第8話 「心が折れた」
衝撃の発言から数時間、俺は人生で三度目となる二回生向け学園側からの諸々の説明を聞き終え、食堂にいた。以前のループ同様、一人でご飯を食べるのが嫌だと言った円香に付き合う形で軽食を食べているのだ。
円香がご飯を食べながら某か一生懸命話しかけてきているが、当然の如く俺はテキトーな相槌を打つに終始していた。今俺の頭の中を支配しているのは、なぜ新学期初日に戻されたのか、それに尽きる。
「わからない……」
本当に、何がきっかけで戻されたのかがわからない。以前タイムリープした際は俺の死という明確なきっかけがあった。
おまけに、白い世界で「彼女」に話しかけられるという不思議体験もした。だが、今回はそういった超常現象の類が一切ない。前触れ無くタイムリープしてしまった。
「何がわからないの?」
気がつくと、円香の顔が至近距離にあった。
「あ、いや……」
彼女は心配そうに俺の顔色を伺うに終始するのみで、何も話してくれない。
この異常事態を、彼女にだけは話してしまおうか。円香ならば、だれ彼構わず話して回るような事はしないだろうし、何より、俺の言う事ならどんな荒唐無稽な事でも信じてくれるだろう。だが、
「小説のネタがさ……どうやったら登場人物を活かせるかがわからないんだ」
俺は結局、嘘をついた。
彼女にいらぬ心配はかけたくなかったし、話してしまえば、きっと彼女は未来での俺と円香の関係を聞いてくるだろう。俺には、真実を告げる勇気がなかった。
「そっか。嵐君、頑張ってるもんね。どうやったら賞が取れるのかなー? いっそのこと今までチャレンジしたことのないジャンルを書いてみるとかはどう?」
「どうなんだろうな」
円香が食べ終えたのを見届けた俺は、「悪い、やる事がある」と言って席を立った。
彼女は俺が小説を書くと信じて疑っていないようで、「小説頑張ってね」と嘘つきの俺を見送ってくれた。
一体俺は、幾度彼女に罪を重ねれば気が済むのだろう。
部屋に戻る気にもなれなかった俺はあてどなく学内をブラブラと歩いていた。
通り過ぎる人々は誰も彼もが夢を語り、希望に満ちた
ここはあまりに眩しすぎる。本来自分のような「夢破れし者」が通っていい場所ではないのだ。少年少女達が青色の春を得るための場所に、自分のようなくたびれたおじさんの居場所はない。
「もう疲れたよ、パトラッシュ……」
気がつけば、女神像と呼ばれる創作の女神をかたどった石像の元までたどり着いていたようだ。
彼女は学園創設の際に何者かから贈答されたらしいが、そのあまりの芸術性に返す事を渋った当時の学長が学園のものとして設置した経緯がある。
俺はそんな物言わぬ女神像に独り言をこぼしていく。
「円香はこんな俺が小説家になれるって心の底から信じてくれてる。だけど、俺は彼女の期待に応えられるような人間じゃないんだ」
こんな外れ地には滅多に人も来ない。誰にはばかる事もなく俺はブツブツと呟き続ける。
「だいたい、才能のあるやつが多すぎるんだ。なんだって俺には才能をくれなかった?」
出るわ出るわ。内に溜め込んでいた負の感情がダダ漏れだ。苦心して書き上げた小説が駄作だったダメージと、謎のタイムリープ、円香に嘘をついてまで逃げてしまった事。それら全てが俺の口をどんどん軽くしていく。
女神像だってこんなおじさんの愚痴なんて聞きたくない事だろう。そう思って、顔を上げて女神像を見ると、一枚のメモ用紙を口に咥えた黒猫がいた。
黒猫は女神像の肩に座り、偉そうにこちらを見下ろしていた。かと思うと、ニャンと一声鳴いた。
鳴いた際に口から落ちたメモ用紙には、「彼女達を救って」と書かれていた。その文面にハッとした俺は、慌てて黒猫を探したが、もうどこかへいなくなってしまったようだった。
「だから、彼女達って誰なんだよ……」
その呟きは、女神像だけが聞いていた。
○
翌日、目を覚ました俺はまずカレンダーを確認した。
「……クソ、また戻ってやがる」
スマホのカレンダーに表示されている年月日は、2020年4月6日。どうやら俺は、終わらない新学期初日に囚われてしまったようだ。
二回目ともなれば慣れたもので、それ以上の感想を口から出さずに、俺は黙々と通学の準備に勤しんだ。もう少しすれば円香がやってくるだろう。
「嵐くーん。もう待ち合わせの時間過ぎてるよー」
「知ってる。今行くよ」
都合四回目になる雪堂先生の挨拶を無視して俺はひたすらどうすればこのループから脱出できるのかを考えていた。
一回目のループの際は、問題なく翌日を迎える事ができた。それどころか一週間という期間を無事に過ごす事ができた。だが、二回目のタイムリープの際は一日で入学初日に戻された。その違いは?
朝起きて、円香と共に学園に向かう。そして学園からの連絡を聞いて円香と共に食堂で昼食を取る。これはどのループでも行った事だ。ならばそれ以外の要素……。
「ダメだ……思いつかない……」
そんな事をうつむいて考えていると、前方に人の気配を感じた。
なんだかものすごくデジャヴュを感じるが、無視するわけにもいかないので顔を上げると、以前同様実にいい笑顔をした雪堂先生が立っていた。
「や~っと気づいたか。何が思いつかないんだ? ん? 先生に話してみろ。こう見えても先生は教師だからな。学生の悩み相談には真摯に対応するぞ~?」
俺があまりに深刻な顔をしていたせいだろう、雪堂先生は以前とは違い、どこか心配するようにそう言った。
「あ、いや……」
「ここじゃ言えないような事かぁ? なんにせよ、今は先生の話を聞く時間だ。なんかあれば後で私のところに来い。わかったら返事!」
「はい。すいません」
俺が素直に返事をした事で満足したらしい雪堂先生は、ポンと俺の頭に手を置いてから教壇へと戻っていった。
「よし話を戻すぞ~。皆去年経験してるから知ってるだろうが、今日は主に偉い人の話を聞いて終わりだ~。皆大好き半ドンってやつだな。いや、今の子に半ドンって言っても通じないか……? まあいいや、とにかく昼前で終わりだ。だけど、休みだと思って遊ぶんじゃないぞ~?」
「チクショウ……」
人間、何度も同じ話を聞いていると気が狂いそうになってくるのだと、この時初めて理解した。雪堂先生は俺の記憶にある言葉と一言一句違わず同じセリフを同じ動作で言った。
早くこのループから抜け出さなければ本当に頭がおかしくなってしまう。
俺は努めて話が耳に入ってこないようにしながらも、きちんと話を聞いているフリをしてこの苦痛をなんとか乗り切った。
「嵐君、お昼ご飯どーする?」
学園からの連絡が終わると、自由時間となる。円香もやはりロボットのように決められた行動を取ってきた。
普段ならば可愛らしいと感じるその声も、動作も、今はどこか薄ら寒いものに俺の目には映った。
彼女には悪いが、食事など喉を通るはずもない。俺は体調不良を理由に昼食の誘いを断った。今は一刻も早く教室から逃げ出したかった。
「…………あ?」
教室を出たと思ったら、俺の目に自室の天井が映っていた。まさか、と思いスマホを見ると新学期初日の朝に戻されていた。
「嘘だろ……」
そんなはずはない。俺間違いなく教室で雪堂先生の話を聞いていて、円香の誘いを断って教室から出たんだ。あれが夢のはずはない! そんな事が許されてたまるか!
何か、何かループしていないという根拠があるはずだ。
何が入っているのかも覚えていない冷蔵庫の中を確認する。円香が入れてくれた食材が入っている。
鏡の前に立ってみる。ようやく見慣れてきた学生時代の自分が立っていた。
愛用のノートパソコンを開く。どこのフォルダを漁っても、見覚えある小説はない。
「ああ、ああ……」
「嵐くーん。もう待ち合わせの時間過ぎてるよー」
今一番聞きたくない声だった。俺は慌てて扉の前に行き、鍵をかけた。彼女に会えばループした事が確定してしまう。
「開けるよー?」
「開けるな!」
「わっ! びっくりしたー。起きてたんなら返事してよー。今日通学日だよー」
「行かない!」
「ええ! 行かないって、体調でも悪いのー?」
「行かない! 俺は行かないぞ! 帰ってくれ!」
「……わかったよ。プリントとか後で届けるね」
円香の足音が去っていったのを確認した俺は、ズルズルと扉にもたれかかった。
「俺が、俺が何をしたってんだ……」
目を閉じる。瞬間、何かが切り替わったのがわかった。
目を開けると、自室の天井。どうやら俺は、またループしたようだ。
「はは……ははは……うわああああああああ!」
俺は半狂乱になって部屋の中を荒らし回った。枕を放り投げ、ベッドをひっくり返し、あれだけ大切にしていたパソコンも叩き割った。
「嵐君? 嵐君! 大丈夫! 入るよ!」
「円香……」
「よかった……」
台風が通過した後のように壮絶な惨状とかした室内と、息を荒くして明らかにそれをなしたであろう俺を見ての第一声がそれだった。
「泥棒とか入ったのかと思って心配したよ」
彼女の顔を見た瞬間、ホッとすると同時に涙が流れてきた。そんな俺を、円香は何を聞くでもなく優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫、大丈夫だよ……落ち着いて。深呼吸しよ?」
俺はなんてクズなのだろうか。心の内では彼女に他の男を見つけてほしいだなんて嘯いている癖に、こういう時、真っ先に頼るのは円香だった。
「円香、俺、俺……!」
「うんうん。大丈夫だよ。ゆっくり、落ち着いてから話そうね」
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