俺は再検査に行くんだ

鈴乃

 

 要・再検査。

 書類の上で赤いハンコが目を引く。


 俺も会社の健康診断でひっかかる年になったらしい。

 理由をつけて病院に行くのを先延ばしにしていたが、先週上司にやんわりとうながされた。


 平日に有給を使って、晴れの昼間でも肌寒いこの時期に、病院か。


 俺はため息まじりに外へ出た。

 検査のためとはいえ、昨日の夜からなにも食べてない。頭がクラクラする。


 住宅街を抜けて駅前の商店街を目指す。

 平日の昼間は少しだけ人通りがましだ。


 そんな商店街の向こうから女の子が走ってきた。


 ローブランドのフードつきパーカーにスニーカー。

 女の子、という呼び方は不適切かもしれないが、女性と呼ぶには顔立ちが幼い。学生さんか、ようやく高校を卒業したところだろう。 

 誰かとふざけて遊んでるって空気じゃない。

 その証拠に、数メートル向こうから5、6人の黒服たちが駆けてくる。


 女の子は血相を変えて俺の後ろに回り込んだ。


「た、助けてください!」

 俺は言った。

「すみません、今日再検査があるので」

「えっ」


 俺は女の子を置いて右へ曲がった。

 背後で大勢の足音と悲鳴が入りまじる。


「そ、その子を離せ!!」

「なんだぁてめえ!?」

「……おっ」

 俺は足を止めた。

 ポケットからスマホを出す。


「やっぱり道一本間違えたか? ま、いいや、このルートでも着けるみたいだから」


 背後の騒ぎはさっきより激しくなっている。

 が、俺は再検査に行かなきゃならない。


「ガキが! 弱いくせにでしゃばりやがって!」

「く、くそっ……オレにこの子を守れる力があれば……!」

「これを使って! あなたなら、お父さんの残した研究にふさわしい人のはず!」

「こしゃくな! アスプルデアス三号を呼べ!」

「この力は……!?」


 まばゆい光が辺りに広がる。

 俺はスマホの画面を明るくした。


 鉄橋をくぐり、アプリの指示通りに道を抜け、横断歩道を渡って左右を見る。


 築浅の雑居ビルの窓に目的の医院の名前が見えた。ガラスには巨大な影が反射していた。


「外、大変だったでしょう」

「ええ、まあ」

 俺は医者につられて窓の外を見た。

 遠くてよく見えないが、鉄橋と道路をはさんだ向こうで怪獣が腕を振り回している。

 同じくらい巨大な人影がそのパンチを受け止めて殴り返した。


 医者はタブレットのカルテに目を落とした。


「じゃあ血液検査からしましょうか。荷物こちらにどうぞ」


 俺は看護士に案内されて、いくつもの部屋で検査を受けた。


 ドアを閉めると驚くほど静かだった。

 時々建物が揺れたが、検査のやり直しにはならなかった。医療のプロはすごいなと思った。


「一応正常値ですね」

 と医者は言った。

 俺はほっとしかけた。が、すぐに気づいた。


「一応?」

「ここ見てください」


 医者がタブレットを示す。


「尿酸値ってね、7.0mg以下なら正常値なんですね。あなた6.9だからかなり上の方なんです。この前はこれより高かったわけでしょ」

 俺はうなずいた。うなずくしかない。

「まぁ、今すぐに薬飲まなきゃって話じゃありませんけどね。ちょっとプリン体を控えて様子見ましょう」


 俺は外に出た。

 道路を横切る怪獣の死体が夕日に照らされている。


 もう4時前だ。


 自覚するとどっと疲れが湧いてくる。

 明日からまた8時間労働が始まるのか。


 寒い。酒を禁止されたから、しばらくは意識高く白湯を飲もう。いつものスーパーにも寄ろう、見切り品が出る時間だ。

 そう言えばプリン体ってなんだろう。プリンは食べていいのかな。


「ありがとう! あなたは私とお父さんを、ううん、世界を助けてくれた……!」

「オレはたまたま通りかかった一般人だよ。君を好きになったから勇気が出せた……!」

 俺は少年少女の横を通りすぎた。


 たとえ世界が救われたって、俺は明日も自分の尿酸値と戦わなきゃならないんだぜ。




end.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺は再検査に行くんだ 鈴乃 @suzu_non

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ