03:ここはどこ、あなたは誰
目を覚ますと私はふかふかの寝台に横たわっていた。
エレスト神殿で使っていたような、板に布を敷いただけの簡素なそれではなく、天蓋付きの立派な寝台である。
首元までかけられた毛布は温かく、頭の下に敷かれた枕は柔らかい。
枕の中身は羽毛だろうか。
蕎麦殻を詰めた硬い枕とは全く違う。
……ここはどこ?
レースカーテン越しに陽光が降り注ぐ豪奢な部屋の中。
自分が一体何でこんなところにいるのか全く状況が掴めず、首を動かして右隣を見る。
すると、寝台の傍に置かれた木製の椅子に座っている少女とばっちり目が合った。
「あっ! 目が覚めましたか!?」
年齢は私と同い年か、少し上くらいか。
長い栗色の髪を編み込み、黒と白のお仕着せを着たその少女は慌てたように立ち上がって私を覗き込んだ。
「お身体の具合はいかがですか? 目に見える傷は塞ぎましたが、まだどこか痛いところはありますか? 少しでも違和感があれば遠慮なく仰ってください」
この人は誰だろうか。
私は侍女に敬語を使われるような身分の娘ではないのだけれど。
「ええと……大丈夫です。どこも痛くありません」
寝転がったまま自分の身体を触ってみて、私はそう答えた。
睡眠中に誰かが着替えさせてくれたらしく、服が肌触りの良い寝間着に変わっている。
「それは良かったです。喉は乾いていませんか? よろしければどうぞ」
少女は銀の水差しを手に取ってコップに水を注ぎ、そのコップを私に差し出した。
「ありがとうございます、いただきます」
起き上がってコップを受け取り、口につける。
コップの中の水はからからに乾き切った私の喉を潤してくれた。
まるで生き返ったような気分だ。
「……失礼ですが、どなたですか?」
落ち着いたところで、私は質問してみた。
「申し遅れました、私、モニカ・セローと申します。アンベリスの第二王子ノクス様にお仕えしている女官です」
まるでその質問を待っていたかのように、胸に手を当てて、ぺこり、と頭を下げるモニカさん。
「エメルナ皇国の巫女様とは比べ物になりませんが、私もささやかながら癒しの力を持っていますので、この度重傷を負われたステラ様の治癒を任されました」
「そうだったんですか。おかげさまで助かりました。モニカさんは私の命の恩人です。本当にありがとうございました」
私は寝台に座ったまま頭を下げ返した。
「いえいえ。お力になれて嬉しいです。ステラ様がお目覚めになられたと知ったら、ルカ様も大層喜ばれることでしょう」
「ルカ『様』? ルカはモニカさんより身分が高いんですか?」
王宮勤めの女官ということは、モニカさんは貴族令嬢のはずだ。
アンベリスに滞在中、この国の貴族令嬢は花嫁修行の一環として王宮勤めをするって聞いたもの。
「もちろんです。王子ですから」
モニカさんは私の無礼を咎めることなく苦笑した。
「……………………王子?」
私は固まった。
「はい。ルカ様はご身分を伏せておられたみたいですが、ステラ様をお助けされたのはこの国の第三王子、ルカ・レナ・アンベリス様です」
噛んで含めるような調子で、モニカさんはそう言った。
「…………うそ……」
冷や汗が頬を滑り落ちていく。
「いいえ、純然たる事実です。受け入れてください。ちなみに言いますと、ここはアンベリスの王宮、ルカ王子がお住まいの『柘榴の宮』です」
「…………おうきゅう……」
壊れた人形のような動きでぎくしゃくと、部屋を見回す。
見るからに高級感が溢れまくっている調度品からして、ここがただの民家じゃないことはわかっていたけれど、まさか王宮だったとは……。
王宮なんて、下民の私には一生縁がない場所だと思ってた。
私が暮らしていたエレスト神殿は皇宮の隣にあったけれど、お前は下民だから敷地内に入るな、皇宮が穢れるって注意されていたし。
「……ルカが……王子様……」
「そうです」
きっぱり頷くモニカさんの前で、私は頭を抱えた。
長い沈黙があった。
言うまでもなくそれは、私が現実を受け入れるまでの時間である。
その間、モニカさんは辛抱強く待っていてくれた。
「………。あの……ルカ王子はいまどこにおられるのでしょうか?」
私は頭を抱えていた両手を下ろし、震え声で尋ねた。
ルカ――もとい、ルカ様には可及的速やかに謝らなければならないことがある。全力で。
「ルカ様は自室でお休みになられています。この三日間、ルカ様はステラ様に付きっ切りだったんですよ」
「え……」
私、三日も眠ってたの?
「このままではルカ様のほうが倒れてしまうと、見かねたノクス様が説得し、今朝ようやく私と交代してお眠りになられたのです」
「そうなんですか……ルカ様はそんなに私のことを心配してくださったんですね……」
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、私は俯いた。
「ところで、ステラ様。お腹は空いていますか?」
俯いた私を気遣うように、モニカさんは話題を変えた。
「……実を言うと、とても」
毛布の上からお腹をさする。
崖から転落して三日も経っているという話は本当らしく、私の胃の中は空っぽだ。
水では足りない、とお腹の虫が小さな声で嘆いている。
「食欲があるのは良いことです。食事は健康の基本ですからね。まずは食べなければ何も始まりません」
モニカさんはにっこり笑った。
「では、料理長に頼んで食べやすく栄養のある料理を作ってもらいましょう。お召し物も変えなければなりませんし、少々お待ちください。他の女官を呼んできます」
モニカさんはスカートの裾を翻して部屋を出て行った。
ぱたん、と扉が閉まる音を聞いてから、絶望的な気分で呟く。
「……どうしよう……私、王子様に頭突きしちゃった……」
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