02



 玲衣夜の顔を見つめたままぼうっとしていた千晴だったが、携帯のアラーム音がけたたましく鳴り響いたことでその思考を止める。


「んんっ……ふあぁ……、もう朝かい……?」


 大きな欠伸を漏らしながら起き上がった玲衣夜は、目元を擦りながらもアラームを止めようと片手を机上に伸ばしている。


「……ん? あぁ千晴、来ていたのかい。大学の方はどうだった?」

「別にいつも通り、普通に講義を受けてきただけだよ」

「そうかい。知識を蓄えることは必ず自身の糧になるからねぇ。良いことだよ」


 へらりと笑った玲衣夜は、両手を組んで真上に伸ばしながら上半身を左右へと傾ける。その薄い身体からポキポキと骨の軋む音が聞こえてきた。

 この音を聞く度に、いつかぽっきり折れてしまうのではないかと、千晴は心配になってしまうのだ。


「玲衣さん、たまにはちゃんとベッドで寝なよ。身体痛めちゃうよ」

「うん、それは分かっているんだけれど……気づいたらソファで目が覚めるんだよ。不思議だねぇ」


 軽いストレッチを終えたらしい玲衣夜は立ち上がり、壁時計に視線を移してにんまり笑った。


「さぁ、仕事の時間だね」

「……ん? 今日は十四時から依頼が入ってるんだよね?」

「あぁ、その依頼は相手側からキャンセルの連絡が入ってね。今回は別件だよ」

「……あ、もしかして今日の仕事って……」

「あぁ、千晴の想像通り。虎さんから呼び出されたのさ」


 ――なるほど。それでこの人はこんなにも楽しそうにしているのか。


 玲衣夜の言う虎さんとは、本名を藤堂景虎とうどうかげとらといい、警視庁捜査一課の強行犯係に属する、正真正銘の凄腕刑事だ。


 玲衣夜と藤堂は、千晴が探偵事務所でアルバイトを始めるよりも前からの付き合いらしく、事件が難航した際などにこうして呼び出されることがあるらしい。

 どうして藤堂が玲衣夜に声を掛けるようになったのかといえば、それは千晴も詳しく知らないことだが……過去に、玲衣夜が藤堂を助けたことがあるという話は耳にしたことがある。


 また、玲衣夜は藤堂に限らず他の刑事たちの間でもその名を轟かせているらしく、藤堂以外の刑事から捜査依頼を受けることも稀にだがあった。

 まぁ大抵現場には藤堂がいて、そこには藤堂の部下にもあたる“彼”もいることがほとんどなのだが……その“彼”のことを、どうやら玲衣夜は気に入っているらしく、事件現場で顔を合わすたびに嬉しそうに話しかけに行くのだ。


「よし。千晴、早速行こうか」

「ちょっと待って。まだ少し時間はあるんだし……せめて顔を洗って、寝ぐせくらいは直していこうよ。あと、何か軽く作るから食べていこ」

「……うん。千晴はやっぱり、母親みたいだねぇ」


 へらり。また締まりのない顔で、玲衣夜は笑う。


 ――僕、一応男だし、母親だなんて言われたって嬉しくないはずなんだけど……玲衣さんの世話を焼くのは嫌いじゃないから、こんな風に言われると、いつも何て返したらいいか分からなくなっちゃうんだよね。


「……いいから、早く顔、洗ってきなよ」

「あぁ、分かったよ」


 少しだけぶっきらぼうに言い放つ千晴。それが照れ隠しからくるものだということなんてもちろんお見通しの玲衣夜は、笑みを浮かべたまま脱衣場に向かっていく。

 そんな玲衣夜を見送った千晴はキッチンに向かった。冷蔵庫を開ければ、昨日買い足したばかりの卵が一パックある。


「……オムライスでも作ろうかな」


 玲衣夜の好物の一つだ。千晴専用のブラウンのエプロンを付けて、手際よく調理を進めていく。

 千晴は特段料理が得意というわけでもなかったが、玲衣夜に振舞うごとに、その腕が確実に上がってきていることを実感していた。


「うん、やっぱり千晴の作るオムライスは世界一だね」なんて言って笑う玲衣夜の顔を想像した千晴は、口許を緩ませる。


 マイペースでつかみどころのない、怠惰な人ではあるけれど――その笑顔を、喜ぶ顔を見たいと思わせるような。そんな不思議な魅力が、一ノ瀬玲衣夜にはあるのだ。


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