受け継ぐ着物~祖母から孫娘へ~

金森 怜香

第1話 経緯

祖母は、令和になる直前、時期にして一か月前ほどだろう。

96歳の春に慢性心不全で世を去った。

大正生まれで五人姉弟を産み育てた祖母であった。

父はそんな祖母の4番目の子どもであり、次男坊である。


「お父さん、私もおばあちゃんに最後、挨拶させて欲しい」

末孫である自分の些細な我儘だが、いつもこれくらいは許されると思っていた。

「ごめんな、兄貴に孫は連れてくるなと言われたんだ……」

父はそう言って、申し訳なさそうに娘の自分に頭を下げる。

娘の自分に頭を下げるなど、初めての事だった。

もちろん、長女はとっくに高齢で免許を返納しているから、長女の長男、つまり従兄の一人は代理で葬儀に行くことを了承するよう言われたが、私はこればかり反対する気もない。

伯母夫婦の移動手段がないのだから、致し方ないと思う。

私は単身、美濃の地から祖母の冥福を祈るほかなかった。


元々は東北に住んでいた祖母だが、東北大震災の後、祖母は流れ流れて静岡へと避難生活を送った身だから、密葬と言う形をとるため、孫は断るという形を取りざるを得なかったと、私は葬式後に改めて父から聞いた。


だが、その葬儀の場に一人だけ、強行突入した従姉がいた。

父の弟の長女である。

父の弟は末っ子だった為、両親(私にとっては祖父母)に甘やかされていた。

後日聞いた話だが、自分の子どもが葬式に行くというならあっさりと許諾したのである。


ここからは母から聞いた話である。

父を始めとして父の姉やその配偶者たちは激怒したそうだ。

母はさほど怒ることはしなかったが、叔父夫婦に呆れたという。

「うちの娘は孫の中では末っ子だから、行きたいってずっと言っても、孫は断ると兄貴が言うから、泣く泣く諦めてもらったし、本当にショックで落ち込みながらも状況の話をしたら聞き分けをしてくれた。なのになんでお前が来たんだ?」

「っていうか、なんで他の従兄弟来てないの? 薄情だね」

「兄貴に聞いてみな」

「ねえ、伯父さん、他の従兄弟たちどうして来ないの? 薄情だから?」

「密葬だから孫は断ると親を通じて言ったはず。もう来てしまったならば仕方ない……」

伯父はため息を吐いて呆れながらも参列を許してしまった。

「……それがまかり通るなら、うちの娘も連れてこれば良かったな! 兄貴も知っての通り、うちの娘は末孫だ。ばあちゃんに最後のあいさつをする権利はあった!」

父は伯父に冷たく言い放ったという。

「……すまん」

伯父は父に頭を下げた。

「うちの娘だって、最初の孫なんだから!」

長女の伯母も負けじという。

伯父の心労は相当だったと私も予想した。

末の叔父夫婦と、勝手に参列した従姉と従姉の息子には、冷たい視線が集中したという。


私は涙をこらえつつ、仕事は公休だったが登録販売者の試験に向けた授業へと向かった。

不思議なほど、授業は耳に入らない。

ただただテキストを読み続けるというつまらない授業内容かつ、ウォーパーボイスの教授のおかげで、普段から眠たくなる授業なのだが、その日は不思議なほど眠たくもない。

だが、授業は一切頭に入ってこない。

いわゆる、ショック状態なのだろうと気づいたのは授業後の事だった。


私はドラッグストアで、上司から確認テストの出来にひどさに叱責を受けることとなった。

「確かに、おばあちゃんが亡くなった直後って話は君のお父さんにも聞いた! 本来なら葬式の日だってことも。だけど、このままだったら登販とうはんの試験が受からないよ!」

登販とは医薬品登録販売者と呼ばれている国家資格である。


今のドラッグストアや薬局では、登録販売者を必要とする場面は少なくない。

特に、時間帯フリーで働ける者で登録販売者の資格を取得し、二年以上勤務した者は重宝される。

二年以上の経歴を重ねたものは、「管理登録販売者」として、指定二類までの医薬品を販売できる資格を得るのだから、どのドラッグストアでも必ずいるのであるが、私が働いていたドラッグストアでは、主婦がメインを占めて夕方以降の勤務可能者が極端に少なく、私は夕方からの勤務可能者候補の一人だったわけである。


正直、今は登録販売者なんてどうだっていい……。

将来的に取れればそれで良いんだから。

私の心はそんな状況だった。


実は薬局の上司には、訃報を聞いたその日に父に頼み込んで祖母の訃報を伝えてもらっていた。

上司と私は歳が近かった。

記憶が正しければ、上司が一つか二つ上くらいだったと思う。

そのせいで、普段からも頻繁にいじめられ(※本人はいじっているつもりと言っていたがこれはやられた側の取り方と私は思う)、重要なことも冗談にとられかねない状況だったから、父に頼む形とになったのだ。

上司も、それでようやく本当だと気が付いた様であったのだが、さすがに国家試験がかかっている以上、試験の出来の悪さには叱咤せざるを得なかったようである。


だが、半年後の事である。

私は、登録販売者の資格を有すること、つまり国家試験に通った。

何故だかは自分でも分からない。

だが、面白半分で「○○を○○と覚えとおせ」と教科書に土佐弁でいたずらを兼ねて自筆を書いていた。

そのあたりを妙に印象的になって覚えたらしい。

ちなみに、住んでいるのは美濃地方、つまり土佐とは一切関係がないので、印象深かったようだ。

他方の方言にはちょこちょこ詳しいほうではあるが、詳細は省こう。

それが結果的に当たり、合格点数も過不足なしできっちり合格点ちょうど、さらに全体の7割を満たしたおかげで、私は晴れて登録販売者見習いへとなったのである。


上司は目を丸くし、気味が悪いほど褒めまくってくれたことはよく覚えている。

だが、私は褒めるより連休をくれ、と思っていたのである。


それは、半年経っても未だにできなかった、祖母へのお参りの為である。

思い切って、父、母、そして上司に談判したのである。


「そうだな。お前にもお参りする権利はある。夏に東北の実家に帰るから、その時こそは一緒に行こう! もう兄貴にも言い訳できるからな!」

父がそう言ってくれたこともあり、私は上司に頼み込んで、夏のある日に東北へと帰ることになった。

それがまさか、あの”着物”の出会いとは思わなかった……。

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