第30話 下克上のシナリオ

 前尖晶王家第二王子、岐玉髄殿下は出奔しゅっぽんに際して、情人と共に去る旨、書き置きを残していたのだという。

「ただ、その情人が何処どこ何者なにものであるか、そこまで書いてはいなかったようだ」

 当初、父君であるところのさきの尖晶王、岐黒晶殿下は当然ながら、大変な怒りとともに間男さがしをはじめた。

「が、それからいくらもたたぬうち、兄である第一王子、岐鋭錘殿下が赤熱病で死去、やがて病の蔓延まんえんがはじまり、ついには自分が死んでしまった」

 そのころはもう、玉髄殿下の駆け落ち騒ぎなど有耶無耶だったという。世間全体が、それどころの騒ぎではなかった。

「このふたりが、産んで育てていた幼児とともに山中の寒村で発見された時も、そののちふたりが病魔に侵され他界した時も、なかば放置も同然だったとやら」

 ひとり遺された幼児に手をさしのべるべきは、この場合、本来ならば、岐の朝廷であったはずだった。

「が、病の蔓延のせいで、このころ岐の朝廷は、もはやまともに機能すらしておらぬ状態であったそうな」

 重鎮の爺さん連中が次々に倒れ、いわゆる政治的空白というやつが発生し、通常業務すら滞るような有様であった模様。やむを得ぬ事ではあるとはいえ、どうも、このときの岐宮廷の無為無策ぶりが、華氏をはじめとした各勢力の反乱・離反の遠因でもあるようだった。

「そんな状況であったから、そのままでは、遺児は路傍に放置されかねない状況にあったらしい」

 それを見かねた華氏、個人に集約するならば、若き日の華緑閃(このころはまだ華公代理ではない)が、遺児の保護と後見に名乗りをあげたのだそうだ。なにしろ自分の一族の者の不始末でもあることだ。

「そうして、遺児は華氏の庇護下で育つことになる」

 この場合、保護および後見というのは、ただ単に遺児の衣食住や養育の世話をするだけではない。やらねばならぬことが山ほどある。

 まず、問題の遺児の身柄は華氏ゆかりの寺に移され、遺児はそれ以降、その寺で育つはこびとなった。

「身柄を預けた寺への喜捨、つまり養育費用も全額、華氏の財布らしいぞ」

「はあ」

 そして次は「駆け落ち者」の扱いだった、前尖晶王家第二王子・岐玉髄殿下と華氏の御曹司某、このふたりを、死後ではあるが正式な夫婦として入籍させる。この場合、岐玉髄のところに御曹司某が婿入りした形式になっているらしい。

「そういう体裁を整えることで、ふたりの間に生まれた遺児には、まちがいなく尖晶王家嫡出ちゃくしゅつの子としての身分が与えられたわけだな」

 それも、ただの嫡出子ではない、なにしろこのころ、肝心の前尖晶王家の家族は赤熱病で全滅してしまっているので、

「つまり、まだ幼い遺児が自動的に新当主、当代尖晶王殿下というわけだ」

 こうして遺された子の身分と立場は、どうにか安定せしめられた。

 このとき、若き日の華公代理閣下は、

 ―――それはもう、岐の各庁の尻を蹴飛ばすようにして諸手続きを進めさせた。そうしなければ誰も働こうとせなんだからな。

 とかで、当時の岐宮廷の機能不全ぶりは相当のものだったようだ。

「それどころか、“当代尖晶王殿下のご両親”となった“前尖晶王家第二王子夫妻”である岐玉髄と御曹司某ふたりの葬儀と埋葬を、しかるべき格式で執り行うことまでうちの義伯父貴が引き受けたらしい」

「葬式すら、華氏以外は誰も出そうとしなかったのですか」 

「前尖晶王家たったひとりの生き残り、岐鋭錘殿下の妻だった沈どのも、すでに出家してしまった後のことであるしのう」

 老乾道も、にがい顔で嘆息。

「はあ、何と申しますか、そこまでいくとその幼児、いやもう今は成人なさっておいでの当代尖晶王殿下は、ほとんど、岐の皇族というより、華氏の一族の方に勘定かんじょうすべきお立場なのでは」

「実質的には、その通りだな」

 それどころか、そもそも今でも御仁ごじんの御名は、世間にほとんど知られておらぬはずだという。

 当代尖晶王殿下が帝位継承権第三位に抜擢されるというのは、まだ公式に発表されていない。従って、そのことを知っているのは、それこそ政治の中枢にかかわるごく限られた者のみ。表向き、岐の次々期皇帝候補者えらびに関しては、現在もめぼしい皇族を物色中ということになっているそうで、当代尖晶王殿下の名は、

「むしろ今は、下手な注目を浴びぬよう、意図的に隠されている」

 のだそうだ。

 いずれ、琅玕の“正妻殿“は退けられる。そうして華氏の内部では、「昔、御曹司のなにがしが、駆け落ちで作った子」が「たまたまオメガであったため」、後妻として琅玕にあてがわれる。

 そうこうするうちに、数年もたてば岐では、いま玉座にある老帝は崩御ほうぎょしよう。病弱な東宮も、即位したとてそう長くはあるまい。

「その間に、華では「入り婿の兵部卿閣下と、後妻のオメガ」との間に、子のひとりやふたり、生まれているかもしれぬわけだ」

 そうしていよいよ、その後は帝位を誰に譲るべきかとなった時、はじめて忘れ去られていた皇族に光が当たる。

 …かつて主家たる岐帝国に反旗を翻し、いまは敵対している華氏に保護され、入り婿の後妻になっている皇族のはしくれ、尖晶王殿下なるお方がおられる。

 …後見をしてきた華公代理は老練な政治巧者、夫たる入り婿は名軍師の名も高い、なんならすでに御子も生まれておられるそうな。

 …いっそ、全員まとめて岐の宮廷に入っていただいてはどうであろう。

 …左様、当代尖晶王殿下はオメガ皇帝に、華公代理は宰相もしくは摂政に、入り婿は“夫君殿下”兼、全軍総司令あたりがふさわしかろう。

「はあ、それが岐の宮廷人の方々が考えた筋書きでありますか」

 よくもまあ、ない知恵を絞っていかにももっともらしい段取りをでっちあげたものだ―――と紫翠はこっそり思ったが、口には出さなかった。

 横から琅玕が補足していわく、

「細かいことは気にするな。こういうことは、上っ面の体裁ていさいがともかく整っていて、関係者どもにそれなりの実利が配分されておれば、たとえたれの目にも見えすいた筋書きと明らかであっても、存外、世間はうるさく言わぬものよ」

 それに、筋書きの出来がどれほど良かろうとも、現実はそうそうスムーズには行かぬ、段取りを進めていく過程でちょいちょい予期せぬトラブルや騒乱は挟まるであろう。無論、軍事的な対立も含めて。

 琅玕は、紫翠の内心などお見通しと言わぬばかりである。

「…まあその、おかげでようやく、華公代理閣下が岐の帝位継承に深く関わっておられる理由はわかりましたが」

 なんにせよ、琅玕いうところの“義伯父貴“、華公代理・華緑閃にとって、当代尖晶王殿下は、

 ―――非常に重要な政略の手駒である。

 ということか。

 幼児の後見を引き受けた当初は、単なる親切心で、ことさら見返りなど期待してはいなかった様子だが、思いもよらぬなりゆきで偶然にも、かつての幼児が成人後のいまになって、政局のなかで重要な役割を果たしてくれる展開に恵まれた。

 が。

「ですがそうなると、失礼ながら、華公代理閣下にとっては、その…王母子のような存在は本来、邪魔なだけではないのですか」

 こういうとき、およそ権力者だの、為政者だのいう人種は、いまおのれの手元にかかえた手駒を重要視するあまり、その競争相手になりそうな存在は畑の雑草でも抜くように排除するものではないのか。たとえ王仁礼本人に野心などなくとも。

 つい、妄想でいささか物騒なことを考えてしまった紫翠の顔色を見て、おおかた察したらしい琅玕が、

「逆だ、逆。義伯父貴は政治巧者と言われるが、それだけに流れぬでもよい血が流されるのを嫌う。王仁礼に限らず、岐帝国の血を引く落とし胤などがあらわれた場合、その者の身柄がわが華氏とは敵対する陣営の手にでも落ちれば確かに、当代尖晶王殿下の競争相手になる可能性があるが、義伯父貴が自身の手のうちに保護できれば、そうはならぬ」

「そ、そうなのですか」

 とりあえず、少しほっとした。

「そうだ。無論、華氏の庇護下に入ったあとでことさら冷遇されるようなこともない、しごく真っ当な皇族として平穏な人生が約束されるであろうし、華氏に忠誠を誓うなら(!)能力次第でそれなりの出世も望めよう」

 それを知っておればこそ、菱先生とてもあの御母堂から話を聞いて、速攻でほかの誰でもない、わが義伯父貴殿のところに連れてきたのでござろう、と琅玕。

勿論もちろんその通りだとも」

 老乾道も同意。

 いわく、華公代理閣下のまねをして、おのれが金銭や兵力を提供することで皇族のたれぞを囲い込み、後見人と称し、あわよくば当代尖晶王殿下を押し退け、おのれの手飼いの皇族のたれぞを即位させられれば、華氏を排除して自分ところの勢力が岐の同盟相手になれなくもない。

「そんな事が、果たして可能ですか」

「難易度は高かろうが、不可能とは言い切れぬ、こう言っては何だが、岐帝国にしてみれば、縁組を通じて手を組む相手は、なにも必ずしも華氏でなくてもよいのだ」

 琅玕や、“義伯父貴“華公代理閣下に匹敵するほど、軍事・政治にすぐれた手腕を持ち、なおかつ華氏同様あるいはそれ以上の兵力を持つ勢力が擦り寄ってきたなら、岐帝国は案外すんなり牛を馬に乗り換えてしまいかねない。

「そんな都合のいい条件を揃えた他勢力が、そうそうよそにあるとも思えませぬが…」

「絶対ないとは限るまい。というか、実際そこまで好条件持ちではないくせに、自分ではそれだけの実力があると勘違いして、せんでもよい迷惑な真似をおっぱじめる阿呆な自惚れ屋は世間に存外大勢おおぜい居るものだ」

 そういう不届者に、うっかり王仁礼(に限らないが)の身柄を押さえられるようなことがもしあれば、最悪、

「華氏を後見とする当代尖晶王殿下陣営、対するどこぞの他勢力にかつがれた王仁礼陣営、こっちにそんなつもりはなくとも向こうに突っ掛かられれば相手にせぬわけにもいかぬ。不本意ながら岐帝国の同盟相手の座を巡り、真っ向正面衝突、あげく大紛争、無益な消耗、悪くすればそのまま共倒れすらあり得る」

 …その種の予想される混乱をとにかく避けるために、誰であれ、皇族の血を引く落とし胤などが発見された日には、とにかく華氏の庇護下につれていき、その処遇は華公代理閣下の判断を仰ぐ。他勢力の手の内に落としてはならぬ。

「一連の事情を知るほどの者ならば誰であれ、その程度の分別はあってしかるべきというものだ」

 老乾道は酒には飽いたか、いつのまにか茶をすすりながら、そんなつぶやいた。

「しかし王葎華どのには、逃げられてしまった…」

「交渉が一度や二度、思ったような結果が出なかった程度で投げ出してしまうようなヤワな性分では、国主だの代理だのはつとまらん。故・王仁礼と、今でも御母堂には、秘密裏に監視の密偵がつけられておる」

 

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