞ四季!」


 だが口に出してないからセーフ! と無理やり自分を納得させた玲司は、ゲームセンターまで逃げるように駆け出した。




 駅から徒歩五分のゲームセンターは、休日らしく若者で賑わっていた。


「四季、我が校の生徒はいるか?」

「はい、ですが同性のグループばかりですね」

「なるほど、健全だな」


 二人は両替機の陰に隠れ、店内の様子を伺っている。


「ですがあちらの方は……」


 だがどうしても目が届かない場所があった。


「プリントシール機か」


 玲司は眼鏡を直しながら、人で賑わう一角を睨んだ。ご丁寧に『男性のみは入場禁止』との貼り紙がある。


「ええ、適当な理由をつけて男女が密着でき、さらに目隠しまである……まさしくラブコメホイホイです」

「ラブコメホイホイ」


 語呂の良さに思わず感心する玲司。


「しかしあそこを俺が見回るのは」

「簡単です玲司くん。カップルのフリをしましょう」

「えっ!?」


 真顔の四季の提案に、玲司は思わず素っ頓狂な声を上げる。


「プリントシール機は機種ごとに違いがありますから。どれにしようかと選んでるカップルなら少しくらい覗いても不自然ではありません」

「く、詳しいな」

「はい、事前に調査をしておきました」


 流石四季は頼りになるなぁ、なんて考えている玲司の前に、四季は表情を崩さず左手を差し出す。


「では玲司くん、お願いします」

「え、手?」


 玲司は思わず四季の手を二度見する。触れれば壊れてしまいそうな、細く伸びた白い指先。自分如きが触れていいのかと思わずにはいられない、妖精のような美しい手に。


「中を覗くくらい不躾な連中のフリをするんです。バカップルぐらいが丁度良いかと」


 ダメ押しに四季が笑いかければ、玲司はあっけなく白旗を上げた。これは調査だから断じてラブコメではないと、何度も自分に言い聞かせて。


「実績、必要ですよね?」


 妖精の左手に、無骨な玲司の右手が触れる。少しだけ失った体温と柔らかな肌の感触に赤面すれば。


 捕らえたと言わんばかりに、妖精が一瞬で指を絡め取り、いわゆる恋人繋ぎを完成させた。


「あっ、いや、その」

「さぁ、どれにしますか玲司くん」


 奇しくも彼女の言った通り、側から見ればそれは『バカップル』の所業であった。






「流石に疲れたな……」


 その後の予定も苛烈を極めた。二人で近くのイタリア料理屋で昼食を取り、駅ビルを巡り洋服と雑貨を見て回る。お次は少し離れた公園を散策して、駅前まで戻り今はチェーンのカフェで休憩。


 カウンター席に腰を下ろし、コーヒーを飲みながら玲司は思った。


 ――これただのデートでは?


「ですがその成果はあったかと」

「そ、そうだな。デート中の在校生が五組か……やはり弛んでるな」


 隣に座る四季の言葉に玲司は無理やり頷く。


「同意します。やはり春の陽気のせいでしょう」


 抹茶クリームフラペチーノを啜りながら、四季が無表情で首を縦に振る。


「全く、学生なら学生らしく図書館で勉強していれば良いものを……」


 天井を見上げながら、玲司は無意識でそう呟いた。


「そうですね、来週は図書館も調査しましょう」

「えっ」

「風紀委員たるもの成績が優秀で無ければ示しがつきません。勉強も出来て一石二鳥です」


 玲司は思わず四季の表情を盗み見た。そこには相変わらず真顔の副委員長の姿があって。


 ――弛んでるぞ氷川玲司、春の陽気にやられたか。四季は風紀委員の活動として提案してくれているのに、委員長たる自分がラブコメ脳とは何事か。


 コーヒーを多めに飲み込み、気合を注入する玲司。


「そうだな、来週は図書館の調査だ」

「近くに複合スポーツ施設がありますね、遊び放題なので学生に人気です」

「そこも調査だ」

「他には大きな運動公園もあります。自然が豊かでカップルに人気です……お昼はここでお弁当にしましょう。用意しておきます」

「なるほど、食事と調査が同時に出来るとは効率的だな」


 提案を四季が頷けば、玲司は満足そうに微笑んだ。来週のデートの予定が着々と埋められている事にも気付かずに。


「他には」

「玲司くん、静かに」


 他にはどこを巡るべきか、という言葉は四季に遮られてしまう。彼女はただ口元に人差し指を当てただけだが、その仕草が可愛すぎるので危うく玲司の心臓まで止めそうになっていた。


「桜井さんです」


 四季の視線の先を玲司が追えば、そこにはあの桜井の姿があった。


「お一人のようです……甘い物でも食べて傷ついた心を癒しに来たんでしょう」

「詳しいな」

「調査済みです」


 何の調査? とは聞かない玲司。


「流石に一人でいるだけでは……おっと」


 それよりも目の前の光景が、並々ならぬ事態に発展しそうになっていたから。


「あの、どいてください」


 桜井の前をチャラ男が遮る。近所の別の高校生か、それとも大学生か……どちらにせよ男の目的は明白だった。


「えー良いじゃん、席空いてるんだし二人でお話しようよ」

「しません」

「まぁまぁ、ここで会ったのも何かの縁ってさ」


 桜井は空いている席に逃げようとするが、日曜の夕方にそんなものは都合よく存在しない。


「見事なテンプレナンパ野郎だな」

「ですね」


 あまりにありきたりな男のセリフに、思わず呆れ果てる二人。そこで玲司は思い出した……四季と知り合ったのも、こういう状況だったなと。


「四季は……まだああいうの苦手か?」


 去年の学園祭、白髪の四季を面白がった他校の男子から助けたのがきっかけだった。


「苦手ですが、もう怖くはありません」

「上出来だ」


 玲司は立ち上がり、軽く四季の頭を撫でた。萎縮せずに呆れる彼女を頼もしく思いながら、玲司は桜井と男の間に入った。


「そこまでだ」

「何だお前、こいつの彼氏か?」


 怪訝な顔をするチャラ男に、玲司は肩をすくめて吐き捨てる。


「馬鹿を言うな、高山なんかに惚れるような奴が俺の彼女な訳ないだろ」

「じゃあ何なんだよ」


 玲司はポケットに忍ばせていた腕章をシャツの袖に括り付ける。


 そこには当然こう刻まれている。


「……風紀委員長?」


 目を細めて男が読み上げれば、玲司は満足そうに眼鏡を光らせる。


「風紀委員長の氷川玲司だ、俺の目の黒いうちはラブコメなんぞ絶対に許さん」

「はっ、何の権限があって人の恋愛を邪魔するんだよ」

「……確かに、何の権限もないんだろうな」


 玲司は自分の手をじっと見つめる。人の恋路の邪魔をすれば、馬に蹴られるなど百も承知だ。


「だがなナンパ野郎」


 だが、彼は許せなかった。


 愛だとか恋だとか、そういう甘い言葉で包み込んで。


「目の前の相手を困らせるような奴に」


 誰かを傷つけ、誰かを泣かせる。


「恋愛を語る資格なぞあるものか!」


 そんな、どこにでもある『ラブコメ』が。


 ――あの日のような思いなんて、自分だけで沢山だと。


「う、うるせぇ!」


 頭に血が上ったチャラ男が、玲司に真っ直ぐと手を伸ばした。それを玲司は華麗に。


「いたっ!」


 受け止められませんでした。


「あー折れた! あー腕、腕と足と肋骨折れた! あああ痛いい! 痛いよオオオオ!」


 そして玲司は玩具を買ってもらえない幼稚園児のように、その場でじたばたと泣き叫ぶ。


「四季、救急車を、いやその前に……警察を呼んでくれ!」


 玲司がそう命じれば、四季はスマホを操作し耳に当てる。もちろん二人とも演技である。


「な、なにもしてねぇからな俺は! 覚えておけよ!」


 だがそれはチャラ男を追い払うには十分だった。


「捨て台詞までテンプレか……」


 去っていく男を見届けると、玲司は服についた埃を払いながら勝利の余韻に浸った。


「風紀委員長、私を助けたつもりですか……?」

「馬鹿を言うな、君を助けたかった訳じゃない」


 悔しそうな桜井に対し、あくまで冷静に答える玲司。


「俺は俺の流儀に従ったま」

「二回目です、玲司くんがあなたを助けたのは」

「最後まで言わせてくれ!」


 が、途中で四季に遮られる。彼女は何より我慢できないのだ……玲司が馬鹿にされるのんて。


「二回って、何のことですか」

「高山裕一郎、二年D組出席番号十四番。成績は中の下で、所属はサッカー部」


 四季はクリームたっぷりの飲み物片手に、スラスラと情報を暗唱していく。だが最後の情報だけは、わざとらしく溜めてみせた。


「彼、既に二股していますよ?」

「えっ?」

「隣の女子高の一年生と、隣街の女子大生と既に交際しています。あなたが告白すれば、三人目の彼女になっていたでしょうね」


 淡々と語る四季の言葉に桜井はたじろいだ。


「え、でも彼にそんな素振りは」


 それでも必死に否定しようとするので、四季はため息をつきながら桜井に撮影したばかりの一枚の写真を見せた。


「先程ゲームセンターで撮影したものです。楽しそうでしたよ、制服デート」


 そこに映るのは高山その人と、他校の制服を着た女子の姿だった。仲良さそうに腕を組むその写真は、雄弁に二人の関係を物語っていた。


「……私、帰ります」

「え、気晴らしに甘い物を食べに来たのではないんですか?」


 涙目の桜井に真顔で聞き返す四季。


「そうだけど……」

「安心してください、桜井さん」


 そして自分の右にある、空席になったカウンター席を指差した。


「風紀委員はアフターフォローも万全なんです」


 四季の微笑んだ顔には、こう書いてあった。


 失恋の愚痴ぐらい、いくらでも聞きますよ……と。


「ですよね、玲司くん」

「いや、初めて聞いたんだが?」


 ちなみに玲司は初耳だった。






「すみません玲司くん、家まで送らせてしまって……」


 結局桜井の愚痴をたっぷり二時間ほど聞いた二人は、そのまま家路についていた。日が沈んでしまったので、玲司は当然のように四季を家まで送っていた。


「気にするな……そうだな」


 心配だから、男だから。そういうセリフがいくつか玲司の頭をよぎったが、結局彼が選んだのは。


「風紀委員はアフターフォローも万全なんだろ?」


 聞かされたばかりの新しいスローガンを、満面の笑みで答えた。二人の関係を、今日という一日を。収まりのいい場所に再定義するかのように。


「それに有意義だったからな、今日のデ」


 滑りそうになった口を玲司が慌てて押さえる。やはり桜井の愚痴に付き合うべきでは無かったと心の中で後悔しながら。


「調査は」

「同感です」


 四季は微笑みながら頷く。


「四季、月曜日からも頼むぞ」

「ええ、玲司くんもお気をつけて」


 頼もしい玲司の言葉に四季は深々と頭を下げる。それから玄関の前で彼が角を曲がるのを見守ってから、母の待つ我が家への扉を開いた。


「おかえりなさい。ご飯すぐ食べる?」


 呑気な母の声に、四季は抑揚のない声で答える。


「ただいまお母さん……印刷があるから後でいい」


 そう、印刷……彼女にはまだやるべきことがあった。今日手に入れた『実績』を、自室でプリントアウトするという仕事が。


「あらそう?」


 二階への階段を登っていく愛娘を見上げる四季の母は、娘の表情の些細な表情の変化を見逃さない。それでも聞かずにはいられなかった。


「それよりも楽しかったの? 玲司くんとの『デート』は」


 娘の『ラブコメ』というものを。


「当然」


 短く満足げに、それでいて幸せそうに四季が答える。そして自室の扉を開け、部屋の明かりを灯した。


 ――異様な部屋。


 彼女の部屋の壁一面には、今日までの『実績』で埋め尽くされている。


 校内のカップルの写真? 不純異性交遊の現場? どちらも違う。彼女にとっての実績なぞ、たった一つ。




 氷川玲司の写真である。




「ただいま、玲司くん」


 いつまの無表情は消え去り、いやらしさ百点満点の笑みを浮かべる四季。そして一際お気に入りの等身大氷川玲司ポスターに蕩けた目で頬擦りをキメる。


「玲司くん、今日もカッコよかったよ……私を助けてくれた時のことも覚えてくれてて」


 そのまま四季は玲司のポスターと何度も何度も唇を重ねる。とりわけ今日の『日課』が情熱的なのは、玲司が自分との出会いを覚えていたと確認出来たせいだろう。


 知らない男達に囲まれて、震えることしか出来なかったあの日、天宮四季は恋を知った。


 次第に勉強には手がつかなくなり、相手のことなら何でも知りたいと思い、どうすれば側にいられるかだけを考え、結果部屋中を玲司の写真で埋め尽くした。


 そう、写真。四季は慌ててスマホを取り出し、プリンターのスイッチを入れると最新の氷川玲司ブロマイド(SSR私服ver)を印刷する。


「新しいの貼って」


 そして鞄の中には、本日最大の実績……ツーショットのプリントシールがあった。適当な理由をつけて密着して、さらに目隠した密室で撮影したそれは、他の写真にはない自分の姿が映っていて。


「これは額に入れて飾ろう」


 四季は光の速さでスマホを動かし、ネット通販でUVカット付きのアクリルフォトフレームを注文した。それからダメ押しと言わんばかりに、印刷したばかりの玲司の写真にキスをする。


「待っててね、玲司くん……絶対に私が」


 風紀委員? ラブコメ殲滅? そんなもの四季には恋愛のためのスパイスでしかない。


「あなたとラブコメして、3%に……ううん」


 四季は冷静に判断した。3%よりも確率の高い5%を狙うべきだと。その瞬間もう一度下品な笑みを浮かべると、脳内をピンク色に染め上げた。


 玲司くんあそこのホテルを調査しましょうかうちの生徒が出入りしてるとの証言があったんです、私がお金出すのでこのデラックスルームにしましょうここは調査通りお風呂が広いんですせっかくだから二人入れるか確かめましょう、そうだ保健体育の予習もしましょう一石二鳥ですあっ予習じゃなくて本番ですか本番が良いんですねわかってます玲司くんこれは勉強です将来に役に立つ筈ですはぁはぁ本番本番本番本番、大丈夫です親には友達の家に泊まるって言ってますから本番本番本番フードサービスも試してみま本番本番本番本番本番本番本番本番本番出来ました。


「5%になってみせるから」


 戦え玲司、負けるな玲司! 今すぐ辞書で『獅子身中の虫』と調べるんだ!


 いつかラブコメに屈する(確定)その時までに!

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