第41話 Confession〜告白〜

「なにからお話しすればよいか、分かりませぬ」

 蚊の鳴くような震えるか細い声。琅玕は、

「それなら、俺の質問に答えて貰おうか」

 というか一体いつまで床に座っておるつもりだ、さっさとこちらへ戻れ、と急かされて、“当代尖晶王殿下“はおずおずと立ち上がり、また寝台へ上がった。

「月並みだが、とりあえずお前、本名はなんという」

「姓は、名はあざなが紫翠」

「なんだ、字は本名か」

 てっきり偽名かと思うておった、と琅玕がこぼすと、なにやら泣き笑いをこらえるような妙な表情で、自分の場合は正体の露見を極力ふせぐため、敢えて本名を偽りの身分でも使うよう命じられた、と言った。

「命じられた、とは、誰にだ」

「暮らしておりました寺の僧から」

 両親(前尖晶王家第二王子、故・岐玉髄殿下とその愛人、および華氏の御曹司某)の死後に、遺児が預けられた寺である。

 くだんの縁の寺には、親や保護者を失い、あるいは何らかの事情あって預けられた赤子や子供が結構な人数いた。平凡な庶民や貧困層出身の子もいたが、わけありの富裕層の子や貴族の血を引く子なども数多くいた。

 いわゆる孤児院や貧窮院ひんきゅういんのたぐいといえば、劣悪な環境で、虐待や違法労働が蔓延しているようなところも多かったが、なにしろ華公代理・華緑閃が、腐っても皇族の遺児を預けると決めた先である。そもそも平素から、養育環境に関しては当然、非常に厳密なチェックを受けているわけで、それをクリアしたこの寺は、しごく真っ当に、子供たちの出自に分け隔てなく平等に、きちんと愛情をもって養育していた、という。

「それはその通りで、私も他の子供たちも実にきちんとしたしつけや教育を受けましたが、ただ、いま思えば、読み書きやら行儀作法やらの他に、寺に預けられて育つ子供には普通あまりさせぬであろうことも随分やらされたものです」

 具体的になにをさせられたのか聞くと、

「武芸やら護身術、薬草や毒物の知識などはまあ普通の範疇はんちゅうないと言えぬこともないでしょうが、それに加え、骨董品の鑑定やら、蔵の鍵開けやら、各地の方言の聞き分けやらとなりますと…」

「…盗賊の稽古か何かか」

「本物の盗賊が稽古というものをするのかどうか存じませんが」

 場合によっては、ものを盗んでこいと寺の僧に命じられることもあったらしい。ただし金目のものを奪ってくるよう言われたことは一度もないとやら。いつも、何だかよくわからない書きつけであるとか、穀物や野菜の種であるとか、我楽多と大差ない古道具であるとか、

「家畜の糞を少量、瓶に詰めて持ってこいと命じられたこともございました」

「まあいい。要するに、お前たちは子供のころから密偵の稽古をさせられていたわけなのだな。預けられた寺というのは、寺を隠れ蓑にした密偵の養成施設か」

 仮にも華氏ゆかりの名刹めいさつ、それも、華公代理・華緑閃が皇族の血を引く遺児を預けるに相応しいと判断した寺が、よりにもよって細作しのびどもの巣であったとは。

 寺はさる山の中にあったが、子供たちは定期的にふもとの村や集落に、労働奉仕をしに行かされる。子供が相手となると、村人たちもなにかとガードが甘くなり、時には他聞たぶんはばかるような事柄をこっそり見聞きすることもあったらしい。

 そして寺に戻れば、そういう、村で見聞きしたことを寺の僧たちに報告する。前述のように物をくすねて来るよう命じられることは、実際にはあまりなかったそうな。

「人里の日常生活を細かく観察するのは、諜報活動の基本だからな。一般庶民が普段どのような生活をしているかは、その国の国力がどの程度かに直結する」

「とはいえこのころ、子供わたしたちがさせられていたのはあくまで「稽古」であって、諜報活動の実務ではなかったようです」

 そもそも幼いころは、自分たちが特におかしな事をさせられているなどとは思わなかった。物事の意味を理解したのは、もっと長じてのちの事であるし、その後も特に違和感や嫌悪感を覚えるようなこともなかったとやら。

「そんなこんなでともかくも、私は健康に真っ当に成長したわけですが、私と同じ年頃で、同時期に同じくオメガ判定をされた幼馴染の少年がおりました」

 が、その幼馴染はオメガ判定をされた直後、ふとした風邪をこじらせて肺炎を起こし、冬の最も寒いころに急に身罷みまかった。

「後から知った事なのですが、この幼馴染の死は伏せられたのです」

「なんだ、その伏せられたとは」

「彼の実家に、彼が亡くなったことが伝えられていなかったのです」

「そりゃまた、なぜ」

「その数年後、この幼馴染の実家から迎えが来た際に、代わりに送り込まれたのが私です」

「…なるほど」

 無論、その「幼馴染の実家」の側では、本物の息子がとっくに亡くなっていて、紫翠が偽物であるなどとは夢にも思っていない。異母兄も、兄嫁も、替え玉に送り込まれたのが本物の弟だと本心から思っている。

「で、お前が潜入させられたあの『実家』で、なにをさせられたのだ」

「特に何も」

「何も?」

「状況にもよりますが、密偵稼業というのは存外、自分がなにをすべきか教えられずに現場に潜入させられる場合も多いようです」

 末端のいち密偵があまり詳しく事情というものを知っていると、なんらかの事情で敵対勢力に捕縛でもされた際、拷問でもされればおのれの意思に反してことの次第を喋ってしまうやも知れぬ。そういう危険を減らすため、本当に最後まで何も知らされないパターンというのも結構あるらしい。

「ただ私は、なんと言ってもオメガでございますから、いずれ遠からず何処ぞの権門の家柄に嫁がされましょう。なれば、その嫁ぎ先でなんらかの情報収集、あるいは証拠物品の採取、おそらくはそのうち、そういう命がくだるものと思っておりました」

「まあなあ」

 身代わりとして送り込まれた『実家』は、こう言ってはなんだが、ことさら特筆するほど地位が高くはない「平凡な良家」であって、この家の中にわざわざ蒐集しゅうしゅうせねばならぬような重要な情報は転がってはいまい。しかるに「評判の器量良し」であるのなら、いずれ相当な雲上人うんじょうびとの家に嫁ぐことも不可能ではない。最初から、国政に直接かかわることのできる家柄に、妻妾として送りこむことが目的だったと考える方が自然は自然ではある。

「ところが、この予想は結果的に外れました」

 紫翠が『実家』に迎えられて二年と少し、ぼちぼち嫁ぎ先も決まろうかという頃、突然に南国の水菓子が届き、

 ―――中毒を装い、顔に瘢痕をつくれ。

 という指示がともに上から降って来た。

 理由は、例によって説明されない。が、このころはすでに、説明されないことにいちいち違和感など感じなくなっていて、その後、

 ―――科挙を受験して役人に任官せよ。

 などという、さすがに度を越して突拍子もない指令が下っても、これも特にどうとも思わず、その通りに従ったという。

「…こんなことを聞くのも馬鹿馬鹿しいが、科挙の点数に操作はあったか」

「はあ、それはなかったと聞いております」

 ことさら、彼を確実に合格させるための工作はなかったらしい。進士及第は純然たる実力ということか。

「それだけ頭脳明晰な割には、上から下ってくる指示にどういう意味があるのか、そういう事は考えないものか」

「お言葉ですが、それはある意味、意図的な思考停止をしているからでございますよ。上からの指示にどういう意味があるのか、自分なりに考えて、もしそれが正鵠せいこくを得ていたら、上が秘密にしている意味がない」

「そりゃそうだが」

「まあその、後から私もさすがに上に問い質しました。私を、わざわざ役人などにさせたのは、閣下と私を自然に結びつけるための策であった由」

 琅玕の寝所に未来のオメガ皇帝をただ送りこむだけでは、変物の琅玕は彼を気に入らぬやも知れぬ。場合によっては、へそを曲げて手をつけようとしないようなことも考えられる、もし本当にそんな事になればこれは困る、「夫君殿下」には、何がどうでも新帝を気に入って貰わねばならない。堅苦しいねやに送りこむより日常生活の身近なところに置く方が効果的ではないか。

「…前にも言ったが、俺は一体なんだと思われておるのだ」

 ここまで扱いの面倒な難物と思われるのはさすがに心外だ、と琅玕は不貞腐ふてくされた。

「まあその、閣下は根っから合理主義者でございましょうから、理論で攻めれば存外ものわかりのおよろしいお方なれども、そういうことは、えてしてなかなか伝わらぬものかと」

「妙なフォローの仕方だな」

 ただ、だとしてもまさか当人同士が「魂の番」として、こうもすぐに熱烈に愛し合う仲になってしまうとまでは、これはさすがに予想外だった模様。

「当たり前だ、いくらなんでもそんなことまでで予測できる奴がいてたまるか、予知能力者か何かじゃあるまいし」

 彼らふたりが、より強く結びつくのはおおいに喜ばしいことであって、これは決して悪い偶然ではなかったわけだが、弊害もあった。

「もし、いますぐ私が閣下の御子を宿してしまうようなことがあれば、それはそれで色々と問題がございますゆえ」

 

 

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