第29話 石女

「要するに紫翠どの、そなたは、共どのがすでに正妻ある身で、一体どうやって岐のオメガ皇帝に婿入りするのか、一体どんな小細工をろうしてそれを可能にするのかをいぶかしんでおるのであろう」

「それは、当たり前ではありませぬか」

 紫翠とても、琅玕が、独り身に戻ってあらためて岐に婿入りしたところで、たいした旨味うまみが少ないのはわかる。

 なにしろ琅玕が、華氏の婿であることをやめてしまえば、裸一貫で岐に嫁ぐ(?)ことになるわけで、それだと率いるべき戦力としては、当たり前の話だが、岐一国ぶんの兵力しかない。

「まあそれでも、閣下が率いる以上は、決して悪くはございませんでしょうが…」

 紫翠はほめたつもりでそう言ったのだが、琅玕はむしろ大層嫌そうな顔をして、

「冗談ではない、総大将の質がどれほど高かろうが低かろうが、力は数だ。一か国のみの兵力では、誰が指揮したとてさすがに足りぬ。そんなのはこっちがごめんこうむる」

 いわく、敵対勢力がどこぞと手を組まぬうちに、確実に各個撃破するには、やはり敵に倍する兵力が欲しい。

「たまに、寡兵をもって大軍を撃破するのが名将たる証のように勘違いをしておる愚物がおるが、そんなわけがあるか。優秀な指揮官というのはな、楽に勝てる段取りを準備できる奴のことであって、わざわざ苦労して戦に勝つ奴のことではない。つまり、なにはなくともまず物量で敵方を圧倒せねばならぬ」

「はあ」

 ともかく、なんらかの手段で華と岐の同盟が本当に実現したとするなら、単純計算で二か国分の兵力が確保できるには違いない。

「それに、俺は政治的な事にはあまり向かぬ。そちらの方は老練な政治家と名高いうちの義伯父貴、華公代理閣下に任せたいことだしな」

「わからぬではありませぬが…、しかし、結局はどこまで行っても「それが実現できれば」ではございませぬか」

 もろもろの条件を全て成立成功させるという、そんな奇術のごとき離れ業が、この世の一体どこに存在するというのか、それが紫翠は不思議でならないが、かたわらでは菱陽起が呑気な顔で、

「いやいや、それが出来ぬこともないのだ」

「だから一体どうやってです」

「それはな、共どのの正妻殿、華氏の跡取りオメガ娘というのが、いささか体の弱い女性だからなのだ」

「はあ?」

 一聞、なんの関係もなさそうなことを言われて、紫翠はつい間抜けな返事をしてしまったが、

「しつこいようだが、大事なことだから何度でも言うぞ。岐の帝室でもそうだが、華氏もおなじく、直系の血を引く跡取りオメガにとって、その最優先課題は、世継たる子を産むことだ」

 それが出来ぬとあらば、容赦なく跡取りの地位からは逐われ、正妻の地位も交代させられる。

「つまり俺には、すでに、いずれ正妻とは別の者が後妻としてあてがわれる予定になっておる」

 これもまた華氏のしきたりなのだそうだ、と琅玕が、また杯をあおり、酒臭い息を吐き出しながら、投げ出すように言った。

「…あのう、まさかとは思うのですが」

「ふん、そのまさかよ」

 俺も昨夜、ようやく義伯父貴から聞かされて呆れかえったぞ、と琅玕。

「後妻候補は、ほかならぬ未来の岐皇帝、当代尖晶王殿下だそうだ」

 

 

 

 

 

 

 どうも、琅玕が婿入りするよりも以前から、現在の正妻殿なる女性にょしょうは、健康に問題を抱えていたらしい。

「子の産めぬ身体からだと知りながら、婿を迎えられたのですか」

「さあ、だいぶ昔から身体が弱かったのは確かなようだが、石女が発覚したのがいつなのか、どうもはっきりせぬ」 

「正妻殿御本人には…さすがに直接お聞きになるのは、気が引けましょうな」

 ことがデリケートな問題であるから、琅玕とても気をつかっているのかと思えば、

「聞けるものなら聞きたいが、機会がない」

「え?」

「ばかな話で、くだんの正妻殿、俺の婿入り新婚初夜から今に至るまで、ぼちぼちもう一年ほども経つが、これまでいっさい俺の臥所に姿を現したことがない」

「そ、そんな馬鹿な」

「それどころか、俺は彼女の尊顔そんがんすら、いまだ一度も拝したことがないのだぞ」

 直接会ったことすらないのでは、どんな疑問も問い質しようもない、と琅玕。

 今日いったい何度目のことかもわからぬが、紫翠、唖然。

 さすがの琅玕も、今度ばかりは意にも介さぬとはならず、、

「どうだ、驚いたろう」

 と、妙なところで威張った。

「無論、俺とても、おかしいと思わなかったわけではない。だから何度か、正妻殿に会わせろと掛け合ったことはあるのだが」

 公邸の奥を差配するという侍女じじょがしらは、“正妻殿“の健康が優れぬことを理由に言を左右し、とにかく、夫たる琅玕と彼女を会わせようとしない。

「身体の具合が悪いなら俺が診てやる、とも言うたのだが」

 これも、断られたらしい。華氏にも累代の侍医がいて、彼らの職分を犯すわけにはいかぬから、琅玕は、医者としての口出しは禁じられているのだという。

「まあなんだ、そんなわけで、どこまで本当かはわからねど、にいどこすらつとまらぬほど身体が弱っておるなら、それは子が産めるはずもなかろうな」

「とはいえこういう場合、入婿は、放逐ほうちくされるようなことはない」

 菱陽起が、横から補足を加える。

 「跡取り娘が、たとえば婿取りの時点では全くの健康体だったのが、そののち子をなす前に怪我や病、あるいは流産死産を繰り返すなどで身体を損ない、子の望めぬようになる―――という例は、これまでも幾例かあったようだ。だが、かといって、妻側に問題が生じたゆえ、その夫である入り婿当主ごとはいするわけにはいかぬゆえな」

 なにしろ華氏の婿というのは、単なる跡取り娘にあてがわれた亭主ではないのである。前述のように極端な狭き門を突破し、万難を排して迎えられた未来の一族の長、いずれ国家の舵取かじとりを任される立場ゆえ、何年もかけて慎重に候補者が選定され、もっとも優秀であるとたれもが認める者がその地位に昇る。

「婿本人がなんぞ問題を起こしたとでも言うのなら、それは仕方がないが、当人に落ち度があるわけでもないものを、おいそれと放り出すような勿体もったいい真似は出来ぬ」

 それゆえ、妻の側に何事かあった場合は、正妻の方を交代させる、わけである。

「すなわち華氏の一族の中から、健康、かつ出来るだけ直系に近い血を引くオメガをあらためて選び、新しい妻として入り婿にあてがう」

 そうして子を産ませて次世代以降の血統を確保する。ともかくも、妻の側さえ「華氏の直系オメガ」でありさえすれば、その正統なる血筋は間違いなく守られるわけだ。

 琅玕が例によって、大酒をかっ喰らいながら語っていわく、

「あきれたはなしもあればあったものよ。聞けば、前尖晶王家の第二王子、岐玉髄殿下の駆け落ち相手というのが、なんと、華氏直系の血を引く、歴然たる御曹司だったのだそうな」

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