11:抱擁には慣れてません

 空気、大地、植物、動物――世界のあらゆるものには『魔素』と呼ばれるエネルギーが宿っている。


 その魔素を操って非現実的な事象を起こすのが魔法であり、魔法使いを魔導士という。


 大体の魔法は火・水・風・土の四つに分類されるが、優れた魔導士の中には攻撃を防ぐ障壁を展開する魔法、仮想物質を生み出す魔法など、珍しい魔法を扱う者もいる。


 伝承によれば、『魔素』は神々が与えた力だと言われている。


 エレスト神殿で聞いた伝承とはこうだ――遠い遠い昔、《大災厄》と呼ばれる天変地異があった。


 冬の寒さに耐えていた国に夏の花が咲いた。

 また、逆に、夏を迎えていた別の国の青空は吹雪により白く染まった。


 山は噴火し、川は氾濫し、世界を揺るがすほどの大地震によって生じた大地の裂け目からは正体不明の怪物――『魔物』が溢れ返った。


 人々は人間界と魔界の境が壊れたのだと嘆き、天界におわす神に救いを求めた。


 数多の祈りを受けて降臨した神々は人間界を『魔素』で満たし、人間に『魔素』を操る術を教えた。


 魔法の力を手に入れた人々は地上に蔓延る幾千万もの魔物を殲滅し、傷ついた大地を修復し、豊かな自然を取り戻した。


 平和な時が長く続くと人々は神々への感謝を忘れ、我らこそが地上の覇者だと奢り高ぶった。


 身の毛がよだつような悍ましい魔法や魔導兵器を次々に生み出し、その技術を競うように殺し合い、空気を、大地を、海を穢していった。


 ――そしてついに、愚行の報いを受ける時が訪れる。


 大地に溜まった穢れは自浄能力を超えてとうとう飽和し、動植物に害を成す瘴気を噴き出した。


 瘴気に侵された動物は魔物に変貌し、瘴気に侵された人間は魔人となって人々に襲い掛かった。


 果たして、地上は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 人々は己の過ちを悔い、再び神に救いを求めたが、多くの神は自業自得だと切り捨てた。


 それでも、たった一柱だけ、人々を見捨てることのなかった女神がいた。


 エメルナの丘の上で捧げられた乙女エレストの祈りに応え、降臨したその女神こそがクラウディア。


 クラウディアは瘴気を浄化し、動植物や大地を癒す力を持つ己の神力を乙女や人々に分け与えた。


 最も強い神力を授けられたエレストは初代巫女姫となり、クラウディアを崇めるエレスト教を世界中に広めた。


 ベルニカの四国全てにエレスト神殿があるのは、多くの人々が女神クラウディアを信仰している証だ。


「俺の魔法は万物を腐らせる恐ろしい毒の魔法なんだ。五歳のとき、俺は離宮の庭園で初めて魔法を使った。その結果、庭の草木は枯れ果てた。煙を上げて腐臭を放つ溶解した大地を見て、目撃者は一人残らず怯えた。陛下は二度と魔法を使うなと命じた。俺の魔法は国の禁じる『禁忌魔法』に該当する、使い方によっては国を滅ぼしかねない厄災だと」

「……あ」

 ふと雪の日の記憶が蘇る。


「一年前にお助けしたとき、ルカ様の周りに倒れていた魔物は全て剣でつけられた傷によって絶命していました。ルカ様は瀕死の状態になっても、陛下との約束を守って魔法を使わなかったんですね」


「そうだ。万物を腐らせ、侵す、呪われた魔法だからな。万物を癒し、浄化する聖女ステラとは対極だ」

 ルカ様は自嘲するように言って、息を吐き出した。


「――どうだ? 俺の事情を知ってもまだ、俺の守護聖女になりたいか?」


「もちろんです!」

 張り切って答えると、ルカ様はびっくりしたように目を瞬かせた。


「……話を聞いていたか? まさかいままで寝ていたんじゃないだろうな」

「失礼な。ちゃんと起きていましたよ。お話を聞いた上で確信したんです。やっぱり私はルカ様の守護聖女になるべきだと」

「何故」

 ルカ様は怪訝そうだ。


「だって、ルカ様の魔法は危険な毒魔法なんでしょう? もしルカ様が暴走したとき、止められるのは私しかいないじゃありませんか!」

 拳で胸を叩いてみせる。


「万が一ルカ様が人を傷つけてしまったり、暴走するようなことがあったら、傷つけたものを私が片っ端から癒して差し上げます。お任せください!」

 私はいかにも自信満々に胸を張っているけれど、本当は自信なんてない。


 でも、できるかどうかわからないなんて弱気なことは言っていられない。


 それをルカ様が望むなら、やるだけだ。


「絶対にルカ様の役に立ちます。だから私を守護聖女にしてください。お願いします!!」


 ルカ様の両手を包むように握り、魂を込めて訴えると、ルカ様は呆気に取られたような顔をして――それから、苦笑した。


「……俺は将来を約束された殿下とは違う。宮廷での立場も弱いから、お前に何もしてやれないぞ。俺と一緒にいると、またカエルや雑草を食べる羽目になるかもしれない。想像以上に辛い目に遭うかもしれない。それでもいいのか?」


「いいです。私は、ルカ様がいいのです」

 微笑んでから、急に不安になって私はルカ様の手を包んでいた手を離した。


「ルカ様は私が守護聖女では嫌ですか? ご迷惑ですか?」

 神力の大きさから守護聖女としては申し分ないとしても、人間的に嫌いだと言われたらどうしようもない。


「迷惑なわけがあるか」

 ルカ様は両手を伸ばして私を抱きしめた。


「――!!?」

 予想外の行動に顔がカッと熱くなる。


「むしろ俺のほうから頼みたいくらいだった。殿下がお前を欲しがるからあの場では遠慮するしかなかったが、俺はずっとお前のことが欲しかったんだ」


「そ、その言い方は何か大変な誤解を招くような気がするんですが……」

 守護聖女として、とちゃんと言って欲しい。


「覚悟しろ。俺の守護聖女になるなら、俺は戦場であろうとどこであろうとお前を連れて行く。泣き言を言っても逃がさないからな」

 私を抱く手に力がこもり、さらに強く抱きしめられた。


「のっ……望むところです!!」

 思い切ってルカ様の身体を抱き返す。


「頼もしいな。さすがは『戦場の天使』」

 耳元で小さな笑い声がする。

 ルカ様の笑い声を初めて聞いた。それも、こんな至近距離で。


「その呼び名は止めてください……」

 私は恥ずかしさに頭を下げ、ルカ様の胸に顔を埋めた。


「よく似合うと思うが?」

「……怒りますよ」

「わかった、もう言わない」

 低い声で警告すると、本当に、それきりルカ様は何も言わなくなった。


 ルカ様の体温を肌越しに感じる。


 戦場で鍛え上げられたルカ様の胸板は鋼のように固くて、強く押し付けられているとちょっと苦しい。


 女性の柔らかい身体とはまるで違う――男の人なのだ。


 当たり前のことをいまさらながら意識してしまい、私は耳まで赤くなった。


 心臓があまりに大きい音を立てているものだから、ルカ様に聞こえているのではないかと不安になる。


「……あの。も、もうそろそろいいですか?」

 異性に耐性のない私は数秒で白旗を上げたけれど。


「もう少しだけ」

 耳元で甘えるように囁かれてはもう何も言えず、私はルカ様の腕の中でカチコチに固まり、解放されるそのときをおとなしく待ったのだった。

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