第9話 酔ってステージはやめましょう



 「あ、ライラちゃん、おはよう。ちょうどよかった」


 朝の薄暗い厨房。

 

 エルレアが奥の部屋から入ってきた女に声をかける。女は髪を頭の上にまとめ、寝巻きのような薄いものを着ていた。俺は慌てて目を逸らした。女があくび混じりにエルレアに笑いかける。


 「おはよう、エルレア……あら、今日行くのね」


 「うん、しばらく戻ってこられないかもしれない」


 「その格好も久しぶりに見たわあ」


 エルレアは立ち上がって、へへ、と照れるように着ているものを示す。俺と同じ、術師団の制服だ。むろん、エーレのものだろう。


 黒いキャソック。ふわりとした袖口、足首まで届く長い裾のふちに神式強化の効力を有する複雑な紋様が赤糸で刺繍されている。肩を覆う厚いケープは耐刃耐熱対衝撃、神式無効化の性質をもつ特別な繊維でつくられていた。


 エーレにとっては身体にぴったりと馴染んでいた制服だが、いまは年長の兄から借りて着ている妹のように見える。が、エルレア本人は慣れているのか、少し襟元を直しただけで特段気にしているふうでもない。


 「前にその服着たのはあの時ね」


 ふふ、と笑うその女に、エルレアは慌てて手を振る。


 「あっ、それはダメ」


 「お兄さん、この子このあいだ酔っ払ってその格好でステージ上がったのよ」


 「あああああっ」


 頭を抱えるエルレア。なんのことだ? という顔をする俺に、ライラというその女はおかしそうに手をひらひらさせてみせた。


 「術師団さんのお仕事でこっそり男の人の状態で帰ってくることあるじゃない? 着替えればいいのにエルレアに戻ったらすぐ飲みはじめて酔っ払っちゃって、あげくにステージで歌ってるお客の声が気に食わないとかなんとかめちゃくちゃなこと言い出して……」


 「……止めてよねそういうときは」


 「みんなで止めたわよお。でも大ウケだったなあ。革命軍の溜まり場で術師団の扮装の軍師さまが大絶唱。革命軍の若い子もみんなあなたのファンになっちゃって」


 くくくっと背中を丸めて笑うライラ。俺はエルレアを睨む。こちらを見ない。


 「……と、とにかく、ちょっとこっちきて」


 「はいはい」


 ライラはエルレアに近づき、慣れている様子で首のまわりに手をまわす。エルレアがライラを抱きしめる。照れた顔だが、なにに対して照れているものだか。


 やがて淡い光とともに、エルレアはエーレになった。黒い制服が似合う緑の長髪。エルレアと似た顔つきだが、いくぶん優しい。ライラはすこし見上げる形になったエーレの顔を、そのままの姿勢でじっと見つめている。


 「ずっとこっちでいてもいいのに」


 「……わたしは客にならないよ」


 あはは、とライラが笑う。


 「気をつけてね。必ず戻ってきてね」


 そのまま俺たちは裏口から、ロアが用意してくれた馬車に乗り込んだ。旅人が使う地味で丈夫なローブをかぶり、フードを目深く下ろしている。懐にはむろん<証>を慎重に収めた。


 御者の素性は心配するな、俺の仲間だ、と馬車とともに帰ってきたロアが言った。エーレは頷き、俺は軽く頭を下げた。俺の中でロアへの警戒はとうに解けていた。仕事柄、自分に向けられた悪意はけっして見逃さないが、彼からそのような気持ちをいっさい感じなかった。


 エーレは酒場の二階の窓をじっと見ている。


 「コンのことは心配するな。帰ってくればいいだけだ。いつものように」


 ロアが言うと、エーレは素直に頷いた。


 馬車が出る。手を挙げて見送るロアとライラ。いつのまにか二階の窓から他の女たちとともに、コンが顔を出していた。エーレは馬車が角を曲がるまで、ずっとそちらを見ていた。


 目指すのは、<楽園>だ。<主人>と術師団が、そこにいるはずだった。


 <楽園>は王宮の近くから「入る」ことができるが、実際にその場所に存在するのかは、誰も知らない。ただ、入り口は王宮付近にしかなかった。


 この街が革命軍の本拠地に程近い町だというのは昨夜聞いていた。そして、町は王宮からそう遠くはない。というより、王宮が所在する王都の背後を突くような高所の城を、革命軍が抑えたというわけだ。


 単騎でいけばすぐに着くことはわかっていたが、目立つ行動を避けたかった。数日間、姿を消す形になった俺とエーレが、王室にどのように見られているか判断がつかなかったからだ。場合によっては術師団と諮り、王宮攻撃に関わったと見做されている可能性もあった。


 まる一日近く、俺たちは馬車に揺られ、日が落ちた頃に目的地に到着した。


 「……ここなのか……?」


 エーレは訝しげにあたりを見回して、そう言った。


 鬱蒼とした樹々を背景に、大小さまざま、形も多様な石碑や祠が並んでいる。どれにも文字や紋章が刻み込まれ、かなり古い年代に置かれたと思われるものもあった。王都の郊外の共同墓地の入り口に、俺たちは立っていた。


 「墓場じゃないか。こんなところから<楽園>に入れるのか?」


 「ああ、俺もここは初めてだがな……いまは正規の入り口は使えない。あの攻撃で消滅しているかもしれないし、残っていたとしてもいまは王宮に入りたくない」


 エーレも術師団として何度か<楽園>に同行させたが、王宮内の正規の入り口しか見せなかったし、緊急時用の入り口の情報は王室や術師団でもごく一部のものしか知らされていなかった。


 細い鉄格子の簡易な扉を押し開け、墓地に踏み入る。エーレが顔にかかった蜘蛛の巣を振り払っている。陽の落ちかけた人気のない墓場は、あまり居心地のよい場所ではないが、なにかを隠すには適した場所と思えた。


 目印の墓跡はすぐに見つかった。その前に立ち、呼吸を整える。エーレが少し下がって様子を見ている。


 複雑な手印を何度か組み、決められたことばをゆっくり告げると、俺とエーレのまわりに円筒型をした半透明の帷が生成されたことを感じた。いま、外部から俺たちのすがたは確認できなくなっているはずだ。


 やがてその帷に沿うように、地面から光の粒が少しずつのぼってくる。その頻度と数がだんだん増え、やがて光の波のようになり、眩しく光ってから唐突に消えた。


 風景が変わっている。


 柔らかく降り注ぐ陽光。かすかに草の匂いを含むあたたかい風が頬を撫でていく。足元には色とりどりの野花。静まり返っているのは墓地と同じだが、いのちに溢れている静謐。それが、<楽園>の特徴だった。


 すぐに<主人>がいるはずの塔を目で探したが、見当たらない。


 俺はなにか違和感のようなものを感じていた。かつて何度か入ったときとは違う。もちろん経路が違うから違う場所に出たのだろうとは思うが、なにか、嫌な予感がした。


 「……レリアン!」


 横からエーレの声が飛ぶ。瞬間に身体を捻り、左手を地面につくと同時に右足を大きく後ろ上に振りあげる。当たった感触はあったが、効果を確かめることなく即座に反動を利用して転がり、体勢を立て直して防御神式の手印を組んだ。


 エーレが、黒い服の男からの打撃神式を防御している。男は、短剣の形に表象され実体化された神式を左右の手にきらめかせ、切り付けると同時に上段の蹴りを入れてきた。エーレは逆らわずにそれを半身で受け流し、回転して飛び退った。


 ぶん、と霞んだ空間から、複数の男が現れた。みな、同じいでたちだった。


 術師団の制服に身を包んだ、見慣れた同僚たちだった。



 ◇


 第九話までお付き合い、本当にありがとうございます。


 酔うと歌ったり立てなくなったり色々大変ですねエルレア。

 そして夜のお墓はできるだけいかない方がいいですね。


 今後ともエルレアを見守ってあげてください。

 またすぐ、お会いしましょう。

 

 






 


 





 

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