16:「妖精を助けなさい」

 もしかして、ギムレット様の守護聖女になれば良かったのに、とか言われるんだろうか。


 冗談ではない。

 ギムレット様の守護聖女になれば今頃私は王宮でのんびりゴロゴロ贅沢三昧できていたのかもしれないが、そんなのこっちから願い下げである。


「謝らないでください。それは私への侮辱です」


 繋いだ手を強く握ると、ルカ様は軽く目を見張った。


「私は望んでここにいるんです。忘れないでください。また謝ったら怒りますよ」

「……わかった。もう言わない……ああ、このやり取りには覚えがあるな」

 ルカ様が小さく笑い、私も微笑み返す。


「それにしても、モニカさんの癒しの力は強力なんですね。崖から落ちたとき、私は確実に瀕死状態でしたよね? それなのに小さな傷痕一つ残っていないなんて、素晴らしい力です。もしモニカさんがエメルナで生まれていたら、巫女姫になっていたかもしれませんよ」


「……本当にモニカが治したんだろうか?」

 ふと考え込むような顔をしてルカ様は呟いた。

 彼の傍を風船を持った子どもたちが駆け抜け、親が大声を出しながら追いかけている。


「え? だって、王宮で癒しの力を持っている人はモニカさんしかいないんですよね? モニカさん自身が私の傷を治してくれたって、そう言っていましたよ?」

「だが、モニカにそこまでの力はないはずなんだ。俺が腕を怪我したときも傷を塞ぐのに時間がかかっていた」


「……? モニカさんではないのだとしたら、誰が私の怪我を治してくれたんですか? 通りすがりの第三者が善意で癒してくれたとでも?」

 厳重に警備されている王宮の中に『通りすがりの第三者』なんているわけがないのだが。


「わからないが……。……いや、きっとモニカが秘められた力を解放したんだろう。変なことを言ってすまない」

 それきりこの話題は終わり、私たちは新たな話題に花を咲かせた。


 混沌とした市場の通行人はやたらとルカ様を注視している。

 やはり大勢の人の中にあっても美形は目立つのだ。


 貴族らしきドレスを着た女性も、薄汚れた格好でパイを売っている女性も、母親の隣で手伝いをしている女の子も、誰もが等しく頬を染めてルカ様を見ている。


「……やけに視線を感じるんだが、やはりこれは俺の目が赤いせいか?」


 市場を歩いている途中、元気の良い中年女性から半ば無理やり買わされた焼き菓子を食べながら、ルカ様が不安そうな顔をした。


「いえ。目の色は関係ないときっぱり言えます」


 たとえその目が何色だろうと、人は美を極めた彼を見ずにいられないだろう。

 私だって隣を歩きながら、チラチラ見てしまった。


「なら何故だ?」

「ご自分でお考えください」

「……? そうか。俺ではなくお前を見てるんだな」

 焼き菓子を齧って、ルカ様は納得したように頷いた。


「どうしてそういう結論になるんですか」

「どうしてって、さっきすれ違った男はお前を見ていたぞ」

「え。何故でしょう? もしかして顔に焼き菓子の欠片がついてますか? どこですか?」

 ぺたぺたと自分の顔を触るがわからず、ルカ様に顔を向ける。


「ついてない。お前が抜群に可愛いから見てたんだろう」

 さらりとルカ様は言い放ち、私の心臓に大きな負荷を与えた。


「な! 何を仰るんですかもう!! 抜群どころか世界一格好良い方に言われたってお世辞にはなりません、むしろ嫌味です皮肉です!! 止めてください!!」

 顔を背けて右手に残っていた焼き菓子の欠片を口の中に放り込み、勢い良く咀嚼する。


「世辞ではなくて本気なんだが……まあいいか」

 ルカ様は包みの中から焼き菓子を取り上げ、ちょうど見つけたゴミ箱に空になった包みを入れた。


「食べるか?」

 ルカ様がその手に持っているのが最後の焼き菓子だ。


「いえ。どうぞ食べてください」

「……食べようと思えば食べられるのか?」

「はい。まだお腹に余裕はありますが……」

「ならこうしよう」

 焼き菓子を二つに割って、ルカ様は大きいほうのそれをくれた。


「ありがとうございます。いただきます」

 焼き菓子を受け取って、頬張る。


 不思議だ。

 さっきまで食べていたものと全く同じ焼き菓子なのに、やけに美味しく感じる。


 焼き菓子を食べ終え、幸せな気分で大通りを歩き、果実水で喉を潤してから露店を覗く。


 黒の敷布にずらりと並べられた商品の中で蝶のブローチに目を留めていると、不意に視線を感じた。

 

 露店の前に屈んだまま右手を見れば、人ごみの中に五歳くらいの女の子がいた。


 長い黒髪にリボンを結い、左手に赤い風船を持った観光客らしい女の子だ。


 少し離れた露店の前に立っているその女の子は、私を見つめて地面と平行にまっすぐ腕を伸ばし、広場の方向を指さした。


「――妖精を助けなさい」


 喧噪の中、聞こえるはずもない女の子のその声は、何故か私の耳にはっきり届いた。


 黒一色で塗り潰された女の子の瞳は虚ろなのに、それでも彼女は――いや、彼女の身体に宿ったは確かな意思を持って私を見ている。


 小さな身体から放たれる異様な気配に、背筋がぞくりとした。


 それは、未知のものに対する恐怖。あるいは畏怖だろうか。


 彼女の指示に従わなければ大変なことになる――それは確信にも似た予感だった。

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