第23話 ゆめの終わりを、知りましょう
朝がきて、アルティエールはスープをつくり、レクスは黒い術師団の制服に身を包む。
エルレアはアルティエールと並んで彼を送りだし、すこし話をして、いっしょに市場へむかった。青菜と麦と、果物を求めた。道ながら会話をして、そのときエルレアは、自分が笑っていることに気がついた。
いまがいつか、ここがどこか。自分は、彼らはここで、なにをしているのか。そんな疑問の質量は、いつしか目の前の幸福なふたりの陰に溶解していた。
夜は、また三人で食卓をかこんで、アルティエールは幼い頃からの思い出を、レクスは彼からみたアルティエールの失敗や、そのしぐさの愛らしさを冗談めかしてたくさん話した。レクスの肩をアルティエールが軽くたたいて、そのときの彼女の表情がどんなにやさしく、しあわせな色に輝いていたかを、エルレアはその夜なんども思い出した。
つぎの日は雨で、レクスのしごとも休みだったから、また、たくさんの話をした。レクスはお茶を淹れるのが上手だった。アルティエールは雨がしずかにうちつける窓を見上げて、幼い頃は恐れられ、それを理由に虐められた彼女のちからが、やがて街のひとたちの困りごとのために役立つことがわかって、どれだけ救われたかを、ゆっくりと、長い時間をかけて話した。
夜がきて、朝がくる。また夜がきて、そうして、なんどかそれを繰り返した。
目が覚めると、場面は、深夜だった。
長椅子に腰を下ろすアルティエール、隣にすわってその肩に手をかけるレクス。エルレアは傍に立ち、ちいさく灯されたあかりに揺れるふたりの姿を見下ろしていた。
彼らのすがたは霞んでいた。霧のむこうにいるかのように、薄いカーテンに遮られるように。手が届く位置にいるのに、現実味がない。舞台のうえの役者をみているようだとエルレアは感じた。
「……アルティ、レクス」
いつものように呼びかけたが、ふたりは応えない。声がとどいていなかった。エルレアの姿も、ふたりに見えてはいないようだった。
「……ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい」
アルティエールが俯いて呟く。その肩を強く掴んで、レクスは小さく叫んだ。
「なにいってるんだ……! 君が謝る理由なんてない。なぜ謝るんだ」
「……いつかこうなるんじゃないかって、わかってた。でも、甘えちゃった。あなたに。街のひとに。みんなが喜ぶかおが嬉しかったから」
「当たり前じゃないか。君はみんなを支えたんだ。君のちからに、君の気持ちにどれだけみんなが感謝してるか、知ってるだろう。僕だって同じだ。甘えたのは……僕のほうだ」
「あなたが、わたしに……?」
「君をまもらなきゃいけなかった。誰の手も及ばない遠いところで。僕が、ぜんぶ背負って。だけど……この街で、僕らが生まれて育ったこの場所で、ふたりで笑って毎日を送る。そんな、そんな当たり前のことが、どうしても諦められなかった」
「……」
「だから、今回のことは、僕の責任だ。僕が始末をつける」
レクスの瞳が、炎をともしていた。エルレアはその色に、忘れかけていたジェクリルの横顔と、その紅い髪を見出した。
「教条派の術師が王室と結びついたのは知っていた。彼らは、楽園に由来しないちから、神式以外のちからを許さない。アルティエールのような、素晴らしい自然のちからを」
そういって、レクスは妻のほそい指をそっと持ち上げ、やさしく撫でた。
「そんなちからに<魔式>なんていう名前までつけて、排斥しようとしていた。だけど、こんなに急速に勢力を伸ばすとは思わなかった。まして……魔式狩りなんて。そんなことは、絶対にさせない。僕がとめる」
「……ほまれ高い術師団に加わって、神式を学んで、この街を護るためにたたかう。それが、ちいさい頃からの夢だったよね。その夢、かなえた夢をだいじにして」
アルティエールはレクスの方をみないまま、微笑った。
「あなたの夢はね、わたしの夢でもあるの。わたしはたくさん、たくさん素敵な毎日をもらった。たくさんの、ほんとうに綺麗な風景をみさせてもらった。だからもう、大丈夫。その思い出だけで生きていける」
「なに、なにを……言ってるんだ」
「あした、この街をでていく。あなたがわたし……魔式の術者と暮らしていることが伝わるまえに」
アルティエールの呼吸がとまる。レクスの腕が、彼女をあまりにも強く抱きしめたためだった。レクスの胸のなかはとても熱く、身動きもできなかったから、アルティエールはとうとう、溜めていた涙をこぼしてしまった。
「……君は、僕といるんだ。僕と、ここに、ここにいるんだ!」
「……わたしは追われるの。いっしょにはいられない。あなたに迷惑をかけたくない」
「迷惑なんて……ばかな、ばかな」
アルティエールの肩を掴んで、正面からその目をみつめる。
「君を失うくらいなら……君を追うような街なら、僕がこの手で……」
と、ふたりの姿が不自然にとまった。時間と空間が凍りつく。ざざっ、と砂を轢くような音がして、エルレアの視野が閉ざされた。瞬時の闇。場面が変わった。
朝を迎えている。レクスが出かける。戸口にたって見送るアルティエール。レクスの背中に覚悟が見えた。おそらく今日、彼は、術師団と対決するのだろう。職をうしなうかもしれず、無事に帰ることもできないかもしれない。
アルティエールは真っ赤な目をずっと彼に向けて、その姿が角を曲がってみえなくなるまで、いや、見えなくなっても、立ち尽くしていた。
エルレアはアルティエールの肩に手をかけようとしたが、できなかった。触れられないだろうし、うごけなかった。
場面がふたたび切り替わる。夕刻。陽が落ちかけるころ。
エルレアにはもはや、抽象的な絵画のような風景としてみえている。
その風景のなか。音をきいて、アルティエールははっと窓のほうに振り返った。遠くの空が紅い。残照ではない。ひとの騒ぐ声が徐々に大きくなってくる。火事だった。
彼女は立ち上がり、しかしわずかな間、迷った。椅子に掛けてあるレクスの室内着に目をやる。手を伸ばしてそれをとり、頬におしあてた。目を閉じている。しばらく動かずにいたが、やがて名残惜しそうに、丁寧に畳んで、椅子に戻した。
部屋のなかをみまわす。彼女の、いちばん大事な、ふるさとを。
ふるさとを、ぜったいに忘れないように。
走り出した。すでに街のあちこちから火の手があがっている。こんなに大きな火災はこれまで経験したことがなかった。走りながら、みずからを火と熱から守るわざを使った。
手近の火元についた。強烈な熱と、煙。ひとびとが周りの家を打ち壊そうとしている。延焼を防ぐためだ。アルティエールは息を吸い込み、胸に両手をあて、ばっと左右に開いた。手のひらを対象の家にむける。建物がゆらぐ。内部に引き込まれるように、うえから何かのちからで潰されるかのように、ひといきに崩壊した。
人々がアルティエールを見る。炎に照らされ、夕闇のなかで、彼女の漆黒の髪がしずかに輝いている。まいにちのように彼女が接してきた人々の目は、おそれとも、崇敬ともとれる色を浮かべていた。
走る。はしる。たどり着いた順に火をおさめ、水を呼び、建物を除去し、みちをつくって、やがて気が付けば、囲まれていた。
「……魔式の術者、だな」
誘われていたことはなかばわかっていた。アルティエールは未来を見通すちからはもっていない。だが、向けられた悪意、自分を見つめるみえない視線の意味を解釈することはできた。そしてその視線は、家を出る前からずっと、自分に向けられていた。
アルティエールは、彼女を囲む黒い制服の術師団の男たちをひとりずつ、みた。レクスの友人はいない。なら、おそれることはない。すべきことをするだけだった。
「……わたしを誘いだすために、街に火を放ったの?」
術師団のなかのひとり、金色の徽章を胸につけた男が前にでた。
「怪しきちからを使う魔物。その巣窟に踏み込んでは、いかに我らとて無事ではすまないだろうからな」
魔物、ということばがアルティエールの頬をすこし緩めた。くだらないと思ったし、レクスがきいたら怒るだろうな、とも思った。その微笑は、しかし、目の前の男の不興を買ったようだった。
「貴様のことはずっと見ていた。強い魔式をつかう怪しいものが潜んでいる、という情報でな。だが、確信がなかった。街のものはなぜか貴様をかばうから、証拠がなかった。それに……」
ことばを切って、男は口角をもちあげた。
「術士団に属するレクスの身内でもあるからな。慎重に動かなければならなかった。だが、あの男もこれで終わりだ」
夫の名をきいて、こんどはアルティエールの表情がかわる。髪が、ざわめく。黒い光の粒子が彼女のまわりに浮かぶ。
「夫は……レクスは関係ない」
男は、嘲笑した。
◇
第二十三話、たくさんの想いが、呪いに変わる日。
今後ともエルレアを見守ってあげてください。
またすぐ、お会いしましょう。
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