身代わり(その2)
「あっ」
アンナマリアが思わずその兵士を呼び止めようとする。それが相手の気に障ったようで、彼女はじろりと睨まれてしまうのだった。
「何か、隠しておるのか?」
兵士が大げさなしぐさで戸口にずかずかと歩み寄り、引手に手をかけたが、彼が力任せに扉を開くよりも先に、戸の方がひとりでに開いた。……いや、そうではなくギルダが向こう側から扉を開いて、姿を見せたのだった。
ギルダ、と思わず声をかけそうになったアンナマリアを、彼女は軽く手をあげて制止する。
「アンナマリア、おまえに迷惑はかけられぬ。……お役目ご苦労、そなたらが捜している、そのリアンなる女こそこの私だ」
アンナマリアは目を見張った。今彼女は、自分のことを誰と名乗った?
そして兵士を見やる。官憲たちはリアンと名乗ったギルダと正面から相対し、彼女をまじまじと見やったのだった。
まず目を引くのは何と言っても杖と義足。そして頬に残る火傷のあと。
「……足が悪いのか」
「そうだ」
「そのような話は聞いておらぬな。……それに、その傷は火傷か? 背格好や人相はどうやら聞いていた話に合致するようだが」
その聞いていた話というのを、本当にどこで誰にきいたのか、アンナマリアはとにかく釈然としなかったが……確かにギルダとリアンであれば黙って澄ました顔で並べば、背格好もよく似ていない事もなかったし、髪の色も薄暗い室内であれば同じように見えていたかも知れず、彼らがそれで納得というのなら仕方がない。
ともあれ官憲の者たちも、目の前に立つギルダが本当に自分たちが身柄を押さえようとしていた女に相違ないのかどうか今一つ自信が持てないようで、互いに二言三言相談を交わすのだった。
「そのような風体で高貴な御方の側仕えなどよくぞ務まったものだな」
「このように身体を悪くしたので、姫殿下の御許よりおいとまをいただいたのだ」
詰問に対しそのように平然とうそぶいたギルダであった。とはいえギルダ自身の経歴に照らし合わせればあながち大嘘を並び立てているというわけでもない。なおも釈然としない顔の兵士たちに、彼女は告げる。
「村の者に迷惑はかけられぬ。私の身柄を確保出来れば、村の者に狼藉を働かぬと確約出来るか?」
「狼藉とは人聞きの悪い。王国に仇なす不逞の輩を追うのが我らの務め。身柄を隠匿したり逃亡に手を貸したりするなら話は別だが、お前の逮捕という目的さえ果たせられれば無関係の者をどうこうという事はない」
「そうか。では、連れて行ってもらおう」
ギルダは兵士にそのように告げ、志願するかのように一歩前へと踏み出した。
「アンナマリア、すまないが、よろしく伝えてくれ……ギルダに」
ギルダに……と、ギルダ自身に告げられて、どう返事したものかと一瞬考えてしまったアンナマリアだったが、この場で彼女がリアンを名乗るのであれば、その口から出たギルダというのが誰を指しているかは自ずと明らかであるように思えた。実にややこしい話であったが、アンナマリアは官憲の前で余計な事を言わずに済むように、ただ無言で頷いた。
そのやり取りののちに兵士たちにいよいよ取り囲まれたギルダだが、その腕を無理やり掴まれそうになって、思わず振り払う。その態度に色めき立ちそうになる男たちに、ギルダは涼しげにこのように言い放つのだった。
「村の者が見たら何事かと心配するだろう。出来れば人目に触れぬよう、裏口から出ていきたいが、構わないか」
その言葉に、捕縛の口上を述べた男が渋面をつくる。ギルダの言い分に何か裏があるのではと疑っているのかも知れなかった。
男たちが何事かこれ以上迷惑な物言いを重ねるよりも前に、アンナマリアが慌てて彼らの間に割って入る。
「そ、それは私が。私が皆に言い含めておきますから」
アンナマリアが慌ててそのように言いつくろうと、彼女は小走りに建物の外へと飛び出していく。どうしたものかと顔を見合わせていた兵士たちは、それを見てあらためてギルダの腕を掴まえて、アンナマリアが先に出ていった戸口から悠々と彼女を連行していくのだった。
先に表に飛び出したアンナマリアはと言えば……彼女が見渡すと、物々しい兵隊たちの到来に一体何事かと集まってきている村人たちの姿がそこにはあった。
「皆、いいかしら。絶対に彼女の名前を言ってはだめ」
今のような呼びかけを後ろからやってくる官憲らの耳に入れるわけにもいかず、必要以上に小声にならざるを得なかったが、ギルダの名を出さぬように、という彼女の言い分に皆一様に怪訝な表情になるのをみれば、彼女の言葉じたいは皆に伝わっているようではあった。
アンナマリアがそのように声がけを終える頃には、兵士たちに両腕を掴まれてギルダが戸口に姿を現すのだった。そうやって拘束された彼女を見やれば、誰もがあっと驚いてその名を呼びたくなるだろう。そう考えて、アンナマリアは先回りしてその名を叫ぶ。
「リアン!」
その第一声に、先ほどの彼女の触回りの意味を人々も理解したのだろう。ギルダ、と名を叫んだものは幸運にも誰一人いなかった。
ざわついた群衆を忌々しげに見やりながら、隊長格と思われる男が人だかりを前に口上を述べる。
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