コマンドは自爆のみ
ま行
前編
俺こと
ごく普通に会社勤めを真面目に行い、ごく普通に特に何もない毎日を過ごしている。
家に帰っても誰もいない、忙しいと自分に言い訳をして恋人や結婚から遠ざかって、もう三十六歳になってしまった。
しかしこの生活も慣れてしまえばどうということはない、一人寂しい晩ごはんでも、最近は動画配信サービスの充実のお陰でそこまで寂しくない。
往年の名作映画や、話題のドラマ、やかましいバラエティ番組など、それらを見ながらぐちぐちと独り言を垂れていれば一人の晩餐もそこまで気にならない。
寝て起きて会社に行って飯を買って帰る。そんな同じようなルーティーンを壊れたように繰り返す事も、体にすっかりインプットされてしまった。
皆そんなもんさ、俺はそう思って生きていた。
そう、生きていたんだ。
「いやーこの度はご愁傷さまですね」
今俺の目の前にいる女性は、自分の事を女神だとのたまった。女神など見たことがないから本物かどうか分からない。
「投身自殺者の自死に巻き込まれて死亡、しかし肝心の自殺者は障害の残る大怪我を負ったものの生還、これを災難と言わずして何と言いましょうか」
俺はどうやら死んでしまったらしい、先程自分が死ぬ様子を事細かに女神から見せられた。一生分のグロテスクを見せられたと思う。
しかし自分が死んでしまうとは、何ともあっけのないものだ。しかも自殺者の投身に巻き込まれるなんて、誰が予想できようか。
しかし死んでしまったのなら仕方のない事だ、ただ不可解なのはこの状況だ。
女神とは何だ?ここは何処だ?死んだ後どうなるのかは知らないが、こんな感じなのか、てっきり俺は地獄に直行だと思っていたのだが。
「さてさて、死んだ貴方をここに呼び寄せたのにはきちんと理由があります。今回貴方は意図していない形ではありますが、人の死の運命を捻じ曲げてしまいました」
まあそうなるのか。
「その為、貴方には理解の及ばない世界の歪みが発生してしまいました。本来であればごく微小なもので取るに足らないものではあります」
迷惑をかけてしまったようだ。俺のせいではないと思うが。
「しかし今回発生したイレギュラーは特大なものです。本来自死を遂げるはずだった彼は、異世界に転移してチートを使って無敵になり現代知識で無双して自分の事だけを好きになる美少女達を取っ替え引っ替えしてやれやれする予定だったのです」
何を言っているんだこの女神は。
「自死するはずの彼、面倒なので少年としましょう。少年は強い強い欲望を人一倍心に宿していました。少年の都合だけが叶う世界に行って、明確な悪のラスボス的な存在を苦労もなく倒して、少年の事を否定もせず褒めて称えてくれる人に囲まれるという欲望です」
痛痒いなと思ったら腕にニキビが出来ていた。あまり触らないようにしよう。
「少年はその欲望を叶える為に、その身を空より地に投げたのです。死して異世界へ転移転生するのはお約束ですからね」
そう言えば、ニキビを潰してはいけない理由ってなんだったっけか、前に気になって調べた気がしたけど覚えていないな。
「で、私達慈悲深き女神達はですね。少年の為の理想の世界を作りました。そこに生きる人達はゲームのようにスキルという能力を持ち合わせていて、都合よく現代知識が驚かれる程よい文明になっています。意図して作られた悪人と魔物と魔王がいますので、皆救いを求めています」
その時枝毛についても気になったな、まあ覚えていないのだが。
「しかし出来上がった世界に送り込む筈の少年は一命を取り留めてしまった。そしてその運命を貴方が背負ってしまったという訳です。という訳で貴方には少年の代わりとして異世界に行って世界を救ってもらいます」
「は!?」
「さあ張り切って魔王を倒しに行きましょう!レッツ…」
「待て待て待て!待ってください!」
俺の必死の静止に、女神は怪訝な表情を浮かべた。
「何ですか?ああ、貴方に与えられるチートですか?取り敢えず無敵で、いとも簡単に最上級の魔法が使えて、スマホの様なオーバーテクノロジーを一方的に使えますよ。加えて聖剣のおまけつきです」
「違います!そんなもの必要ありません!」
「ええ?でも、結構強めに設定してしまったので、これらがないと苦戦すると思いますよ?」
俺はこれでは埒が明かないと思って言った。
「異世界になんて行きたくありません!死んでしまったのなら、俺をこのまま地獄にでも送ってください。そこで閻魔様の沙汰でも待ちますから」
俺の必死の説得に、女神は心底不思議そうな顔をして言った。
「何をそんなに拒む事があるのですか?異世界に行けば、特に大きな苦労もすること無く敵を蹂躙できて、貴方は年齢も関係なく選り取り見取りの美女からモテますよ?しかも誰からも否定されません。肯定されまくりです」
「いやいや、そんな都合のよすぎる世界御免被ります。魔王を倒して人々を救うなんて冗談じゃない、俺はそんなに出来た人間じゃありません。ただの一般的な小市民です」
「ですから、それを補う為のチート能力ですよ。これさえあれば貴方は小市民なんかじゃありません。物語の主人公ですよ」
「そんなもの俺の身には余ります!大体ですね、過ぎた力を持たされて好き勝手に暴れて、現地民の意向を無視して勝手に文明を持ち込んで、それらが全て何の疑問もなく受け入れられるなんて、都合の良さを通り越して恐怖しかありませんよ」
女神はまだ不思議そうに首を傾げている。
「それに多くの女性に好かれた所で、すべてを幸せに出来る器量を持ち合わせた人間なんていませんよ。本来は一人愛するだけでも精一杯なのに」
「そこら辺は問題ありませんよ。女性達は勝手に理由を作って納得してくれますから」
「それこそ恐ろしいですよ!洗脳と何が違うんですか!?」
「もー、一体何が不満なんですか?」
「不満はないんです!このまま静かに死なせてくれって言ってるんですよ!」
俺の要求に、女神は厳しい顔つきで拒否した。
「それは出来ません」
真剣な顔つきに厳しい物言いに、俺はびくっと身構えた。
「何故か聞いてもいいですか?」
「最早異世界は作られてしまったからです。転移する少年ありきで作られた世界ですから、このまま運命の歪みを放置し続ければいつか貴方の生きた世界と異世界がぶつかり合い消滅します」
思っていたよりもとんでもない理由が飛び出してきて俺は狼狽えた。
「で、でも、それなら女神様の力で元の少年にその使命を授ける事は出来ないんですか?」
「私達転生転移を司る女神は命に干渉する事は出来ません」
「ならもっと別の人とか」
「貴方が取って代わってしまった少年の為の運命ですから、他の誰かにそれを行う事は出来ません」
「じゃあ俺に選択肢なんてないじゃないですか!?」
「まあそうなりますかね?」
女神は平然とした顔で言ってのける、その様子を見て確信した。
価値観が違いすぎる、俺の視点と女神の視点では絶望的な大きな壁がある。文字通り見ているものが違うんだ、神様だから、一人の少年が抱いた妄想と欲望を叶える為だけに、世界とそこに生きる生命を作ってしまうのだから。
「その分いい思いも出来ますから、圧倒的強者を虫けらのように蹴散らし、常に肯定され続けて、美女達は何の理由もなく好感度が上がります。夢のような世界でしょう?」
冗談じゃない、そう叫んだ所で女神には何も響かないだろう。
「まあ貴方にも言い分があるのは分かりますよ。ですから、目的を達した暁には望みを何でも叶えてあげます。異世界に行く際の祝福も選ばせてあげますよ」
女神が指をパチンと弾く、すると俺の目の前には分厚いカタログのような物が現れた。
「数多くのチートスキルが載っています。好きなのを選んでいいですよ」
それだけ言うと女神は心底面倒くさそうに椅子に座った。あれだけ尊大な態度がとれるのは神だからこそか。
願いを叶える?チートスキル?もう俺の手には負えない事態になってしまった。どうする?どうする?俺は兎に角カタログのページを捲ってスキルとやらの内容を目で追い続けた。
どんな世界が待っているか分からないが、無双する力も、肯定され続ける欲求も、多くの女性からの寵愛も俺には必要ない。
身の丈に合わない力なんて痛々しいだけだ。ましてそれが、努力や執念のもと掴み取った能力でないなら尚更だ。俺はそんなもの要らない。
ふと1ページに書かれたスキルの内容に目が止まった。これはいい、これならいいぞ。女神の望みも俺の望みも両方叶えられる。
「あの女神様!これはどうですか?」
「どれどれ?えーこれですか?威力は申し分ありませんが、痛みは伴いますし、使命の事もありますからおまけも付けますよ?」
「それでも構いません、その代わり他の事は一切不要です」
「えぇーいいんですかぁ?折角気合い入れて調整したのにぃ、めっちゃいい思い出来ますよ?」
「いいです。それから目的を達した後の願いは…」
俺は女神に耳打ちした。女神は不満げな顔で俺の事を睨みつけたが、俺はまったく構わなかった。
女神がまたパチンと指を弾く、すると俺の下にあった地面が消え失せて、深く深く遠く穴の下へと俺は落ちていった。
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