第13話 王立魔法学園生活、はじまる!(8)
それからマリエラはヴァンを無視し尽くした。ホームクラスの席では真後ろに座っているが、空気のような扱いを徹底した。謝罪があれば受け入れようと思っていたが、それはなかった。
そうして一ヶ月が過ぎ、少し寒くなってきて、マリエラはブレザーの下にウールのカーディガンを着るようになった。
「マリエラ、今日の放課後ちょっといい? ソフィーさんも一緒に」
休み時間、フィリップにコッソリそう言われては頷くしかない。
「ありがと。ロイが部室に迎えに行くから待っていて」
ロイというと、攻略キャラのロイ・オーガストだろう。国の諜報機関の元締めである彼の家と王家は懇意のはずだ。
放課後、マガク部にてロイを待った。彼とはクラスが違い交流することがなく、ソフィーの好感度も分からない。
「ソフィーさんもロイ様をご存じでしたっけ?」
「はい。入学当時、学園で迷っていたときに偶然助けてもらったことがあります。結構奥深くの方まで迷い込んでしまっていたみたいで、特別な用がない限りは来ない方がいいと教えてくれました。紳士的な方でした」
ロイの方は偵察だとか家業の仕事をしていたのだろうなと察する。
「それからお会いになったことはあります?」
「うーん、同じ授業を一つ取っていると思うんですが、大講義室のものですし、向こうは気付いていないのかもしれません」
ロイのルートはあまり進んでいないようである。
しばらく課題をしながら待っていると、マガク部の扉がノックされた。「失礼します」と断りを入れて客人は入室し、彼はきれいなお辞儀をした。
「一年のロイ・オーガストです。部員であるマリエラ様とソフィー様をお迎えにきました。部活動中、お邪魔して申し訳ありません」
丁寧に、流れる水のように話す彼に部員たちは惚けた。見惚れるとは違う、不思議な心地がするのだ。マリエラはそれが諜報員である彼の特性なのだと知っている。
「ありがとうございます。行きましょうソフィーさん」
「……あっ、はい」
マリエラたちはロイについていった。東棟から北棟に移り、階段を上りまた移動して螺旋階段を上る。森がよく見える渡り廊下を歩き、階段を下りてまた上がる。まるで巨大迷路を行くようだった。一体何処に連れて行く気なのか。
「なんだか一度ここに来たような気がします」
「そうですね。ソフィー様はこのあたりで迷子になっていました」
「その節はありがとうございました……!」
「こんなところまで迷いこむなんて、スパイか暗殺者かと思いましたよ」
ソフィーは冗談だと思って朗らかに笑っているが、マリエラはそれがロイの本心だと分かって笑えなかった。学園には様々な仕掛けや隠し通路があると聞いている。
「こちらになります。お入りください」
教室のものと遜色ない扉だった。ただし、縁とドアノブが金でできてある。
ロイが開けてくれた先は、まるで貴族邸宅の一室だった。見るからに高級そうな家具やソファ、色味は白と金で整えられ、執務机らしい場所にフィリップが座っている。
「二人とも来てくれてありがとう。ごめんねわざわざここまで」
「学園のなかにこんな部屋があるとは。王家専用ですか?」
「そうだよ。まぁあんまり使わないんだけどね、遠いから」
まぁ座って、と促されてマリエラとソフィーは横長のソファに並んで座った。フィリップがその向かいに座り、ロイは部屋の隅に用意されている小さなキッチンで飲み物を用意してくれている。
「用事があるのはマリエラなんだ。ソフィーさんに来てもらったのは、でないとマリエラが来てくれなさそうなのと、君がいると場が和むから。ごめんね」
大丈夫です、とソフィーは頷く。二人とも、そんなところだろうと思っていた。
「マリエラさ、ヴァンと仲直りする気ない?」
「喧嘩をしているわけではないです」
口から出た声は存外にツンとしていた。フィリップもソフィーも『ほんとうに?』という言葉を顔に貼り付けてマリエラを見てくる。ソフィーにはちゃんと説明しているのに、それでも喧嘩だと思っているらしい。
「ヴァン様が謝罪するなら受け入れます」
「あれが素直に謝ると思う?」
「甘やかしすぎでは?」
「耳が痛いね」
そこにロイがどうぞと三人分のカップを置いてくれた。フィリップにはコーヒーを、マリエラにはダージリン、ソフィーにはココアだ。それぞれの好みを把握しているのだ――喋ったこともないのに。ソフィーは嬉しそうに顔を綻ばせている。
「ありがとうございます。ココア、とても好きなんです」
「それは良かったです。ソフィー様はココアがお好きそうな気がしたので」
「えー! すごいですねロイ様。そんなことも分かっちゃうんですね」
ソフィーは素直に感心している様子である。
(違うのよソフィーさん。ロイはきっと、全校生徒の好みを把握している……人に知られたくない秘密もともに……)
ロイの細い体は孤独の匂いを纏っている。そんな彼が、にこにこと微笑むソフィーを見てふっと表情を和ませた。
(ソフィーの毒気のなさは周囲を浄化していく力があるよね)
「ヴァンがね、ぼーっとしている」
フィリップが一大事のように言うのだが、マリエラとしては『だからどうした』である。
「この数週間、覇気がないんだよ」
「私、上級生のお姉様方からキャアキャア言われてウインクを返していたの、今日も見ましたけれど」
「学園での外面の話だろう? 寮の部屋ではもう、無気力にぼーっとしているんだ」
「今まできっと忙しかったでしょうから、そういう時期があってもよろしいのでは?」
「……マリエラ絡みだと思うんだけど、どうせヴァンがやらかしたんでしょ? 何しでかしたのか、聞いても答えてくれないし。……そこで、マリエラに聞こうと思ったんだ」
フィリップには何も言っていないのか。マリエラは小さく鼻を鳴らした。
「昔からあいつ、マリエラにはちょっかいかけてるでしょ。今回に至ってはそのマリエラがこんなに怒った態度を出すなんて何をしたんだろ、って僕も気にはなってたんだ。教えてくれる?」
「いいですわ。ヴァン様に言われたこと、一言一句漏らさぬようお教えします」
マリエラはヴァンが部室に来たところから説明した。ベンチに座って拘束され、性的快感を得るために『俺が手伝ってあげようか?』と言われたくだりもきっちりと。
フィリップは顔を赤くして床を見た。ロイは溜め息をつき、二度目のソフィーは苦笑い。
「それは……本当に、ヴァンが、ごめん。あとこんなことを女性の口から言わせて申し訳ない」
「それは大丈夫ですわ。はずかしむことはしていませんもの、平気です」
なにせ前世はエロゲも大好きだった雑食オタクなのである。湧き上がってくるのは羞恥よりも怒りだ。
うなだれたフィリップは「あいつはなんだってこう……」とゴニョゴニョ呟いている。
「そういう訳なのです。喧嘩ではありません。私は怒っています」
「そうだね、怒っているね……。ヴァンって、多分人に謝ったことがないだろうから、謝り方が分からないのだと思うんだよ」
そんなことだろうと思っていた。
(あれ? でもそういえば……吸魔ヒルの毒に倒れたときは『守れなくてごめんね』って言い去って行ったな)
「最近のヴァン様、マリエラ様のことよく見てますよね。迷子の子どもみたいな目で」
しみじみ言うソフィーにフィリップが深く頷く。
「マリエラの説明を聞いて分かったよ。最初から最後まで完全に自分が悪いことをしたから、謝ろうにもプライドと羞恥が邪魔して、かつマリエラが目すら合わせてくれないから、どうしたらいいのか分からなくて袋小路なんだろうね」
「もしヴァン様のような扱いをマリエラ様にされたら、私、きっと寝込みます」
ソフィーが両手を握り合わせてそっと言った。そんなにだろうか。
「マリエラには本当に申し訳ないのだけど、タイミングを、作ってやってくれないだろうか。ヴァンが謝るチャンスを作ってやって欲しい」
「嫌ですわ。そのくらい自分で作るべきです」
「う、うん。タイミングなんて自分で喋りかけたらいいだろ、とは僕も思うよ? ただね、その――僕も困っていて。ヴァンがボーッとしてるって言ったでしょう。しらっとした顔の裏でストレスを抱えてるみたいで、発火現象を起こすんだよね……無意識に発火して、無意識で鎮火するんだけど、あいつの魔力量を考えるとちょっと怖いんだよね」
「エッ。無意識に発火って、どこでですか?」
「僕たちの部屋の中が多いよ。部屋の外を出ると外面をかぶるからね、ヴァンは」
ひぇ、と口に手を当てた。
隣のソフィーが、おそるおそる発火現象について訊ねる。
「体内を巡っているはずの魔力がね、ストレスとか体調の変化だとか、そういう要因で外に漏れ出して運悪く火を熾す現象だよ。ヴァンのはねぇ、マッチの火みたいな小さいやつじゃなくて、パァァンッ! って小さい花火みたいな発火を起こすんだよ……。その瞬間、氷魔法で包んで消火してくれるけどね、程度が少しずつ大きくなってるからね」
「わー……さすが特等級魔法使い」
規模も全然違う。それはフィリップも心配になるわけである。
そこにコトンとクッキーが盛られた皿が置かれた。トランプ柄モチーフのボックスクッキーである。ロイが話に入ってきた。
「ヴァンさんの精神は今まですこぶる安定していました。幼少期は膨大な魔力に振り回されていましたが、彼の精神はとても強かった。天才の資質に胡座をかくことなく鍛錬に鍛錬を重ね、特等級を取得。アカデミーに来てようやくボーッとしたことは、彼にとって良いことだと思いました。けれど発火現象の頻度が上がっています。このへんで一度止めないと。彼の一進一退はこの国に多大な影響を及ぼします」
だからロイ――オーガスト家は彼を注視しているのだ。ニコリと冷めた瞳で見つめられ、マリエラは背筋が伸びた。
「ご協力いただけますか、マリエラ様」
二股にわかれた帽子柄はジョーカーを意味しているのだろう。マリエラは無言でそのクッキーを囓り、小さく頷いた。
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