37:犯人の狙いは

 大きな窓から光が差し込むサロンでひとしきり歓談した後、ノクス様はルカ様に遊び相手のカーバンクルを与えて退室させた。


 テーブルの上に紅茶やお菓子を用意してくれた女官も下がらせ、広々としたサロンにはノクス様と私とシエナ、ラークだけが残される。


 さっきまでノクス様の肩にいたプリムは真面目な話はご免だとばかりに、外へ飛んで行った。


「さて、今回私が呪殺されそうになった件についてだが。臣下に調査させた結果、アドルフは二つの人格を持っていたことが判明した」


 終始穏やかな雰囲気を漂わせていたノクス様はその雰囲気を一変させ、上に立つ者としての威厳と風格を漂わせながら切り出した。


「二つの人格?」

「ああ。本来の身体の持ち主であるアドルフとしての人格。それと、息子トーマスのために王冠を戴く野望を抱いたアドルフを言葉巧みに操り、呪術を行わせてその身体と融合した蛇龍じゃりゅうバジリスクとしての人格だ」


「バジリスク?」

 驚いたような声を上げたのはシエナだ。


「二百年前にベルニカ大陸を我が物顔で暴れ回って暴虐の限りを尽くし、最後にはアンベリス王国軍と三日三晩に渡る壮絶な死闘を繰り広げた知恵ある蛇のことですか? その体長は四十メートル以上。その皮膚はダイヤモンドよりも固く、厄介な魔法を乱発した化け物だと文献で読みましたが……」


「良く知っていたな。そうだ。この度の事件の主犯はそのバジリスクだ」

「しかし、バジリスクは当時の王が自らその手でとどめをさしたはずでは?」


「いや。戦いによって大きく弱体化し、一匹の白蛇に成り果てながらも生き延びていた。傷ついた身体を癒すべくバジリスクは地下深くに潜り、二百年もの間、眠り続けた。自分を酷い目に遭わせたアンベリス王に対する憎悪の念を育てながらな」


「完全に逆恨みじゃないですか!」

 黙ってノクス様の話を聞くべきなのはわかっていたけれど、つい叫んでしまった。


「全くその通りだが、他人の迷惑も顧みず、自分こそが世界の中心だと考える愚者は人間にもいるだろう? 二百年の時を経て地上に戻ったバジリスクは王家に復讐する機会を窺っていた。そこで白羽の矢が立ったのがアドルフだ。バジリスクはアドルフに近づいて呪術を教えた。密かに誰かを始末したいと願う人間にとって呪術は素晴らしく魅力的な手段だ。人間の目に呪いは見えない。何の証拠も残さず、相手を確実に死に至らしめることができるのだから。もっとも、その代償は恐ろしいものだが。バジリスクがそれを打ち明けなかったのは想像に難くない」


「確かに。もし蛇人間になると知っていながら呪術を使ったならすげーな。もはや尊敬するわ」


「その単語を口に出さないでください。思い出さないようにしてるんですから!」

 シエナがラークを睨んだ。


「話を続ける」

 二人のやり取りを見てノクス様は苦笑し、直後に笑みを消した。


「バジリスクの憎悪の対象は王である父上だけではなく、当時の王の血を引く直系の者全てだった。その中で何故私が最初に狙われたのか。本当は口に出したくもないのだが、言うしかないため言おう。


「……………………え?」

 私は呼吸も忘れて呆然としてしまったけれど、ラークやシエナはノクス様の言葉の意味を理解したらしく、さっと顔色を変えた。


「どういうこと……?」

 震え声で尋ねると、ラークは解説してくれた。


「妖精が幻術や呪術を見破る目を持つように、バジリスクには相手がどういう魔法を使えるのか見抜く力でもあったんだろう。恐らく十六年前、生まれた直後からルカはバジリスクに目をつけられた。母親はいない。呪術によって父親は自分を庇護するどころか毛嫌いしている。二人の姉は無関心、ギムレットは論外。ルカにとって家族と呼べる人間はノクスだけ。クソみたいな貴族連中に虐待される日々の中、愛に飢えた幼いルカはノクスに執着して依存する。もしステラやオレたちと出会っていなければ、ルカはいまでもノクスだけが心の支えであり、自分の全てだっただろう。その状態でノクスが殺されたとなればどうなると思う? ノクスを呪殺した相手が目の前に現れて、ノクスを侮辱するような言葉を吐いたら? お前を人間兵器にするためにノクスを殺したと笑いながら言われたら? 間違いなくルカの精神は壊れただろうな。敵を呪い、滅びの魔法を持って生まれた自分を呪い、最終的には世界そのものを呪う。後は破滅に向かって突き進むだけ。ただの蛇に成り下がった自分の代わりに敵の子孫が勝手に国を滅ぼしてくれるんだ、バジリスクは高笑いしただろうよ」


「…………」

 部屋の温度が急激に下がったように感じて、私は自分の腕をぎゅっと握った。

 さっきから身体の震えが止まらない。


「ルカの暴走により王家の威信は地に落ちる。生き延びた民衆や国内外の敵対勢力は王家を糾弾し、未曾有の惨劇を引き起こしたルカは他の王族共々――うん。止めとこう。あくまで仮定の話だ。そんな最悪な未来にならなかったことは、オレたちが良く知ってるだろ?」


「……うん」

 ぽんぽん、と優しく肩を叩かれて、目元の涙を拭う。


「すまない、ステラ。君を泣かせたくて話したわけではないんだ。ただ、ルカの魔法はあの凶悪なバジリスクに利用価値を見出されるほどに危険で、ルカが抱えている問題はとても根深いということを知っておいて欲しかった。父上が公の場で息子と認めた以上、これからルカは王子として公務を行うようになる。良くも悪くも注目を浴び、心無い言葉を吐く者も出てくるだろう。ルカが挫けることのないよう、これからも傍で支えてやって欲しい……念のため確認しておくけど、怖気づいてない? 守護聖女を辞めたくなったとか言わないよね?」


 王太子の仮面を外して素に戻ったノクス様は窺うような目で私を見つめた。

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