糖質の掃き溜め
煙屋敏光
高校生の頃の出来事
エピソード・ワン 高校時代
始まりはいつだっただろうか。
ふと、自分の人生を振り返ってみる。
ああそうだ、あれは高校一年生の冬だった。
陸上部だった私は、十二月に足首に不安を抱えながらも、部の恒例行事である、高尾山走破に参加したのだった。
登りの道中は、登りやすいと言われるも流石に山であることを意識させられる急登が続いた。
部員たちも、息を切らしながら、縦に縦に長く列を成して登っていった。
私の転機は、登り切ったあと、下りでの脚の違和感だと、今ならば断言出来るだろう。
体重を支えきれなくなった太ももの内側――医者が言うには内側広筋と言うらしい――に、違和感を覚えた。
徐々にペースは落ちていき、次第には集団が街の影に霞むほどになっていた。
違和感を覚えながらも走り、なんとか校舎までたどり着いた。
あまりにも「これはおかしい」と思ったので、翌日、南大沢にあるかかりつけ医の元へ転がり込んだのだが、診断は"ただの疲労だ、一週間もすれば元に戻る"だった記憶がある。
疲労にはストレッチとマッサージがよく効くのだ。
翌日からの練習は前線を外れ、ストレッチとマッサージ、あとは体幹のトレーニングに時間を割いた。
疑問を抱いたのは、医者が言った一週間を超え、脚の違和感が三週間目に入りかけた頃だった。
「これはただの疲労では無いのではないか」、そう思い、インターネットとは便利なもので、新百合ヶ丘にある別の病院を見つけたものだから、そちらに行ってみることにしたのだ。
レントゲンだったか、エム・アール・アイだったか記憶は定かではないが、大きな機械で身体の図面を撮ってもらった記憶がある。
待合室でぼうっと待ち惚けていると、自らの名前が呼ばれたので、診察室へと入った。
そこでの診断は「左内側広筋断裂」、いわゆる左の太ももの内側の肉離れ、だった。
よく、肉離れは音がすると聞くが、私の場合はその限りではなかったらしい。
医者曰く、違和感を覚えた時点で走るのを辞めるべきだったようだ。
さらに言えば、疲労だと言われてから行なった一連のストレッチなども、肉離れを悪化させる一因になり得るらしかった。
私の心は、一度そこで折れかけた記憶があるが、元来からのランナーズハイ故、走ることを辞めるという選択肢は当時の私にはなかった。
そこからは、ストレッチはせず、患部に影響のない筋肉トレーニングだけで練習を過ごしていたが、三ヶ月ほど経った頃だろうか、当時故障者は私だけだったので、他の部員は近隣の競技場で練習をしているから、正直真面目に練習しているかどうかなど誰にも分からなかった。
だから私は、部室で携帯電話を弄ったり、ライトノベルの新刊を読んで過ごすように、練習をサボタージュするようになっていった。
それでも、部をやめようという考えは起きなかった。
あの日までは。
負傷したのが確か一月だったから、あれは怪我をしてから七ヶ月から八ヶ月が過ぎようとしていた頃だろう。
私がいない間の部室で、小さな、しかし私にとっては大きな事件が起きたのだ。
これは伝聞でしかないのだが、跳躍の方の一つ上の人物(私はその人物を先輩とは呼びたくないのでこう表現する)が、私の試合用のシューズを履いたそうだ。
私の足は男子にしては小さく、二十五センチほどなのだが、たしかアイツは二十八センチだったと記憶している。
その小さなシューズを、大きな足が履いたらどうなるか。
細かい部分は千切れ、シューズの中は広がり、到底、私の足の形に合うものではなくなっていた。
私は激怒という感情を通り越し、ただ、ただ虚しくなった、そんな記憶がある。
この人物の下にいては、いつか自分自身が潰される、そう本能的に感じたのだろう、翌週には顧問に退部届を提出していた。
ここで、さらに時間を遡り、私が中学生だったときの話をしようか。
当時の私は、一年生の頃から市内では常に一着、二年生では市の代表として駅伝のメンバーに選ばれ(私の年度は大雪で大会が中止になってしまったが)、三年生の都の総体では一五〇〇メートル走でなんとか決勝に残れるだけの実力を持っていた。
そんなこともあり、当時は本気で箱根駅伝で走ることを夢見ていた。
ちなみに私が高校を決めたきっかけは、総体の決勝をご覧になった高校の顧問が、中学の顧問を経由して私に来て欲しいと仰ったからだったと記憶している。
その高校には、私が一年生のときにお世話になった先輩が進学していたこともあって、ほぼ即決で進学を決めていた。
最も、私は理系科目が得意で、アスリート推薦では文系への道しかなかったので、しっかりと勉強をした上で進学はしたのだが。
そして進学し、最初の一年間は私の中学の先輩も三年生として在席しており、まあ、可愛がって頂いたものだったが、アイツはそれが気に食わなかったのだろう、三年生が卒業した途端、私に、例えばメントスコーラの残骸をロッカーに置いたり、すれ違う度に罵詈雑言を浴びせたりと酷いものだった。
話は戻るが、シューズを壊されたと知り、自分でも靴を見たときに、何かが崩れる音がしたのだ。
中学生時代の輝かしい成績、そして、箱根駅伝への夢……。
これが、故障していなければまた結果は違ったのだろう。
しかし、故障は最初の誤診が原因でいつまでも治らない上に、周りは気にしていなくても、私が気にする部内での立場……そしてこの出来事。
むしろよく、ここまで耐えたと私は思う。
退部届を出したのは確か夏休みだった。
それから、とくに用事も無いのに学校の教室へ向かっては、外の景色を眺め、夏休みの課題を程々に終えた頃に帰宅する、そんな生活を送っていた。
この話の続きは次章にしようか。
次章の主な話題は、学園祭となるだろう。
それでは諸君、またの機会に。
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