第22話 替え玉のモデル

「かつて前尖晶王家の門前には、著名ちょめい無名むめいを問わず、画家や彫刻家と呼ばれる人種が列をなしたものだそうな」

 そういえば、老乾道は若い頃の宋灰廉となにやらいささか縁があった、と言っていた。

「一体どんなえんでござるか」

「ナニ、そう大した話ではないわい」

 当時、菱陽起は北師のさる名門道観におり、若手乾堂の出世頭だったが、観が宋灰廉に壁画を依頼し、しばらくのあいだ、観へと通ってくる彼の接待役を申しつけられていたのだそうな。

「ま、若かりし折には誰でもそういう雑務をさせられるものだが、そういうなりゆきでなんとなく、気づいたら彼の愚痴の聞き役をさせられておったのよ」

 いわく、普通は被写体モデルの方から画家や彫刻家に自分の肖像画や彫像を依頼し、その場合、当たり前のことだが、依頼をしてきたモデルの方が画料を支払う。

 依頼先が高名な巨匠であればあるほど、画料がつりあがっていくわけだが、

「前尖晶王家に日参した画家連中は、自分たちの方からモデルに金を支払って、岐玉髄殿下を描かせて貰おうとしていたわけだな」

 こういうことは、そうしょっちゅうあるわけではないが、かといって、そうめずらしい事でもないらしい。

「父上の前尖晶王、岐黒晶殿下が一番喜んだのが、市井の庶民むけに売り出される量産品のモデル依頼だったのだそうな」

「つまりこれ―――私がが実家から強奪してきた、亡義母の持ち物だったこの肖像画のような?」

 紫翠が肖像画に視線を向けると、老乾道はその通り、とつぶやき、

「世間に人気の高い、いわゆる著名人の姿を描いたものなら数が出る。薄利多売はくりたばい、安物といえどももうかるのだ」

 …通常、あるていど名の知れた画家や彫刻家というのは、工房を持って弟子を多数かかえる。

 工房のあるじたる師匠が、工程の全てを手がけるのは、よほど重要な作品のみ。それこそ貴顕紳士から大金で依頼された肖像画や、有名寺院や公共の場に飾る作品などだけだった。重要度の低い作品は、背景や、人物画なら顔以外の体の各所など、あまり目の届かない部分を弟子に任せたりするのは普通のことで、

「ましてや大量生産品なら、原画のみ師匠が手がけ、弟子がそれを写して同じものを次々描き、一枚いくらで市井の人々がそれを買っていくのよ」

 工房名こそ入っておらぬが、この肖像画はまさに、宋灰廉工房で生産されたものに違いあるまい、と菱陽起。

「ああ、が違う割にずいぶんと解剖所見の素描と似ていると思っておりましたが、そういう事でしたか」

 琅玕が、へんな所で納得している。なるほど宋灰廉の下絵を弟子の画工が模写して描いたのがこの肖像画、ということか。 

「売り上げは、画家の工房と版元、モデルの三者で山分けというところか。そのころ万年金欠病にあえいでおった前尖晶王家にとっては、さぞかし良い実入りになったであろうなあ」

 美形兄弟王子を描きたがる画家どもの中には、芸術的価値の高い、一点ものの作品のモデル依頼をしてくる者も沢山いたが、そういう依頼は存外、モデルに対して支払われる謝礼は大したことはない。

「ま、それでも、そういう依頼も、父王・岐黒晶殿下は決して断ることはなかったというな」

 ちなみに、前尖晶王家の兄弟王子はふたりとも、その美貌で大層な人気だっだが、

えてどちらがより一層、周囲に愛されたかと言えば、まあ、やはり弟王子の方だろうなあ」

 ―――第二王子、玉髄ぎょくずい殿下の姿すがたを描かせていただきたい。

 という依頼の方が、兄王子を描きたいと言う依頼よりも、圧倒的に多かった模様。

 そこで、なぜか菱陽起は、その肖像画をながめながら、唐突にぶっと吹き出した。

「何です、どうなさいました」

「いやすまぬ、この件、思い出すたびあまりの馬鹿馬鹿しさについ笑うてしもうてな」

 弟王子・岐玉髄殿下の絵姿を量産品で出せば、市井の庶民がどんどん購入してゆくものだから、版元は手を変え品を変え、ポーズや衣装、演出をどんどん変化させて何枚も玉髄殿下の肖像を出そうとし、父王もそれにこころよく応えたそうだが、

「その割に父王殿下なるお人は、なんというか、だいぶ心配しんぱいしょうであられた様子だな」

「何です心配性とは」

「歴然たるアルファで、そのうえすでに妻帯していた兄王子の岐鋭錘殿下であれば、そんな心配はせずともよかったが、弟王子の岐玉髄殿下は未婚のオメガであられたからな。万が一にも、よからぬ虫がつかぬよう、馬鹿な真似をしたと言うて伝説になっておった」

「伝説たあ何です、お目付け役が便所の中にまでついてくるとか?」

 横から琅玕が混ぜっ返すと、

「そんななもんではないわい、モデルのだまを立てたのよ」

「替え玉?」

「岐玉髄殿下を描きたがる画家どもに、岐鋭錘殿下の方をあてがったのだ」

「はあ⁈」

 ―――同じ顔ならどちらを見て描いても同じこと、それが嫌なら肖像画など描かせぬ。

「と、父王・岐黒晶殿下は、画家どもの前でおおを切ったのだそうな」

 …良家の子女が深窓に育つのは当然のことだが、外部の人間にいっさい全く会わせないというのは、これはさすがに物理的に不可能である。

 従って、たとえば習い事の師匠だの、今回のように肖像画を描きにくる画家だの、その種の人間と接触させる場合、間違っても「手を出される」ような事がないよう、決して二人きりにはさせない。必ず、お目付け役のしんなり、侍女なりが同席する。

 が、

「父君の岐黒晶殿下は、そのお目付け役どもすら、信用しておらなんだらしいな」

 まあ、外部の者と令嬢令息が良い仲になり、お目付役に小銭を与えて追っ払い、よろしくやるなどいうのはありふれた事例であったから、父王の気持ちが全くわからぬわけでもない。

「…」

 あきれかえる紫翠の隣で、琅玕はと言えば、椅子の上で身体を二つ折りにし、悶絶もんぜつするがごとく忍び笑っていた。可能なものなら大声で大爆笑したいところであろうが、さすがに場所柄をわきまえたか。

「驚いた話だろう。前代未聞、いまに至るまで空前絶後だ」

「はあ、本当の話なのですかそれは」

「有名な逸話よ。何なら同時代人の絵描きの誰ぞでも捕まえて聞いてみるがよい」

 兄弟王子の顔立ちが、どれほどよく似ていたと言っても、

「双子でもあるまいに、年齢差も体格差もあるゆえ、見分けがつかぬほどであったわけではないのだがな」

 苑環と同じような事を言う。

 それでも、苑環とは違って菱陽起は、このころ兄弟王子の双方とも直接の面識があった。

「兄王子は、痩せ型なれども上背が結構あったな。一方で弟王子は、それこそ女性と言っても通るくらい、小柄で骨細なお方だったぞ」

 父王、岐黒晶殿下は、

 ―――そのくらいの違いは、どうにかして似せて描くのが画家の手腕ではないか。

「などとたんを切ってのけたというから、なんともはや、貧乏なくせに皇族などというのは我儘わがままなものよ」

 とはいえ、画家の方でも、大量生産品は金を稼ぐためにする仕事である。そこまで芸術家としてのこだわりを持ってするものでもないゆえ、みな呆れながらも要求を受け入れた、らしい。

「ちなみに宋灰廉も、他の画家ども同様、それにならうことは倣っていたようだったが」

 しかし彼のみ、倣いつつも不満たらたらで、何かというと周囲(主に菱陽起)を捕まえては愚痴ぐちを垂れ流していたそうな。

「それを聞いておれば嫌でもわかる。どうやら単なる被写体としてのみ弟王子に執着していたのではなく、いわゆる恋慕の情を抱いていたのは間違いない」

 にもかかわらず宋灰廉は、父王殿下ののおかげで、一度も岐玉髄殿下本人に直接あいまみえることがかなわなかったのだという。

「事情はこのさいくとして、一度も逢ったことのない相手に本気で恋をするというのも、儂などにはいささかおかしな話のようにも思えるのだが、まあ、このころは宋灰廉同様、逢ったこともないくせに、玉髄殿下を相手に一方通行の岡惚れをしておる輩など、星の数ほどおったからな」

 とはいえ、当たり前の話だが相手が相手であるゆえ、それこそ宋灰廉でなくとも、その想いがげられることなどあり得ず、どれほど焦がれたところで詮方せんかたなきことではある。

「高貴の血を引く御令嬢やオメガといえど、なお方は結構おられるものだが、しかし玉髄殿下は、そういうタイプのお人柄ではなかったようだしな。たとえ直接あいまみえる事が叶ったとしても、はなから成就するような恋ではあるまいよ」

 当の宋灰廉いわく、

 ―――届かぬ想いであることなど百も承知、せめて殿下の御姿を精魂せいこんこめて描き、おのれの作品の中に残すことで、自分なりの想いの成就に代えたいと思っていたが、それすら叶わぬのか。

 と、悲嘆しきりであったとやら。

「はあ、そのころは私などもすでに彼とは知り合いだったが、そんな話はついぞ聞かされたことがございませんな」

 そう琅玕が言うと、

「それはそうであろう、共どののようなドライなしょうぶん御仁ごじんにこんなことを語って聞かせたところで、つまらんの一言で終わらされるのがオチであろうよ」

「まあそうでしょうが」

 老乾道に遠慮のないことを言われても、気にならぬのか、全く否定しないあたりが琅玕らしいと言えばらしい。

「とにかくだ、そんな強引な手段まで使うてまで、前尖晶王たる父王殿下は、第二王子・玉髄殿下の身辺を徹底的に警戒していたわけだが、千慮せんりょ一失いっしつというものは存外あるものだな。結局はいつのまにか、玉髄殿下に秘密の愛人が出来ておったわけだ」

 おまけに周囲はとんとそのことに気づかず、そのうちに、二人は手に手を取って逐電ちくでんしてしまった。

「父王殿下は、はじめ茫然ぼうぜん自失じしつ、やがて烈火の如く激怒したそうな」

 当然のことで、おのれの息子が間男をつくり、そのうえ出奔しゅっぽんまでして、腹を立てぬ父親はおるまい。

「ただこの場合、それだけではなくてな」

「とは?」

「どうもこの父王殿下、玉髄殿下をいずれ入内じゅだいさせるべく画策かくさくしておったらしい」

「!」 

 二十年前といえば、いまの東宮がその地位に立太子されたばかりの時期である。

「ははあ、あの病弱な東宮に嫁入りですか」

「当時から健康にやや難はあったようだが、ともかくも東宮なれば、歴然たるアルファには違いないわい。それに、このころ、東宮の身辺にはすでに数多くの宮女がつかえておったが、まだ皇子は生まれておらぬ時期であったしな」

 たとえ没落王家出身といえど、皇族のオメガには違いない岐玉髄であるから、本当に入内が実現し、かつ首尾よく皇子を産んだとするなら、格式から言ってその皇子はまず間違いなく次期東宮にあげられよう。そうなれば、いずれ岐玉髄は国母こくも、そして当人のみならず、実家である前尖晶王家も当然、相当な実入りがあるはずだった。

「父王殿下にしてみれば、おのが家運をかけて一発逆転の策に出ようとしておる時に、当の息子本人にそれをおしゃかにされてしもうたのだからな。それは腹も立とうというものだ」

 ただ、当の岐玉髄殿下の方は、この入内話をずいぶん嫌がっていたのだという。

 時期的には、おそらくすでに秘密の愛人が居たと思われる頃で、だとすれば当然の反応といえよう。ただ周囲が、そんなこととはつゆとも気づいていなかっただけのことである。

「が、父王殿下は父王殿下で、子供の結婚は親が決めるものと一方的に決めつけ、いやがる岐玉髄殿下の意志など完全無視であったというからのう。逃げ出したくなっても無理はないわい」

 しかるに、世間では、

 ―――岐玉髄殿下、情人と共に行方不明。

 の報が流れた際、はじめ宋灰廉の落胆ぶりは相当なものであった、らしい。

 が、

「それが、ばかな話でその後、あまり時をおかずに玉髄殿下の入内うんぬんの噂が市井しせいに流れたものだから、一度は地獄の底まで落ち込んでおった宋灰廉は、こんどは大変な剣幕で父王殿下をののしりはじめおった」

 己の出世欲のために玉髄殿下を犠牲にするあくぎゃく非道ひどうやから、人の子の親の風上にも置けぬだの何だの、ひとしきり大騒ぎをした後、

「その魔の手から逃れ、真に恋する相手と結ばれたのであるから、殿下は今頃まちがいなくお幸せであろう、我々はむしろそのことを祝福せねばならん、などと吹いてあっさり立ち直り、儂などはずいぶん拍子抜けしたものだ」

 生真面目なのかお調子者なのか、いまひとつよくわからぬところのあった男であるらしい。

 そして悪虐非道(?)の罰があたったか、数年後、玉髄殿下の行方が判明したころには、すでに父王殿下はこの世の人ではなくなっていた。

「が、そののち大して間をおかず、今度は玉髄殿下の病死の報よ。そのころ宋灰廉は席熱病にもかからず壮健そうけんでおったが、奴がその報を知った時は、それこそ後追い自殺でもするのではないかとあやぶみたくなる様相ようそうであったな。まったく、情緒の浮き沈みの激しい奴もおったものだ」

 よほど悲嘆にくれたらしい。これだから叶わぬ恋に溺れた男などというものは、じつに愚かな生き物であることよ―――と老乾道は嘆息たんそく

「それ以来、宋灰廉が若く美しい青年像を描く時はかならず「この顔」をしておるのだ。気づいておる者がどれほどいるか知らぬが、すくなくとも、儂の目にはそうとしか見えぬ」

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