真夜中のトライアングル

菜月

真夜中のトライアングル


 伊織の家は居心地が良い。

 

 彼女の実家は愛媛のどこかで、進学と同時に借りたというこの家は、大学から徒歩5分という距離で、貧乏学生が住むには有難い鉄筋コンクリ―ト二階の角部屋だ。伊織はいつも狭いキッチンに文句を言っていたけれど、僕からしたら、台所と生活空間の間に扉がある1DKというだけで羨ましい。


 僕の1Kのぼろアパート(しかも2駅先)よりよっぽど暮らしやすいのに、家賃もそう変わらないと聞いたときには、不動産屋に行く前に伊織と出会いたかったと心底思ったものだった。


 余分な荷物のない室内は、伊織の性格を表していると思う。甘ったるいルームフレグランスの匂いがすることもなく無味無臭で、家具もシンプルな色味ばかりのこの家は、僕にとっても涼太にとっても快適で。詳しい経緯は省くけれど、一年で実習グループが同じになった瞬間から二人とも入り浸っていた。


 我が物顔で涼太が扉を開け、ソファに転がる。あとから入ってきた伊織は小さな鞄を放り投げるように置くと同時に冷蔵庫を開けた。


「飲むでしょ。ビール?」

「あー、うん」


 気の無い返事をした涼太に、伊織は缶を投げた。


「って自分は梅酒かよ」


 実家から送られてきたという自家製の梅酒の瓶を開けている伊織に、涼太は寝転がったまま突っ込んだ。


「特別な時に飲むって決めてるの」

「しかもヨーグルト割……」


 伊織はいつも梅酒のカルピス割だとかウーロン茶割だとか、ちょっと理解できない割り方をするから、ヨーグルトでもマシかもしれない。


「愛先輩はヨーグルト割美味しいって言ってたよ」

「あの人、実は甘党だから」


 涼太は自分の彼女のことを話すとき、恥ずかしいのか妙に他人行儀になる。

二つ年上でもう社会人だからだろうか。「彼女」と呼ぶのが躊躇われるらしい。


「愛先輩は可愛いって。背高くてすらっとしてるけど、絶対乙女。涼太にもでれでれなんでしょ」

「知らねーよ」


 この中では、涼太と愛先輩のカップルの付き合いが一番長い。先輩が大学3年の夏休みに涼太の猛アタックで付き合い始めたから、もう三年目になるはずだ。

 僕と彼女のかなめが付き合い始めたのが、ちょうどその一年後だからよく覚えている。


「あーあ、私も彼氏ほしいなあ」

「この前付き合ってた、あのひょろ男はどうしたんだよ」

「別れたよ。三か月の記念日が来る前に。面倒になったとか言われて」

「何か月とかいう記念日数えてるから、面倒って言われるんじゃないの」


 ローテーブルに突っ伏した伊織は、延々とぶつぶつ文句を言っている。

 伊織は今年初めに、そこそこ長く付き合っていた同級生と別れてから、意気消沈気味だ。


「伊織は見た目小動物系なのに、中身おっさんだからなあ」

「思ってたのと違ったって言われた。また言われた!」


 ぷんすかと怒りながら、伊織は梅酒のヨーグルト割を飲み干した。

 それでもおかわりを注ぐ気はないのか、テーブルに突っ伏したままだ。


「ていうかさ、俺らからかなめちゃんに言う?」


 涼太は珍しく、ちびちびとビールを飲んでいる。いつも最初の一本は流し込むように飲むくせに。


「そうだよね。きっと知らないよね、ご両親も彼女のこととか」

「紹介した、とか聞いたことないもんなあ。伊織、かなめちゃんの連絡先わかる?」

「ラインならわかる、と思う」

「おう」


 伊織はスマホの画面に指を滑らせて、不意に止めた。


「え、待って。ラインで言うの。私が?」

「ライン電話しろよ」

「あ、そっか。うん」

「……まあ、もうちょい待つか」


 カチカチと秒針の刻む音が室内に響いている。

 そういえば、三人でいるときに音楽をかけることがなかったなと思い至る。大体涼太がソファで、僕が床に置いてあるビーズクッションで、伊織が台所のスツールを持ってきて居場所を陣取ることが多くて、それぞれが勝手に携帯ゲームをしていたり、レポートやったり本を読んでいることもあって。沈黙は多かったはずだけど、それを音で埋めようという気持ちには、なぜか三人ともならなかった。


 だから、この部屋の秒針の音を、初めて聞いた気がした。


「伊織さ、俺もうここ来ないわ」

 ぽつりと涼太が言った。

「そう、だよね」

 伊織は怒るでも泣くでもなく、静かに同意する。


「すげー好きだったよ。伊織と瞬と一緒にいるの。でもやっぱり、おかしいもんな。男2人に女1人ならありなんだろうけど、二人っきりっていうのは」

「うん。私もそう思うよ。あ、でもさ、かなめちゃんに電話するまではいてよ」

「当たり前だろ。ていうか俺がかわるわ。微妙だろ、女の口から、自分の彼氏が死んだって言われるの」

「そっか。そうだよね」

「こんなに気を遣わせるなって話だよなあ」

「いいんだよ。瞬のためなんだから」

「なんで事故になんかあうかなあ」


 そう言ったきり涼太は黙り込んだ。伊織の目からぽろぽろと涙が零れているのが見えた。


 ごめん。ありがとう。

 いつもこうやって二人は僕のことを大事にしてくれた。有難い親友だ。

 だから僕は実家でもなくかなめの元でもなく、最後にここにやってきたのかもしれない。

 二人に出会えて、幸せだったよ。

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真夜中のトライアングル 菜月 @natsuki_novel

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