伴侶
フッラム様が十三歳のとき、祖父であるアクバル大帝が逝去されました。あのときのフッラム様の痛ましい姿といったら思い出すのも辛いほどです。
皆が去った後もひとり部屋に残り、どんどん冷たくなるアクバル陛下の御手を握りしめ涙腺が壊れてしまったようにはらはらと涙を流される。「お爺さま。お願い、戻ってきて。僕から離れていかないで」涙の合間に、そう呟く声が聞こえました。このままアクバル様を追ってフッラム様の魂が天へと昇ってしまうのではないかと、そばではらはらしながら見守っていたものです。
アクバル様が逝去なさると、フッラム様の父上であるジャハーン・ギール陛下が第四代ムガル皇帝として即位されました。
フッラム様が生涯の伴侶となるムムターズ様と初めて会われたのは二十歳のときです。もちろん私もその場におりました。
フッラム様よりひとつ歳下のムムターズ様は、この世に存在するすべての善く美しいものから祝福を受けて生まれてきたかのようにまばゆく光り輝いておいででした。そのとき私は目撃したのです。ムムターズ様を見つめるフッラム様の目の中に、いままで見たこともない、優しく、明るい光が灯るのを。
そのとき以来、死がふたりを別つ瞬間まで――いえその後も永遠に、その目に映るものはただお互いの姿のみだったのです。出会ったときと同じ熱量そのままに、お互いの魂を捧げ合うように、おふたりは愛し合っておられました。あなたには信じられますか。そんな奇跡のような愛が、この世に生まれることがあるのですよ。
あの日から
おふたりはこの城のハース・マハル(寝殿)よりチャハール・バーグ(四分庭園)の噴泉や花壇を眺めながらお過ごしになるのがお好きでした。何をするでもなく、美しいペルシャ絨毯の上に寝転び、小鳥が囀り合うように何かを囁き合っては笑い合っておられます。
あるときハース・マハルからフッラム様が私を呼びました。出て行くと、フッラム様はムムターズ様の膝に頭を乗せたまま私を見上げました。私が見ているというのに、フッラム様はムムターズ様の小さな御手を握りしめて離さない。離した途端に空へと逃げてしまう、小鳥のように思っていたのでしょうか。
その日はいたくご機嫌で、滅多にお酒を飲まれないフッラム様が「酒をもってこい。お前も一緒に飲もう」と言うのです。ムムターズ様は少し困ったふうに笑いながらも、フッラム様を安心させるようにもう片方の御手で艶やかな黒髪を撫で続けます。まだあどけなさも残るその少女が、この世のすべてを優しく包み込む女神のように見えたものです。
フッラム様は酒を飲むと、機嫌よく歌を歌いはじめました。意外に思われるかもしれませんが歌が大変お上手でいらっしゃったのですよ。ご自分の歌に合わせて、私に踊れと言うのです。ええ、困りましたよ。でもお酒も入っていたことですし、私も調子に乗って踊り子の真似をして踊りました。するとムムターズ様もこんなふうに楽しげに手を叩いて拍子を取るのです。(手を打ち鳴らす)
あの日のことは今もよく思い出しては幸福な気持ちになります。実を言えば、おふたりの初めてのお子ができたと分かった日だったのですよ。
生まれたのは美しい黒髪の男の子で、ダーラー様と名付けられました。フッラム様はご自分の後継者としてどんなときもダーラー様をおそばにおきました。もちろんムムターズ様とも片時たりとも離れることはありません。まるで離れれば動けぬ半身のように、戦場にさえ連れて行くほどだったのですよ。
ムムターズ様は三十七年というその短い生涯の中で、休む間もなく十四人ものお子をお産みになられ、そのうち七人が無事成人されました。それはきっとフッラム様の人生の中で、最も安らかで幸福な時であったのでしょう。
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