【永禄三年(1560年)四月中旬】その二

【永禄三年(1560年)四月中旬】その二


 小金井桜花殿から、俺に会いたがっている人物がいるとの話が出た。金山城下の青蓮寺に身を寄せていた岩松家の当主だそうだ。


 てっきり、いざ復権をと意気込む、ぎらぎらした人物がやってくるのかと思っていたら、現れたのは穏やかそうな人物だった。年の頃は、二十代後半といったところだろうか。身なりも質素で、連れている少年二人は利発そうである。


 桜花殿に加えて、蜜柑、道真、剣聖殿が同席した会談は、和やかな雰囲気で滑り出した。


「お初にお目にかかる。岩松守純と申します。こちらは、息子の清純と、一族の親純です」


「新田護邦と申す。横瀬氏にはだいぶ絡まれたが、義貞公のあの新田とは別の新田で、源氏の末裔でもないんだ。ややこしくてすまん」


「桜花殿から聞き及んでおります。別の世で神隠しにあって戻られたとか。横瀬は新田氏を名乗り始めたところでしたので、刺激したのでしょうな」


 なんというか、他人事のような口ぶりである。まあ、幽閉状態から放逐され、既にだいぶ経過しているからには、脂ぎった状態は維持できないものなのかもしれない。軽妙な空気を纏いながらも、やや暗い目をした若き当主は言葉を継いだ。


「もしも、娘でもおりましたら、縁組させていただくとの考え方もありうるのですが」


 蜜柑がやや強い視線を俺に向けてきた。


「いや、そちらの新田の血筋を入れると、話がややこしくなりそうだ。どこまでも、別の新田だとしておいた方がわかりやすいだろう」


「ほ……、それはお言葉のままに」


 あるいは、息子を養子に送り込もうとの思惑があったのだろうか。


「……守純殿には、この戦国の世に武将として生きたいとの想いはおありかな?」


「いえいえ、隠居の身ですのでな。同じく隠居した祖父は連歌を極めておりましたので、それに続こうかと考えております」


「尚純殿でしたか。確か、絵もお上手だったとか」


 岩松尚純の絵図は、武将の自画像として確認されているレアケースだったとされている。まあ、実際には隠居後は、寺で連歌に集中していたようなので、武将との表現は微妙かもしれないが。


「絵の方は、こちらの親純が興味を示しております。猫好きで、猫の絵図を巧みに描いておりますな」


「猫の絵か。ぜひ、拝見したいな」


「はっ。ぜひお目にかけたく」


 俺と同じ年頃らしい親純は、頬を上気させている。


 岩松新田の猫絵といえば、江戸期には有名だったらしい。歌と絵で有名な武家の血筋となると、ある意味では新田がどうのと言うのよりも稀少な気がする。そして、もう一つの方向性は……。


「清純殿は、なにか興味のある方向性はお持ちかな?」


「この子は……、母を病で亡くしましてな。その関係で医術の方に興味を示しております。足利学校に入れようかとも考えておりまして」


 岩松家には、呪術的なのか医学的なのか、治癒術を使ったとの伝承もある。


「当家では、神隠し前の世から伝わる医術と、この地の医術をかけ合わせて新たな医学を興そうとしていてな。興味があるようなら、ぜひ参加してくれ」


「よろしいのですか……?」


 顔色のあまり良くない若殿は、なにやら呆然としているようだ。


「ただ、それを理由に臣従しろなんて言うつもりはない。域内に住み、我が新田家とは関わりなく生きていくのもありだし、もちろん退去するのも自由だ。……域内に居住する場合、当家では家臣も含めて所領は与えない運営なもんで、旧領を安堵することはできない。代わりと言ってはなんだが、家禄は設定しよう」


「けれど、お役に立てるかどうか……」


「いや、家禄は別に出仕しなくても出すぞ。特に岩松家なら、もちろん国人衆扱いだから、それだけでも活動資金にはなると思うが」


「それは、岩松家だからでしょうか? でしたら……」


「いや、桐生家にも那波家にも出してる。長野業正殿の遺児の繁朝殿は、名乗りを変えた上に、元の家を継ぐつもりはないからと頑として受け取ってくれないんだが」


「桐生佐野氏や那波氏は今は軍役についておられるのですか?」


「いやいや、一族ごと召し抱えて養蚕をやってもらってる。そちらの俸禄とは別に、当主には家禄を出している。家中での配分は、口出しする気はない」


「武家とは思えないやりようですが……」


「領主は武家でもあるが、その領域をどう富ませるかを考えるべきだろ? 連歌や絵、医術もそのための一分野だと思うが、新田の家中でやっても、外でやってもどちらでもかまわない。外でやるとなっても、家禄は出す。それは、豪族衆を所領から切り離すことについての対価だと考えている」


「岩松は所領を奪われた状態でした」


「それを言い出すときりがないからなあ。まあ、もちろん、移住するのを妨げるつもりもない。領域外に出るなら、家禄は出せないが」


「差し支えなければ、家中にお加えください」


「いいのか? そちらからすれば、当家は新田を名乗る謎の集団だろうに。そこに岩松家が加われば、通常とは別の意味が生じるぞ」


「裏付け的な存在となりましょうな。……横瀬を成敗していただいた恩返しと考えてくだされば」


「こちらの都合で討っただけなんだがな」


「それはそうでしょうが。……ただ、清純と親純については、去就を定めて、追ってお知らせさせていただければ」


 話を聞いていた若者二人のうちの親純の方が、やや甲高い声を発した。


「いえ、わたくしも猫の絵をお持ちしますので、気に入ったら末席に加えていただければ」


「おう、楽しみにさせてもらおう」


 うれしげな親純に対して、当主の息子は考え込んでいる様子だった。


「まずは、医術の様子を見せていただけますと……」


「当然だな。案内させよう。道真、頼む」


「承知しました」


 俺自身が連歌を嗜む気はないので、岩松の当主が対応してくれるととても助かる。そして、新田の一族を家中に取り込む意味は大きいだろう。


 


 岩松一族が退出したところで、小金井桜花殿に声をかける。


「で、桜花殿。そなたにも小金井の家の家禄を出したいのだが……」


「いえ、家を継ぐつもりはございませんし、遠慮させていただきます。代わりと言ってはなんですが、鉄砲を是非」


「そうだったな。金山城域の安定化をやってもらっている間、待たせてしまったが。それで、鉄砲は作りたいのか、撃ちたいのか、鉄砲隊の指揮をしたいのかはいずれかな。全部でもかまわんが」


「では、ぜひ全部で」


 いい笑顔である。


「桜花殿は欲張りだな。その方が頼もしい」


「殿……、我が名に殿をつけるのはおやめください。臣下になったのですから」


「ああ、そういうもんか。承知した。……鉄砲隊の総指揮は、澪の系列で握ることになるかもしれない。だが、少なくとも一隊の運用を試してみてもらってかまわない」


「そこはよきように」


 一礼して、桜花殿……、いや、桜花は退出していった。やる気がある人物に任せられるのは、よいことなのだろう。




 従来からの支配領域でも、新たな獲得地でも、田植えの時期を迎えて常備兵の農村への投入が活発になっている。彼らの中には、田植えを避けたくて常備兵に志願した者もいたようだが、感謝されて、追加報酬ももらえるとなると悪い気もしないようだ。


 ただ、直播き栽培をしていた土地も結構あったことが判明し、田植え形式の移植栽培を推奨している。今年は間に合わないところもあったが、概ね切り替えられた。


 田植えの密度については、工夫してばらけるようにしている村もあれば、雑な植え方のところもあった。より意識してもらうために、正条植えと呼ばれる、田んぼに縄などで升目を描き、そこに植えていく方式を導入している。


 既に自力で工夫しているところからすれば、今さらなにを、という施策だったが、雑だったところには効果が大きいだろう。


 常備兵の応援は、村々での知識の共通化にも繋がりそうだ。収量が増えれば、お互いにうれしいわけだから、今後も発展に努めるとしよう。




 冶金の方面は、灰吹き法が安定して順調に進んでいる。粗銅から本当に金銀を得られて、ちょっと感動してしまった。


 量を増やしていくには、施設の拡充が必要となる。研究部門と作業所を分ける形として、郊外に倉庫と共に建設した。換気と排水管理は徹底せねば。


 ただ、関東で入手できる銅は、限界があるかもしれない。米の東西流通を本格化させて、粗銅も扱えるようにしていけたらいいのだが。


 堺の料理店を出先機関として、どこか近畿に根拠地を確保するのもありかもしれない。まあ、先のことばかり考えても仕方がないか。


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