二歩目.牢にて、少女は提案される
「………………、……ん?」
カツリ、何かが地面を叩く音が響いた。
巡回の兵士だろうかと、牢屋の外に視線を送る。
罪人とされた人間にも軽いジョークを言ってくれる人ならと望んでしまうのは、やはり私の心が弱っている証拠なのかもしれない。
疲れすぎた心が、ほんの僅かでもと、ホッと一息つける会話を望んでいるのだろう。
格子窓から射し込む、ほのかな月明かりのみが光源の全てとなっているここでは、よほど近くまで来てもらわないことには誰が来たのかすら判別がつかない。
無論魔法が使えるなら、話は変わってくるが。
というか、魔封じの枷が無ければ、目覚めた数瞬後くらいには脱獄を試みていたと思う。成功するか否かは置いといて。
「ご機嫌いかがでして? 一の魔法師さん?」
はたして暗がりから姿を現したのは、見覚えのある一人の少女だった。
「……――――って、は?」
なぜコイツはここに居る。間違っても私に会いに来れる立場にはいなかったはずだが。
「は? とはなんでしてよ。せっかく来てあげたのに、その対応は酷くありませんこと?」
「いやいやいや、二のオマエが私に会いたいからと言って、会えるわけなかろうが」
「だってそんなこと、誰にも言ってませんもの」
誰にも言ってないなら、なおさら王城の地下にある特別なときに使われる牢屋へ入れるわけがない。
何がって、警備体制がエグい。
なんか二のの服がいつもと違うなぁ、と現実逃避したくなるくらいにはヤバい。
「ま、どうだっていいですわ。ワタクシがここに来る方法を説明しているのは時間の無駄にしかなりませんから。
それと安心してくださいまし。今なら多少の大声程度、誰にも聞こえませんので」
二のはふんっと偉そうに鼻を鳴らすと、座り込んだままの私に強い瞳を向けた。
目頭の僅か下まである重い布のヴェールが、月光に蠢く。
「一の魔法師さん、ワタクシと夜逃げしませんこと?」
ズバリ斬るようにして放たれた言葉は、いつものコイツと同じ、どこまでも時間を大切にし、何事に対しても前置きなしで本題に踏み込む姿を明瞭に表していた。
唐突な提案に驚くことなく冷静な思考ができるくらいには、日常的なことだった。
あるいは、二のと話すときはイコール突飛なことばかりの仕事関連だから、無意識のうちに頭が切り替わっているのかもしれないが。
端的さを好むコイツの話を遮ると、後で痛い目を見る。
私は何も言わずに続きを待った。
「きっとこれだけだと納得しないでしょうから、理由を説明します。とはいっても、理由は一つしかありませんのよ」
コイツ、二の魔法師が得意としている魔法は治癒系だ。
私自身治癒方面も扱えるからそれなりにはわかるが、人を治す行為というものは確固たる論理的手筋に伴う迅速さを必要とする。
治癒の力のみで王国の魔法師第二位までのし上がってきたコイツは、いくらかは感覚にも頼りがちな私と違って、思考全てに洗練された道理を通している。
そうだからこそ、常軌を逸したことには大概慣れたはずの私でさえも、二ののが紡ぎ出した次の言葉に耳を疑った。
「ワタクシ――飽きちゃったんですの。二の魔法師という立場に」
あまりに驚愕が過ぎて、コイツも感情論とか話すんだなぁ、と目を逸らしてしまった程に。
そっかぁ。
飽きちゃったかぁ……。
………………、ぇ、ぇえ…………?
「国直属の魔法師とは、飽きた飽きてないで所属を決めるものではないだろう……? むしろ辞めたくとも辞めれないのが事実だったはずだが」
「一般論ではその通りよ。ですけど、夜逃げするならば、一般論なんて関係なくなりますわ」
それに、と二のは軽く笑いを洩らす。
「一の魔法師さんとて、このような断罪を与えられておいて、今もなお、この王国に仕えたいとはお思いにならないでしょう?」
「当たり前だ! 辞めれるもんなら、とっくの昔に辞めているっ!」
なれば、ワタクシの提案は渡りに船でなくって?
普段は飾り気の無さ故の端正な仕草を見せている彼女の姿が、何故かこのときは不気味な魅惑を秘めているように感じられた。
とはいえ、王国の二番に名を連ねるだけの存在が、王国に隠し事をしているはずなどない。
あっては、ならない。
赦されるはずがない。
だから恐らく、私の感知能力が誤っているのだ。
あるいは、何らかの理由で、二のが不気味に見えるように演じているだけなのだ。
「……オマエの目的は、なんだ」
右足付け根の断ち切られた肉は、私が起きたときには既に皮膚で塞がれていた。
大きな怪我を無理やり治したときに覚える突っ張る様子は見受けられず、かつ私が目覚めるまでの短時間で処置されていることから、相当な魔法の使い手が執り行ったものと推察できる。
テンプロート王国に所属しているこれほどまでの使い手は、少なくとも私は、二の魔法師しか知らない。
「私の傷がどのようなものか見に来たのか? 処置を施した者の、経過観察として」
「違うわよぉ。貴女を夜逃げに誘いに来ましたの。さっきからそう言っているでしょう?」
「だがオマエは事として感情論からは酷く乖離した存在だ。長い間同じ国直属の魔法師でもって共に在った私からすれば、今のオマエの発言はどれも考えられぬもの。はいそうですかと頷ける言動からは遠く離れている」
「……ふふっ」
「何がおかしい」
私の知る二のから逸脱してばかりの彼女が、不意にいつもの笑い声を上げるものだから、考えるよりも先に疑念が浮かんでしまった。
「ふふっ、ふふふっ。やっぱり、一の魔法師さんとは話しやすいですわねぇ」
ひとしきり笑んで満足したのか、次の瞬間には顔を引き締め、いつにない真剣の光を宿した二のがいた。
「一の魔法師さん、ワタクシと夜逃げしませんこと?」
それは、最初に誘われたのと同じ言葉だった。
「貴女だけは、ワタクシの性質を良く理解しておられますもの。
加えて、貴女はワタクシの動きについてくることができる。どこまでも真面目な貴女は、きっと見せている全てが貴女そのものなんでしょうけれど、ワタクシは貴女の存じ得ないワタクシもおります。
このタイミングでお誘いしたのは、ちょっとばかしでも弱っている貴女の心に付け込まんとしたからですわ。だって貴女は、そうでもしないと動いてくれない」
長い裾が地に汚れることを厭わず石の床に膝を付き、私の方へ鉄格子の合間から手を伸ばしてきた。
ああそうかと、納得する。
コイツは夜逃げをする算段でここへ来たから、普段とは異なる服装をしていたのか。
私の了承の有無関係無しに、王宮の外へ許可なく出ようとする決意の表れだったのか。
二のは、意味を伴わぬ行動をするヤツではない。
もしかすると彼女は、論理に正しく動いているのではなく、彼女にとって正しいと判ぜる行動を為しているのかもしれない。
今も昔も、変わることなく。
「どうかワタクシに誘われて、共に夜逃げしてくれませんこと? 貴女の力量からして、貴女は刑期が開けぬ前からまた、国のためと身を粉にして働かされる。一の魔法師という立場からは、一生涯放たれない。
ここ数年間、貴女はこのような仕事は辞めてしまいたいと折々にして主張なさっていたでしょう? ワタクシの提案を逃してしまえば、この先永久に、貴女は王国から離れることを叶わなくなりましてよ」
「……やはり私はまだ、一の魔法師として扱われているのか?」
「ええ。
ワタクシが牢に繋がれた貴女を一の魔法師と呼んでいるのは、国がそうであると認めているからですの。さもなければ、わざわざ危険を承知で一の魔法師という呼び名を使いはしません」
二のが言うならば、その通りなのだろう。
数字を冠して呼ばれる国直属の魔法師は、国に縛られることを義務付けられるためか、普通よりも機密な情報が入りやすい。
「私は、やはり、この国からは逃れられないのか……」
己の道を生きることは、どう在っても赦されないのか。
「そう。貴女はもはや、順当たる方法では自由になれないのです。だから――」
二のの瞳が、突き刺さる。
「――――ワタクシと共に、外へ」
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