第12話 お初にお目にかかりましょう


 わたしが振り下ろした手刀に軽く手が添えられている。それだけで、すべての動きが封じられていた。


 あたまひとつ分ほど小さな相手。子供か。胸元でひかる女神の紋章。黄金のそれ以外は、身に纏うふわっとした衣服、頭髪、透き通るような肌をふくめて、すべて純白だった。


 「四十点。うーん……いや最後のが良かったからおまけだ! 五十点!」


 「……」


 コンよりは年上、おそらく十三、十四歳というところ。あどけないような表情なのに、切れ長の目がはなつ銀色のひかりはわたしを圧倒した。


 「あれ? 不満?」


 「……何者だ」


 わたしは上半身を捻り、左から蹴りを入れようと試みた。が、動けない。神式は感じない。存在自体を封じられるような、強烈な圧迫感だけがあった。


 「まだまだだなあ。先は長いね。いまならまだレリアンのが強いかもしれない。ねえ、レリアン」


 そういって倒れているレリアンの方を見る。レリアンはこちらを見て、呆然としている。瞬時に倒されたことに衝撃を受けているのか? 酸素が足りないとでもいうように口を開閉している。


 「……そ、その、お声は……」


 声? そういえば、さっき術師や聖女たちと闘っている最中に聞こえてきたのと同じ声だ、とわたしはそのとき初めて気がついた。


 改めて目の前の少年を見る。にっ、と銀の瞳が笑みをつくった。


 「エルレア。はじめまして、だね。でもずうっと見てるからそんな気がしないなあ。エーレとしては、なんどかうちに来たことあったし」


 「エ、エルレアっ! 下がれっ!」


 レリアンが叫ぶ。相手からはいま攻撃の気配を感じない。なぜ下がる、と思ってそちらを見ると、飛び退って両手をついて地面に伏していた。


 わけがわからず黙っていると、レリアンが悲壮な顔をしてふたたび叫んだ。

 

 「そ……その方は、あるじ、<主人>さまだっ!」


 言われても、まだ飲み込めず、わたしはまじまじと目の前の少年を見下ろした。にこにこと笑う少年。


 <主人>は、なんどかこの<楽園>で見たことがある。が、とても遠目だったし、常に聖女たちの後ろ、聖なる帷のむこうでローブを目深におろして鎮座されていた。そのお言葉は聖女が代わって下ろしたし、少なくともわたしは一度も聞いたことがない。


 さきほど襲ってきた術師たちから得た記憶の映像も、同じようにローブをかぶって、わたしたちを攻撃するように指示する、夢の中のような抽象的な映像だった。


 この国、いやひとの世のすべての成り立ちと行く末を支配する、女神の意思の執行者。


 それが、いま、この、目の前にいる……おられる、子供?


 やっと情報が脳に届き、そして筋肉に脳の指令が届いた。身体三つ分は飛び退った。額を地面に擦りつける、いや、叩きつける。


 「……も、もうしわけございませんっ!」


 「いいよ。蹴りも手刀もぜんぜん当たってないし」


 こともなげにそう言い、<主人>は埃をはらうような仕草をした。


 「でも最後のはすごかったねえ。久しぶりにいいもの見たよ。思わず興奮して出てきちゃったもん。あれ、なんていうの?」


 「えっ、あっ、最後……ば、ばくれつはさいしゅうきょくしんしき……」


 「へえ。あれ君のじゃないよね。レリアンからもらったの?」


 「は、はい」


 「そうかあ。やっぱりなあ。ママの言うのは正しかったんだ」


 「……ま、ま?」


 思わず地面から顔を上げる。はっ、と手で口を塞いで、しまったという顔をする<主人>。透きとおるような白い肌がみるみる朱に染まる。


 「い、いまの無し……それよりレリアン、そろそろ顔上げて」


 レリアンを見る。相変わらず地面に額を埋めている。震えているように見えた。


 「話しづらいからさあ……じゃあ、場所、戻すね」


 <主人>が上空を見上げる。両の手のひらを身体の前で空に向ける。手のひらの周囲が薄く輝く。ふわっと両手を合わせると、一陣の風が吹いた。


 小鳥のさえずり。うっすらと甘く漂う、季節の花の香り。足元にはやわらかい草が茂っている。


 周囲を白い建物に囲まれた、中庭のような場所だった。レリアンも気がつき、顔を上げる。差し込む優しい陽光を受けて、<主人>、そして聖女たちがしずかな笑顔をみせていた。


 「あっ、術師団は向こうで伸びてるよ。君たちにぶっとばされたからね……ほら、そんな格好もういいから。座って」


 促され、わたしとレリアンは顔を見合わせた。おそるおそる、そこにあった低い腰掛けに並んで座る。


 「じゃあ、改めて。僕は女神ゼディアの契約者。君たちには<主人>って呼ばれてる。その呼び方、あんまり好きじゃないけどね。僕らだけのときは、ソア、って呼んで」


 「……」


 なにも言えずに黙っていると、<主人>、ソアが笑った。


 「だってもう友達だし。ほら、殴り合いから芽生える友情ってやつさ」


 「……もっ、もうしわけご」


 ふたたび膝を折ろうとするわたしたちを、ソアは手を挙げて遮った。


 「あははは。先に手を出したの僕らだし、ちょっと面白かったし。まあ、まだ聖女たちのほうが強いかな」


 そう言って振り返る。聖女たちはおだやかに、わずかに頭を下げて微笑んだ。


 「さっきの場所、君たちが闘ってたのは<影>の世界。僕がつくったかりそめの空間だよ」


 「……で、では術師や聖女様たちは、実際には我らと……」


 レリアンが遠慮がちに声を出す。


 「いや、それはほんとに襲わせた。ごめんごめん。まあ思念体ではあったけどね。でも修行がたりないと身体にも傷は残るよ。君たちの同僚みたいにね」


 「……なにゆえ、我らを……?」


 「うん、マ……女神が君たちを呼んだんだけど、僕はこの目でたしかめないと気が済まなかったんだ」


 「め、めがみ……さま」


 レリアンは想像を超えることばをぶつけられ、思考が止まっているようだった。


 「レリアン、君にだけ、それ、託したでしょ。変だと思わなかった?」


 ソアがレリアンの懐を指差す。<証>のことだ。


 「……は、はい、王室にも術師団にも内密とのことで……」


 「そうすればエルレアと君は出会い、危機のなかで道を見つけて、ここにやってくるって女神はおっしゃったんだ。まあ因果律だよね」


 「……」


 「それともうひとつ、それを守るためさ……ちょっと貸して」


 あっ、という顔をして慌てて懐を探るレリアン。幾重にも重ねた頑丈な袋に<証>が収められている。丁重にソアに差し出す。


 「ここに……謹んで、お返し申し上げます」


 「うん、ありがと」


 ソアは左手に<証>の袋を載せ、右の手を掲げた。手のひらに熱が生じる。周囲の空気が集まり、焼かれて、鋭い光を帯びる。わたしとレリアンは、あっけにとられてそれを見守るほかなかった。


 「見ててね」


 ソアが目を細める。閃光が生じる。<証>が収められた袋は、爆煙に包まれた。


 「あっ……!」


 「なっ……?」


 わたしたちは腰を浮かせた。瞬時に氷の神式を起動した。レリアンも水を呼んでいる。が、ソアがふわっと手を泳がせ、わたしたちの神式を無効化した。


 <証>を包んでいた布地、そして収めていた小さな箱は、燃え上がるまもなく一瞬で灰になり、飛散した。


 「……」


 いのちを賭けて護ったものが目の前で焼かれるのを見て、わたしたちは脱力した。が、ソアは楽しそうに笑った。


 「あはは。<ゼディアの瞳>が炎くらいで壊れるわけないじゃん。ほら」


 そういって差し出す左手。煙が去ると、なにかが載せられているのが見えた。


 蒼く、しずかに光る……宝石?


 「君たちと女神をつなぐ契約の<証>。あらゆるちからの源だよ」


 そういってソアは、<ゼディアの瞳>を愛おしそうに手のひらで包んだ。

 


 ◇


 第十二話、お付き合いありがとうございます。

 よくぞここまでご一緒いただけましたね。

 心からお礼申し上げます。


 今後ともエルレアを見守ってあげてください。

 またすぐ、お会いしましょう。

 


 


 

 



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