第20話 わたしは咎を、背負いましょう


 ユトラスは周囲を素早く見回した。伏たちを探す。が、見えない。


 「封じました。命をもたないものは、わたしには……女神ゼディアのちからには、勝てない。もとの骸に戻っています」


 ユシアが呼吸を整えながら静かにつげる。もはや、最前の怯えは残っていない。


 その手印はユトラスを拘束するエルレアとレリアンを保護しつつ、周囲に女神ゼディアの絶対領域を形成していた。その内部では、他の現神のちからで生成されたものは存続が許されない。


 骸に仮のいのちを与え使役する。そのことが、ユトラスがどういった由来のものであるのかを如実に示していた。


 「……そうか。やはり<楽園>の、ゼディアの聖女であったか」


 ユトラスはため息をついた。すでに拘束を解きつつある。


 「ウィズスさまの眷属に、ゼディアの聖女が肩入れする、か。ふん。なんの冗談だろうな」


 先ほどの炎熱攻撃で膝を折り、装束をふくむ全身が爛れたようになっているが、痛手を負ったようには見えない。左右の手をぐっと引っ張るような仕草をし、それをまたひらく。その瞬間に拘束は無効となり、反動でエルレアとレリアンは体勢を崩す。


 機を逃さず、ユトラスの脚は両腕を支点に地表を撫でる刃のように回転し、ふたりを薙ぎ払った。エルレアは転倒し、レリアンは辛うじて反転した。


 そのエルレアをまたぐように、すでにユトラスが立っている。表情のない顔を正面に向けたまま、赫く煌る目だけをエルレアに落とす。エルレアは動けない。


 「エルレア。わたしのことを、おぼえているかね?」


 「……?」


 「懐かしい再会だ。あのときおまえは、泣いていた。我が門の前でね。きょうだいを自らの手で永劫の懲罰へ堕とし、母君を絶望へ追いやり、おまえは泣いていた」


 下の唇を親指でぬぐうような動作をして、ユトラスはふん、と軽蔑するように息をはいた。


 「今日は、泣かないのかね」


 エルレアの脳裏に、巨大な赫い目が浮かぶ。頭を振って、目を強く閉じて、唇を噛み、映像から逃れようともがく。が、目は、離れない。胸が爆ぜる。背がのけぞる。呼吸がとまる。


 そのとき、ユトラスをふたつの刃が襲った。


 背後からのレリアンの回し蹴りは身体を前に折って回避したが、その顔面をユシアの膝が捉えた。ひとの目には映らない速度まで加速した彼女の打擲は、ユトラスの身体を少し離れた建物の壁面に打ち付けるに十分な衝撃を伴った。


 ユトラスは、がはっ、という声をだし、壁に沿って崩れ落ちた。その支配を脱した周囲の衛兵と術師たちも、動力をうしなった玩具のように動きを止め、倒れた。


 「エーレさま……っ!」


 「おい! エルレア! おい!」


 エルレアは、ふたりの声に呼び戻された。レリアンの膝に頭を乗せられている。ユシアが鎮静の神式を発動し、エルレアのうなじに手をあてている。


 「……ユシア……あれは……?」


 薄く目をあけて問うエルレア。ユシアは目を伏せ、ほんのしばらく迷ってから応えた。


 「……門を司るもの。永劫の闇へつながる門を護る現神、ユトラス。ウィズスの子、あなたのきょうだいを封じているものです」


 「……っ!」


 がばっ、と身を起こすエルレア。


 レリアンが背に手を当てる。エルレアの目は、いまだ立ち上がれないユトラスを見据えている。その瞳の色は、怒りや恐れというより哀しみにちかいと、こんな時でもレリアンは感じた。


 そのとき、突風が彼らを襲った。吹き飛ばされ、転がる三人。


 ユトラスが首を不自然に捻じ曲げ、立っていた。


 なでつけていた髪は逆立ち、真っ白だったはずのそれは、赫い色を帯びていた。


 眼鏡の右は割れ、左は失われている。しかし、それを指でもちあげ、ユトラスは嘲笑った。先ほどの攻撃で右のほほが深く抉れ、肉の奥に口蓋がみえている。しかし、気にするそぶりはない。甲高い、硝子を石で削るような声を出す。


 「エルレア。君はまちがったのだ。懲罰を受けるべきは、君だ」


 三人は即座に立ち上がり、構えた。ユトラスは躊躇わずに歩を進める。


 「ウィズスさまの計らいは、正しかった。間違っていなかった。神のやしろの更新のときは近かった。我ら現神の多くも応じた。摂理だったのだ。きめられたみちだった。であるのに……」


 ユトラスの姿が揺れ、消えた。エルレアの横にたっている。首を掴む。持ち上げられた腕のなかで、エルレアの目が苦悶に見開かれた。


 「おまえが、なぜおまえだけが、まつろわなかった。精霊の筆頭たるおまえが、なぜ、世のことわりを理解しない。大いなる意味を、理解しない……!」


 レリアンが瞬時に繰り出した数十の斬撃は、すべてユトラスを透過した。ユシアは数歩さがって拘束と身体機能停止の神式を指向発動する。が、それもまた無効とされた。


 「……い、み、など」


 エルレアが辛うじてことばを絞り出す。


 「……いみなど……しりたくない……なぜ、あたらしい、かみ、ひつよう……」


 「エーレさまっ!」


 走り寄ったユシアがエルレアの背に手を当てる。強く念じ、想いを注ぐ。ユトラスがユシアの脇腹に膝を打ちつけるのと、エルレアが閃光に包まれるのは同時だった。しゅっ、と空気が裂けるような音。エルレアの身体は瞬時、実体を失ってユトラスの腕をはなれた。


 倒れ伏したエーレにレリアンが駆け寄り、引き寄せる。その前にユシアがたつ。痛む身体を庇いながら防御を展開する。レリアンの腕のなかで、深緑だったエーレの髪はまた、ゆっくりと栗色、エルレアのものにもどっていた。


 ユトラスはエルレアの首を握っていたはずの手を不思議そうにみつめ、彼らの方に向き直った。


 「眷属というものは、そんなこともできるのか。おもしろいな。勉強になる」


 エルレアがレリアンの腕のなかから身を起こす。立ちあがろうとし、よろめく。這いずるようにわずかずつ、前に進む。ユシアが留めようとするが、レリアンはそれを目で制止した。


 「し……神界とか、新しい世とか、そんなことは、しらない。それが必要だというのなら、そうなんだろう。だけど、わたしは、みんな、みんな、そのままで大好きだった、みんなそのままで、なにひとつ間違っていないと、おもっていた。だから、永遠に……」


 エルレアが地についた右の手のひらが、わずかに燐光を帯びた。地下のちからを汲み上げる。膝をたて、腕をあげ、そらにつなごうとするが、崩れ落ちる。レリアンが駆け寄って支え、右手を相手のそれに添える。ふたりの目が、同じ敵を捉える。


 「……ずっとそこに、みんな変わらずに、あってほしかっただけだ!」


 燐光が鋭い閃光に変化する。指先の一点に集約されたそれは、エルレアが叫んだ瞬間にユトラスに殺到した。到着と同時に爆散し、周囲の大気ごと、空間を切除する。


 ユトラスによって無効化された神式は直截の効果をもたらさない。だが、狂気のような轟音とともに流れ込む膨大な大気圧の刃が、その身体をいくつかの塊に切断していた。


 ユトラスだったものは、くろい飛沫をふき、地に落ちた。エルレアもまた、支えるレリアンの腕の中に崩れ落ちる。


 が、切断されたはずのユトラスの身体、その断面から、無数のくろい触手のようなものが伸ばされている。それぞれが接し合い、つながり、引き合って徐々に咬合する。ややあって、ユトラスは、立ち上がった。


 その表情は、もはやひとのものではない。目を背けたくなるような眼差しの奥、眼窩の底で赫い蜥蜴の瞳だけが光っていた。


 エルレアは意識を失いかけている。レリアンはユシアと目を見合わせ、頷いた。エルレアをしずかに寝かせ、ユシアと並んで立ち上がる。小さくなにかを呟く。それが別れのことばであることは誰にもわからない。


 「……おい、貴様」


 レリアンがゆらっと前に進み出る。上目にユトラスをとらえ、抑揚のない声を出した。術師団のレリアンはそこにいない。誰かのために、大事なもののために、いのちを張ろうとする、ひとりの不器用な男が立っているだけだった。


 「現神? 摂理? そんなものは知らん。興味もない。わかってるのはひとつだけだ。貴様は、エルレアに刃をむけた。俺たちに、刃を向けた」


 ユシアが右の手のひらを上に向け、蒼白い炎を浮かび上がらせながら、ことのほか静かな口調でレリアンに続けた。


 「門の守護者、現神ユトラス。神の摂理をあなたがいうのですか。そのやしろの意図に反して封じられたあなたが。冥界の王、女神ウィズスのちからで辛うじて現界に転生しえたあなた、ごとき、が」


 彼らの言葉にユトラスはわずかに揺れた。聞こえているのか、理解しているのかすら、もはやその表情からは読み取れない。


 それでも、口をわずかにあけ、歪んだ声を出した。


 「……くだらない遊びに時間を費やすのも虚しいことだ。まあ、よかろう。エルレアを連れて行くのは諦めよう。この場で、ただちに……」


 両腕がかかげられる。周囲の空間が昏くねじ曲がる。


 「……滅することと、しようか」


 レリアンとユシアが跳躍した。レリアンが展開した多層の防御神式は半実体化し、ユトラスへ向けて亜音速で迫った。それを回避しようとするユトラスの背後に、ユシアがいる。左右の指を奔らせる。物理存在のすべてを切り裂く斬撃は、しかし、ユトラスの背にわずかな傷を負わせるだけにとどまった。


 飛び退っていたレリアンが額の前で手印を組み、人差し指を振り下ろす。


 「多層加重貫通衝撃爆砕神式、雷撃っ!」


 はるか上空から放たれた凄まじい光の束がユトラスを打つ。衝撃波と雷鳴があとからついてきた。高熱に焼灼されて倒れかけたユトラスは、踏みとどまってユシアの背後に迫る。ユシアはわずかにかがみ、地を蹴って跳んだ。彼女の右腕がユトラスの頭頂に置かれ、そこを支点としてさかしまに直立する。


 「ゆえかたりてちぢまにゆくばるかみづての……神號っ、爆砕!」


 ユシアが叫ぶと共にユトラスの体内でなにかが爆ぜた。身体中のあなから黒い液体をはき、ユトラスがたおれる。


 地に立ち、息をつくふたり。が、目の前で、ユトラスはふたたびゆらりと立ち上がった。もはやひとの形をなしていない。爛れ、くずれて、黒く歪んだひとつの影。


 ユトラスが手を拡げる。周囲の空間が徐々に侵食される。虚無が、膨らんでいく。そこに触れたものは即時に形状を失った。間合いの範囲の建物、構造物がゆっくりと消失していく。


 レリアンはエルレアに駆け寄り、抱き上げた。ユシアがふたりを庇うように覆い被さる。ユトラスがこの世ならざるものの叫びをあげる。侵食が加速する。退避が間に合わない。


 レリアンがエルレアの耳元でささやこうとしたが、それすら、叶わなかった。


 彼らの意識は、そこで途切れた。


 ◇


 第二十話。今日もお会いできて嬉しいです。


 エルレアは向き合います。自分の過去に。おこないが許されるものだったのか、あやまちは、誰に帰属するのか。そのことを、正面から見据えます。


 今後ともエルレアを見守ってあげてください。


 またすぐ、お会いしましょう。


 

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