【短編】拝啓、婚約破棄して従妹と結婚をなされたかつての婚約者様へ、私が豚だったのはもう一年も前の事ですよ?
北城らんまる
1
『醜い豚令嬢にこれ以上与える温情はない。醜い顔を見たくもないので、ここでおまえとの婚約破棄を宣言し、ノエルと婚約する。以上』
婚約者のノジャ・アレクサンドルから送られた文。
おおよそ手紙とも思えない汚い字で書き殴り、短い言葉で綴られた文に、ロゼッティは大きな息を吐いた。
一年以上会うのを拒まれた形だけの婚約者だ。
初めて会った日は、夜会だったか。彼は開口早々にロゼッティの事をブス呼ばわりし、取り巻きの貴族子息や令嬢、さらに自分の両親でさえドン引きさせた奇行の持ち主である。
しょせんは愛のない政略結婚だ。
婚約破棄なんて上等。
高慢ちきな男が自分から離れていくのは、ロゼッティにとってありがたかった。
なにせノジャはアレクサンドル伯爵家の次男。
新興貴族とはいえ、子爵令嬢のロゼッティよりも爵位は上。由緒あるランドム子爵家の血を入れることで、社交界での地位を少しでも固めようとしているのだろう。しかもそれなりに小金持ち。貧乏子爵家にとっては、伯爵家が持参する支度金は喉から手が出るほど欲しいものだった。
そんな男から突然の婚約破棄。
本来なら我が家は阿鼻叫喚となるところだけれど、そうはならない。
──婚約するというノエルがロゼッティの従妹だから。
婚約破棄され傷物になったのはロゼッティだけ。
ノエルはもちろん、我が家が潤うことには変わらないのだ。
◇
ロゼッティは病で両親を亡くしている。
まずはロゼッティの母だった。彼女は美しく聡明な人だったが、もともと体が弱く臥せやすい人だった。ロゼッティが幼い頃、彼女は眠るように息を引き取った。
夫となり、のちにランドム子爵位を継いだロゼッティの父は、母が亡くってみるみるうちにげっそりしていった。
両親は互いに深く愛し合っていて、周りからはお似合いのバカップルとまで言われていた。
きっと、愛する人をを失った悲しみゆえだろう。
母が亡くなってから数年後、ロゼッティの父も流行り病にかかりあっけなく死んでしまった。
当時ロゼッティは12歳。
両親を失った悲しみにたえ、ようやく前を向いて生きていけるというところで、あの三人がやってきた。父方の叔父であるロックスと、その妻、そして従妹のノエルだ。
母が病で臥せっていたとき、叔父は見舞いにすら来なかった。
なのに父が亡くなった瞬間、叔父は子爵家の邸に上がり込み、横柄な顔をして居座った。父の子爵位が叔父にうつったからだ。
ランドム子爵家にはロゼッティしかいなかった。例外的に女性が爵位を継ぐこともあるが、その例外にロゼッティは適用されず、叔父に爵位が移動してしまった。
それからというもの、すべては叔父家族中心。
ロゼッティが持っていたドレスや宝石は、すべて従妹のノエルの手に。
ノエルはロゼッティを侍女のように扱い、また本当の侍女にも、ロゼッティを侍女扱いするように命じた。おかげで、叔父家族が来てからというもの一切令嬢らしいことをしたことがない。夜会や舞踏会にも、行くのは従妹のノエルだけ。
毎日毎日、叔父から命令された仕事をこなす日々。
アレクサンドル伯爵家の次男坊から婚約の申し入れがあったとき、叔父はすぐに飛びついた。なにせ叔母はひどい浪費家で、両親がロゼッティのためにと貯めていたお金も根こそぎ使い、借金までしていた。
ただ、アレクサンドル伯爵が嫁にと言ってきたのは、ノエルではなくロゼッティだった。
ロゼッティにはあってノエルにはないもの。
それは教養と淑女らしさだ。
ロゼッティは幼少期から子爵令嬢として教育を施されてきた。ノエルが侍女にと言うのであれば、より上品な侍女であろうとした。
その立ち姿、雰囲気、貴族としての教養。
ノエルとロゼッティが二人並んで挨拶をしたときに、アレクサンドル伯爵夫妻はすぐロゼッティを気に入った。ノエルがいつもより数段気合を入れて着飾り、引き立て役としてロゼッティが地味な装いをしていたにも関わらずに、だ。
ただ婚約者であるノジャ本人は、それが気に食わなかったらしい。伯爵夫妻がいないところで、これ見よがしにノエルとくっつき、ベタベタの様を見せつけてきた。
ロゼッティよりも、可愛いが売りのノエルの方が彼の好みであるらしい。
叔父はこれを歓迎した。
あわよくば実の娘に嫁いでほしいのは当然だ。ノエルも、自分が伯爵家に嫁げるかもしれないと思って、より一層自分の容姿に磨きをかけるようになった。どれだけロゼッティが、子爵令嬢らしさとは顔だけではないことを説いても、ノエルは聞く耳を持たなかった。
叔父家族から偏った食事しか与えられず、ストレスのせいもあって太り始めた15歳。もうおまえなんて見たくないと拒絶された16歳。婚約者なのに一年間一度も会わずに婚約破棄を申し込まれた17歳の初春。
さらにそこから、もう一か月が過ぎようとしていた。
ノジャがノエルに鞍替えしたことで、叔父からの嫌がらせが増えることは予想できた。なのでロゼッティは、荷物をまとめて邸を出た。もう捨てるのだ、あの場所を。
幼い頃に両親と過ごした家を、こんな形で出るのは嫌だった。けれど、あの家には一つとして思い出の品なんて残っていない。大抵のものは叔父が売り払ってしまったし、両親との写真は「ついうっかり」なんてふざけた理由で燃やされてしまった。
幸い、ロゼッティには味方が多い。
邸にいた頃は、侍女長を始めとした多くの侍女に好かれていた。叔父家族が来てもそれは変わらなかった。みんなロゼッティが好きで、後からやってきた叔父家族を嫌っている。愚痴大会なんてよくやったもの。
侍女長カルラには、今回の家出の手伝いをしてもらった。家を出る直前には、決して多くない給料から小切手まで出してくれた侍女長カルラ。涙ながらに抱き合って、別れを惜しんだ。
「あとで、必ずロゼッティ様のおそばに参ります」
家を出る際、カルラを筆頭にして侍女たちはそう言ってくれた。とても嬉しかった。
ロゼッティはいま、みんなの思いを胸に秘めて、ノッカーに手を伸ばしていた。
「ファルヴァン・ヨハイム様にお目通りしたく存じます。わたくしは、先日の信書にてアポイントを取りましたロゼッティでございます」
ヨハイム家は侯爵のお家柄。
本来なら繋がりの少ない上位爵位の存在だけれど、ファルヴァンという男性こそ、侍女長が信頼できると太鼓判を押した人物。
実は侍女長の姉が、ヨハイム家と繋がりのある家で侍女長をしている。その縁もあり、ヨハイム侯爵家とランドム子爵家には交流があった。ファルヴァンは次期侯爵の地位にあるが、気さくで話しやすい。
父がまだ生きていた頃、ロゼッティは何度かファルヴァンと言葉を交わしたことがある。
もう六年以上も昔の話だ。
(きっと素敵な紳士になられたのでしょうね)
少しだけ、胸の鼓動が早くなる。
しばらくして、ガチャりと玄関が開いた。
執事の方に淑女の礼をして挨拶する。
「これはこれは、ロゼッティ様。ささ、中へどうぞ。ファルヴァン様が首を長くして待っておられます」
何度か廊下を曲がり、応接室へ。
「ファルヴァン様。ロゼッティ様が到着なされました」
「入ってくれ」
覚えのある声よりも低い。
それもそうか、あのときはまだ声替わり前だったから。
「失礼します」
部屋に入るなり、ロゼッティは淑やかな礼をする。
「このたびはわたくしの話を聞き入れてくださりありがとうございます。ロゼッティにございます」
「……」
どれだけ待てども返しの挨拶がない。
正直、ずっと”礼”をするのは疲れるのだ。
「ファルヴァン様。ファルヴァン様!」
「……ああ、呼んだか?」
「いくらロゼッティ様と会えたのが嬉しかったとはいえ、いくらなんでも見惚れすぎでございます」
(見惚れて……?)
「ああ、申し訳ないロゼッティ嬢。どうか面をあげてくれ」
言われてようやく、ロゼッティは礼を解いた。
長い黒髪に青い瞳、すっと通った
「辛かっただろう」
侍女長カルラが書いた手紙を、本当に読んでくれていたようだ。身内の嫌な部分を見せるのは心苦しかったけれど、彼はその話を聞いて、辛いならこっちにおいで、と文をしたためてくれた。
もちろん、ただで居候するつもりなどない。
どんな雑用でもこなしていくつもりだ。ロゼッティにはその覚悟があった。
「これからお世話になります。よろしくお願い致します」
「ああ。でも俺は、君を家で働かせるつもりはない」
「それは、つまり……私はいらない……?」
「違うそうじゃない! ……その、あの……なんだ、俺にとってロゼッティ嬢は……」
「初恋の人ですからね。これを機に結婚を進めていきますよ、ロゼッティ様」
「こらウィル爺! 余計な事を言うな!!」
ファルヴァントは顔を赤くして、ウィルという初老の執事に言い寄った。
「け、っこん……?」
「いや、今のは聞かなかったことにしてくれ」
「それは無理でございますね……しっかり覚えてしまいました」
「だよな……」
確かに、ロゼッティにとってファルヴァントは素敵な男性だ。
身長はかなり伸びているけれど、あの時の気さくさ、優しさが溢れている。彼が次期侯爵でなければ、きっと本気で恋をしていただろう。
「大丈夫だ、君の気持ちを聞かずにそんな勝手なことはしない。辛い事もたくさんあって、誰かと結婚するなんて考えられないかもしれない。だから、君が落ち着くまで俺は待っているよ」
「…………あ」
「ど、どうした!?」
「いえ、嬉しかっただけです。こんなに私のことを思ってくれる人がいる。その事実が嬉しいのです」
目から溢れた涙を、ファルヴァントはそっと拭ってくれた。
「これからは俺がロゼッティ嬢を……いや、もう結婚したい気持ちを隠す必要はなくなったから……ロゼ、君を守ろう」
「ありがとうございます。ファルヴァント様」
こうして、ロゼッティはヨハイム家の居候兼将来の花嫁として、温かく迎え入れられたのだった。
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