第3章 力を求める者たち

第10話 幼き夢

 数日後の夜、秘翠は再び夢を見た。しかしながら、自分が夢を見ているのだという自覚はある。そんな不思議な感覚。

 手を伸ばして見ると、現在の自分のものよりもかなり小さい。どうやら、幼い頃の秘翠自身らしい。


「秘翠、何処にいるの?」


 誰かの声が聞こえた。その声が誰のものかわからず、秘翠は首を傾げて周りを見る。そうしているとぼんやりとした視界が明瞭になっていき、その声の主が明らかになる。


「おかあ……さん」

「秘翠? そんなに驚かなくても良いじゃない。ほら、ご飯にしましょう」


 穏やかに微笑む母が手を伸ばし、小さな秘翠の手を取った。懐かし過ぎるその笑みに、秘翠は喜びよりも困惑を覚える。秘匿の力が顕現してからの母は、秘翠を娘としては扱わなかったからだ。


(これは夢。そうか、これはまだ力が現れていない頃の……)


 幼少期。しかも六歳以前であれば、秘匿の力はまだなかった。その頃のまだ幸せだった日々の記憶だ、と秘翠は泣きたいような気持で気付いた。

 幼い秘翠が母に連れられて行くと、そこは居間だ。胡坐をかいた父がいて、何か書物を読んでいる。そして、母子に気付いて顔を上げた。


「秘翠、集中して絵本を読んでいたな。面白かったか?」

「うん、おもしろかった!」

「それはよかったな。さあ、おいで」


 父の手招きに応え、秘翠は彼の膝の上に腰を下ろす。後ろから抱き締められ、幼い秘翠は笑みを零す。彼女の意識は徐々に幼い頃に寄って行き、喜びを感じると共に切なさは成長した秘翠の心の中だけに宿る。

 秘翠は乖離していく自分自身を正面から見つめ、顔を歪めた。


(ああ、この頃はまだ……)


 いつの間にか、視点が変わった。現在の秘翠の意識は三人を近くから見守る位置に折り、悲しさに胸を潰されそうになる。

 もしもあのまま力が目覚めなければ、どうなっていたのだろうか。考えても仕方のないことだが、秘翠はどうしても考えてしまった。しかし、答えなど出るはずもない。


「お母さん、お父さんっ」


 呼んでも、両親がこちらを向くことはない。三人は楽しそうに食卓を囲み、談笑している。秘翠はその場にしゃがみ込みそうになるのを必死に我慢しながら、その光景を見詰めていた。

 少しずつ視界がぼやけていき、秘翠は夢の中での意識を失った。


「……夢」


 目頭が熱く、秘翠は腕で目元を拭った。濡れた感触があり、自分が泣いていたのだと思い知らされる。

 体を起こすと隣のベッドでは未来が寝息をたてており、机の上のデジタル時計は深夜二時過ぎを示している。秘翠は軽くため息をついてもう一度眠ろうと体を倒した。


「――っ、この気配は?」


 しかし、明確な敵意の気配と物音に気付いて上半身を再び起こす。未来を起こさないよう注意してカーテンを数センチめくると、暗闇の中で電信柱の上に立つ二人の青年の姿が見えた。


「あれは……」


 ガタガタッという隣の部屋からの物音で目覚めた碧は、時刻を確かめてぎょっとする。デジタル時計は深夜二時過ぎを示していた。


「真夜中かよ……。ん?」


 何か、普段は感じない気配を感じる気がする。碧は首を傾げながらも立ち上がると、杞憂を望んで戸を開けた。すると、目の前を今まさに横切ろうとする秘翠の姿が目に入る。


「秘翠? こんな真夜中にどうし……」

「ごめんなさい、彼らが来てるの。行かなくちゃ」

「彼らって、まさか!」


 秘翠を追う連中か。碧が察すると秘翠は頷き、足音を極力抑えながら階下へと下りて行こうとする。しかし、彼女のティーシャツの袖が誰かに引っ張られた。碧と秘翠が振り返ると、眠気眼をこする未来の姿があった。


「未来ちゃん」

「未来、どうして」

「二人共、まだ夜中だよ? 起きるのには早い……」

「未来、ちょっと頼まれてくれ」

「え? 兄さ」


 未来が言い募るのを手で制し、碧は秘翠を振り返る。


「秘翠」

「――はい」

「……俺が行くから」

「えっ」


 真剣な顔から一転して唖然とした顔を見せる秘翠に言い置くと、碧は急いで自室に戻った。そしてクローゼットを開くと、奥に立てかけられていた木刀を持ち出す。剣道をやめてから手にすることもなかった木刀だが、何故か今夜はすんなりと手に馴染む。

 しかし、今はその不思議に首を傾げている場合ではない。碧はさっさとクローゼットを閉じると廊下に出て、待っていた翡翠に呼び掛ける。


「外にいる奴は、お前に用があるんだろ? だったら、本人が行けば向こうの思う壺だ。絶対守るから、未来と待っててくれ」

「何を言ってるの? これはわたしが行かないと」

「行けば、きっと連れ戻されるぞ。帰りたくないんだろ?」

「そう、だけど……」


 言い淀む秘翠の頭を軽く撫で、碧は目を覚ました未来に「こいつも頼む」と願った。


「未来、父さんと母さんのこともよろしくな」

「……わかった」

「助かる」


 文句も言わずに首肯した妹に感謝し、碧は踵を返して階下へ下りた。振り返ることなく、スニーカーを履いて外に出る。そして家の傍の電柱を見上げ、睨みつけた。


「お前ら、俺の家に何か用か?」

「ここに、秘匿がいるだろう? こちらに渡してもらいたい」


 見知らぬ青年は、居丈高に言い放った。

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