出征(その3)

 やがて季節がめぐり、アンナマリアは産婆がギルダのお腹から子を取り出すその場に立ち会うことが出来た。人造人間というだけあってときには確かに人の心などないかのように見受けられるギルダでも、お産に臨んで不安に押し黙る様子は普通の人間と変わりはないように見えた。アンナマリア自身はここまでの人生で夫を持ち子を授かった経験はなかったが、これまで立ち会ってきたお産とそう変わりはないように思えた。

 ギルダの不安をよそに、生まれてきた赤子は見る限りでは普通の人間の赤子のように見えた。

 女の子だった。

 名前を考えろ、というアンナマリアが出した宿題に、ギルダはそのまま無言で固まってしまった。

「難しく考える必要はないのよ?」

「だが番号や記号を割り振ればいいというものではないだろう。何でもいいと言うが、おかしな名前を付ければアンナマリアは必ず腹を立てるに決まっている」

 面と向かってそう言われて、アンナマリアは鼻白んだ。おのれの反応が見透かされるのは面白くないが、ギルダがそのように他人の心情を察するようになったのは素直に喜ぶべきか。

「あなたにしてからが番号で呼ばれていたわけではないでしょう。ギルダ、というその名前は、自分で考えたわけではないのよね?」

「番号もあったにはあったが」

「ああ……いいえ、それは聞かないでおく。ギルダという名前の方は、あなたを作った魔法使いがつけたの?」

「いや……私のこのギルダという名前は、ユーライカ姫殿下より賜ったものだ。元々クロモリがつけた名前は、シルヴァという」

「シルヴァ」

 アンナマリアはその名前を取り敢えず口に出してみた。

「シルヴァ。……その名前では何がいけなかったのかしら」

「それは分からぬが、ユーライカ姫殿下ご自身がその名前は気にくわぬと申せられたのでな」

「ん……では、誰か適当に昔の知り合いの名前を使わせてもらうとか。例えば、仲間だった人造人間とか」

「皆クラヴィス王に刃向かった者ばかりだ。姫殿下を襲おうと思い立つような者の名を使うのもはばかられる」

「今のあなたがギルダだというなら、子供がシルヴァではおかしいかしら」

 アンナマリアのこの提案には、ギルダはしばし黙り込んだ。

「……うまく説明出来ないが、それは何かが違う気がする。姫殿下が気にくわぬとおっしゃられたし、それにどのみち忌まわしき魔女の名だ」

 その言葉に、アンナマリアはおや、と思った。何事も意に介した風でもないギルダが、自身の行いを卑下するような言葉を吐いたのを、彼女は初めて聞いた気がした。

「そう……それもそうね」

 忙しない診療院の日々の中で共に働いてきて、彼女の事を魔女だと忌み嫌っていたこともいつの間にか忘れてしまっていたアンナマリアだった。その彼女に魔女としての自分のかつての行いをどれほど悔いているのかを、機会があれば一度問いただしてみたいと思っていたこともあった。

 だが姫殿下を狙う曲者どもを退けた、その活躍を目の当たりにした今となっては、そうしろと言われるがままに人間の側の期待に懸命に応えていた、それだけだったのではとも思える。……いや、それはあくまでもアンナマリアがそう思い込みたい、というだけの話で、あらためて質問すれば人造人間の彼女からは結局は無情な答えしか返ってこないかも知れない。無粋な質問を今更蒸し返して、そのような回答を引き出すのは双方にとって不幸ではないか、と思うアンナマリアだったので、取り敢えずその場はそのように相槌を打ち、それ以上その話題に触れるのはやめた。

 ともあれ、母子とも後の経過も順調で、当のギルダはと言えば一眠りしただけで普通に歩けるようになっていた。

 その足で彼女が向かったのは、診療所のかつて自身が軟禁されていた元僧院長の部屋――つまり現在のハイネマン医師の診察室だった。目当ては例の書架で、まじまじと眺めてみれば、植物学の本が並ぶ中に物語ものの書物が一冊紛れているのが分かった。

 ギルダはそれを手に取り、アンナマリアの元にとって返す。彼女の前で適当な頁をぱらぱらとめくり、目に止まった一節を読み上げた。

「――彼らの氏族は、男はアベルを、女はラクルを名乗る。ゆえに彼女の名前は、リアン・リアナ・ラクル」

「長いわね」

「では、リアン、ではどうだろう」

 どうだろう、と問われてそれが彼女が子供の名前として思いついたものなのだと知ったアンナマリアであった。

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