第三話 夏帆と真夏の海

 季節は夏。

 暑く、ジメッとした空気が漂う中、俺と安曇は夏休みを利用して海に来ていた。

 更衣室で水着に着替えた俺は、海の家の入り口付近で安曇を待っている最中だ。

 ちなみにレジャー用の水着を新調するのは小学生以来である。

 

 さて、そんなことはどうでもいいか。

 とにかく今は、大人しく安曇を待つとしよう。


「おーい、ともくーん!」


 噂をすればなんとやら。

 俺を呼ぶ声が聞こえてきた。


「お待たせ! ともくん!」

「おう、……ってお前、その格好……」


 現れたのは、真っ赤なビキニ姿の美少女だった。

 よく見てみると、上は赤いビキニだが、下は赤いショートパンツスタイルの水着だ。

 夏の姿に変わった、活発なイメージのある今の安曇らしい水着といえる。

 しかしながら、女子の水着というものに見慣れていない俺は、安曇を直視できなかった。


「どうだ? 似合ってるか?」

「ま、まあまあ、いいんじゃねぇか」

「またまたー。素直じゃないんだからぁ」


 安曇の後ろから、水着姿の季咲さんが現れる。

 そう、今回のデートも季咲さんが同伴しているのだ。

 

 さすがに過保護すぎないか?

 ……とは思ったものの、この人が居ないと、そもそも俺たち二人だけで出かける、ということすらできなかった。

 ここは素直に感謝しよう。


「それじゃ、あたしの水着はどうよ? 夏帆なつほより大人っぽいでしょ?」


 季咲さんはわざとセクシーなポーズをとって、感想を求めてくる。 

 季咲さんの水着は、黒いビキニだ。

 しかも、首の後ろで紐を結ぶタイプ。

 そのうえ、水着の布面積が通常より少ない。

 普通の男だったら、悩殺間違いなしだろう。


 だがしかし、俺は季咲さんにはそういった感情が欠片も湧かなかったのである。 

 それは、なぜか?

 もちろん、仮にも俺には安曇という彼女がいる。

 前提として彼女以外、それも彼女の姉に欲情することなどあってはならない。


 理由は、もっと簡単なことだった。

 ただし、かなり低俗な理由だがな。


 安曇のほうが胸がかなりでかい。

 ……たったそれだけのことだった。


「なーんか、あたしのときは反応がイマイチね。本当に童貞なの?」

「そ、それは関係ねぇだろ!」

「あ、わかった。あんた胸が大きいほうが好みなんでしょう?」

「なっ!? そ、そんなことねぇよ!」

「うわ、キモ。やっぱりそうなんだ。引くわー」

「か、勝手に言ってろ!」

「なあ、二人ともさっさと泳ぎにいこうぜ」

「そ、そうだな、安曇! せっかく海に来たんだから楽しまなくちゃ損だよな!」

「あたしはパス。どうぞお二人で楽しんできてー」

 

 こうして、俺と安曇は海へと駆け出していくのであった。






 

 それからしばらく遊んで、俺と安曇は浜辺に腰掛けていた。

 付近にはビーチボールを使って遊ぶ人や、砂のお城を作っている人などが見える。

 現在俺は少し疲れたので休憩中だ。

 一方、安曇は俺の隣でスヤスヤと寝ていたのである。

 しかも、俺の肩に寄りかかって。

 

 どうやら、もう遊び疲れて眠ってしまったようだ。

 いくら性格が変わったからといって、体力がついたわけではないらしい。

 まあ、俺も体力に自信があるほうではないがな。


 夏の安曇を一言で表すと、天真爛漫といった感じだろうか。

 いつも以上に明るく、活発的な安曇を見てるとこっちまで楽しくなる。

 それに、なんだかんだで、今の安曇のことも嫌いではない。

 

 ただやはり、見た目や性格が変わるというのは、まだ慣れない。

 季節の変わり目は、黒髪でちょっと頭のネジがとんでいる四季子。

 春はピンク髪で、お嬢様気質な春風。

 そしてこの夏は、茶髪でポニーテール、褐色肌に活発な性格の夏帆。


 どれが本物の安曇なのだろうか。

 たぶん姉の季咲さんが黒髪なので、四季子が元の人格のような気もするが……。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか俺もウトウトしてきた。

 

「ともくん! ともくん! 起きてくれよ! 姉貴が大変なんだ!」

「……え?」

「だから、姉貴が大変なんだよ! ともくん!」

「ど、どうしたんだ?」

「あれを見てくれよ!」


 安曇が指さす方角を見ると、季咲さんが三人組の男たちに絡まれていた。

 季咲さんは本気で嫌がって逃げようとするが、すぐに男たちに取り囲まれる。

 さすがに今回は道を訊かれているわけではないようだ。


「ど、どうしよう! ともくん! あ、姉貴が……!」

「……落ち着け、安曇。俺が何とかする」

「でも――」

「ちょっと待っててくれ。心配するな、お前の姉貴は俺が絶対に助けてやるから」

「ともくん……」


 大丈夫だ。

 今度の相手は花見のときより、威圧感がない。

 ただのチンピラだ。

 何も怖がることはない。


 俺は季咲さんのもとへと急ぐ。

 近づくにつれて、季咲さんと男たちのやり取りが聞こえてくる。


「ちょっと、近寄らないでよ!」

「そんなに怒らないでよ、お姉さん。一人なんでしょ? だったら、俺たちと一緒に遊ぼうぜ」

「嫌だってば! ほんとにしつこいんだけど!」

「いいじゃん、そんなつれない態度取らなくてもさぁ。ほら、一緒にいいところ行こうぜ」

「おい、あんたら。ちょっといいか」

「ああ? 誰だ、お前?」

「その人の連れだ」

「悪いけど、ガキは邪魔しないでくれるかな。今は大人同士で大事な話をしてるんだからさ」

「それはできない相談だ。彼女は俺の大切な人だからな」

「……は?」

「と、智輝くん?」

 

 俺は隙をついて、季咲さんと三人組の間に割って入る。

 そして、季咲さんの肩を掴んで、俺の身体に引き寄せた。

 同時に、季咲さんは俺の背中に腕を回し、抱きついてくる。

 

 さすが季咲さんだ。

 この短い間に、俺の意図を汲んでくれたらしい。

 

「ありえねぇ。こんなガキが彼氏だなんて……」

「お生憎様、あたしにはもう素敵な王子様がいるのよ。これから二人でいちゃいちゃするところなの。悪いけど消えてくれる?」

「……くそっ! 好きにしやがれ!」

「なんか白けたわ。帰りに酒でも買って帰ろうぜ」

「というか、未成年と付き合うとか犯罪だろ。いつか捕まっちまえ」


 三人組は悪態をつきながら、すごすごと帰っていく。

 とりあえず、一件落着だな。


「……ねぇ、智輝くん。何であたしを助けてくれたの?」

「彼女の姉貴を助けるのは当然だろ」

「……そうね。ありがとう、あの子の彼氏が智輝くんでよかったわ」

「おう。……ところでそろそろ離れてくれないか?」

「……もうちょいこのままでもいい?」

「は? さっさと離れろよ」

「姉貴ー! ともくーん! 無事でよかったぁ!」

「ごふっ!?」


 そのとき、安曇が俺たちに飛びついてきた。

 その衝撃で俺たち三人は、砂の上に倒れ込む。

 

「痛てて……。まったく、危ないだろうが。もう少し考えて行動しろよ」

「そ、そうだよな……。本当にごめん……。二人とも大丈夫か?」

「特に問題はないな」

「あたしも平気よ」

「なら、よかった。でもさ、姉貴が襲われたときは心臓が止まるかと思ったぜ……」

「夏帆は大げさなのよ。あれくらいのことで……」

「だって、姉貴は美人だし……。男どもに絡まれることなんて日常茶飯事だったし……」

「そっか。いつも大変なんだな、季咲さんは」

「そうなのよ。美人っていろいろと大変なの」


 そう言ったあと、季咲さんは俺から離れた。

 そして、どこかへ行こうとする。


「どこ行くんすか?」

「車に戻るわ。もうナンパされるのはこりごりなの。あたしのことは気にしないでいいから、あなたたちは思う存分遊んできなさい」


 季咲さんはそのまま海の家へと歩いていった。

 俺たちは思わず顔を見合わせる。

 これからどうしたものか。

 

 だが、せっかく海に来たのだ。

 できることなら、まだ遊びたいという気持ちもある。

 すると、安曇が俺の手を取ってこう言ってきた。


「ちょっとうちについてきてくれ」



 



 

 安曇に連れられてやって来た場所は、人気のない岩場だった。

 何で安曇はこんなところに連れてきたのだろう。


「よし、誰もいないな。それじゃあ、ともくんはここに座ってくれ」

「お、おう、わかった」


 俺は安曇の指示どおり、ちょうど椅子のようになっている岩に座った。

 後ろには、背もたれのような大きな岩もある。

 なので、座り心地は意外と悪くなかった。


 安曇なぜか俺の目の前に立ちはだかる。

 そして、いきなり俺の後ろの岩に両手を突いて距離を詰めてきた。

 こ、これは、安曇に告白されたときと同じ状況じゃないか?


「お、おい、安曇。ちょっと近くねぇか?」

「も、問題ねぇよ」

「いや、俺には問題あるんだが?」

「少し黙ってくれ」

「え? お、おい、ちょっと待――」


 次の瞬間、俺の顔にとても柔らかいものが触れた。

 その正体はすぐにわかる。

 俺の視界いっぱいに広がるこの褐色肌は、間違いなく胸だ。

 俺は今、安曇に抱きしめられている。


「あ、安曇!?」

「姉貴を助けてくれてありがとな、ともくん」

「あ、ああ……」

「本当はもっと早くこうしてあげたかったんだけど、なかなか勇気が出なくてさ。だから、人気のない岩場に連れてきたんだ。今日はよく頑張ったな……」

「お、おう……」

「だから、せめてものお礼にさ。キ、キ、キスをしてやろうと思ったんだ……」

「き、キス!?」


 安曇の身体はとても熱くなっていた。

 おそらく、顔なんて茹でダコのように真っ赤になっていることだろう。

 でも、俺だって人のことを言えない。

 だって、今の俺の顔も同じくらい熱いから。

 

 互いに心臓の音はバクバクと鳴り響いているし、呼吸も荒くなっている。

 もう頭の中はパニック状態だ。

 

 だけど、そんなことはどうでもいい。

 今はただ、安曇に優しく包まれていたい、という願望が強くなる。

 他人にこんな感情を抱くなんて初めてだ。


「じゃ、じゃあ、め、目を閉じてくれ、ともくん」

「お、おう……」

「じゃあ、いくぞ。ほんとにいくからな! ほんとだぞ!」

「お、おうっ! どんと来い!」


 すると、再び俺の顔に柔らかい感触が訪れた。

 しかし、それは唇にではなく、頬っぺただったのだ。

 

「……ほら、やっぱり口にするのは恥ずかしいだろ?」

「そ、そうだな……」

「それにしても、まさかうちからキスをすることになるとは思わなかったぜ……。でもまぁ、これで満足したわ」


 安曇はニコッと微笑みながら、ゆっくりと離れていく。

 そして、そのままどこかへ行こうとする。

 

 だが、俺はまだ満たされていなかった。

 むしろ、逆にモヤモヤとした気持ちだけが残ってしまったのだ。

 俺は無意識のうちに、安曇の腕を引っ張っていた。

 

「ん? ともくん? どうしたんだ?」

「あ、安曇! 俺は――!」


 そのとき、濡れた岩のせいで俺の足が滑ってしまった。

 

「うおっ!?」

「ちょっ、ともくん!?」

 

 バランスを失った俺は、安曇を巻き込んで倒れてしまう。

 俺たちはもつれ合うようにして海へと落下した。

 

「ぷはあっ!」

 

 幸いにも怪我はなかったが、海水が目に入って周りがよく見えない。

 安曇は大丈夫だろうか?

 

「あ、安曇、平気か?」

「お、おう、なんとか……って、きゃあああ!」

「どうした!?」

 

 安曇の悲鳴を聞いた俺は、声のするほうに顔を向けた。

 ようやく視力が戻ってきた俺は、衝撃的な光景を目の当たりにする。

 なんと、安曇の上の水着だけが脱げてしまっていたのだった。

 

 そして、俺ははっきりと見てしまったのだ。

 ……むき出しになった安曇の豊満な胸を。

 

「わ、わりぃ……。わ、わざとじゃないんだ」

「……」

「あのー、安曇さん?」

「こ、殺す!」

「な、おい、やめろ、悪かったって! うわあああっ!」


 俺は必死に逃げ回ったが、結局捕まってボコボコにされてしまったのであった。

 まあ、そもそもの原因は俺にあったので、仕方ない。

 

 そして安曇はその日以降、しばらく口を利いてくれなかった。

 もちろん、何度も謝ったが、無視され続けたのである。

 しかしながら、この日のことは一生忘れられない思い出になったのだった。 

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