第20話 虚無への扉

「で、これまでその、銀の鍵の方ばかりとり沙汰ざたされてきたが、その鍵で開くとびらというのは、一体どこに存在するのですかな。この遺跡のさらに深部とのことでしたが」

 これまで黙って話を聞いていた琅玕が、ふとそんなことを言い出した。

「儂も、そう聞いてはおるものの、まだ直接そこまでおもむいたことはないのだ」

 それに、その扉というのがどこにあるのか、詳しい場所も聞かされておらぬとのこと。

 しつこいようだが、なにしろ菱陽起は部外者なのである。状況が状況だからこそ、このように密接に関わってはいるが、本来ならば鍵の存在を知ることすら赦されぬ立場なのだった。

 聞けば、本来ならば、銀の鍵を次代の新観長に受け継ぐ際は、儀式とまでは行かぬものの、余人をまじえず先代観長が新観長ひとりをともない、“扉“の前まで連れて行き、その扉とやらの前ででんの内容を申し伝えた上で鍵を手渡す―――というのが一連の決まりごとであるらしい。

「その“扉“とやらを開くのが、くだんの銀の鍵でございますか」

「うむ、そのように聞いておる」

「たとえばその、扉の前で口伝を申し伝える際、鍵を使って扉を開き、なかを確認するようなことは…」

「口伝では、それは絶対にしてはならぬと伝えられておるそうな」

「はあ、では本当に、ただ鍵と口伝を受け継ぐだけ?」

「そのようだな、本来ならば」

 ただし先代観長の岐氏は、いよいよ臨終間近、もう身体が寝台しんだいから動かぬとなってから、次期観長に指名した古株坤道のちん、それに菱陽起を枕頭ちんとうに呼んだのだという。

「そして儂は、いま鍵が手元にない事情の説明をする折には立ち合ったが、その後、いざ口伝の内容を新観長の沈どのに伝える時には、席を外させられたわ」

 そしてその新観長たる沈氏も、寝台の上の先代観長から口伝のみただ伝えられたきりで、

「場所を教えられている以上、あとからその“扉“とやらの場所まで赴くことも出来なくはないわけだが、これも口伝によるとみだりに“扉“に近寄るのはまかりならぬ事らしい」

 老乾道が後日、新観長の沈氏に直接聞いたところによれば、実際に沈氏はその後一度も教えられた扉の場所に行っていないとのこと。

「どうも口伝によれば、銀の鍵は、“扉“を開くために存在するのではなく、決して開けてはならぬ封印としてあるものなのだとやら」

「ははあ、それはそれは、もしかして妖怪か魔物でも封じてあるのですかな」

 琅玕は冗談のつもりでぜっかえしたのだろうが、菱陽起は、なにやら変にまじめくさった表情で、

「伝わっておらぬ」

「は?」

「これも口伝では、いつごろからどんな来歴のものが“扉“の向こうに座しておるのかは、だいぶ昔に失われてしもうておるそうだ」

「なんですかそれは、中になにがあるのかもわからぬとは、一体どんな観宝ですか」

 琅玕はそう言って呆れたが、菱陽起は菱陽起で、

「こういうことは文書に残さぬ口伝の弱みよな」

 と、渋い顔。

「さらには、口伝の内容を文書もんじょなどの形にして残すのは厳禁。観の内部の者であっても、歴代観長以外の者に伝えるのもやはり厳禁。次の観長候補がはやくから定めてあるような場合であっても、代替わりの儀式よりも前に口伝を伝えるのも厳禁だという。これらのことも、なぜそんな禁則事項が存在するのか、理由からして不明だそうだが」

「はあ、よくぞそんなやりかたで、今の今まで途絶とだえることなく続いてきたものですな。そうまでして、知る者を制限せねばならんというのはまた、大変な秘密主義だが、本当に一体なにが封印されておるのやら」

「まあこれは勝手な憶測だが、あるいはぶつ神像しんぞうのたぐいであるとかな」

「ああ、なるほど」

 寺院や道観では、ときおり、一般に公開せぬ仏像や神像をまつっているところがあり、それを秘仏あるいは秘神像などと呼ぶ。

 場合によっては、一般信徒どころか所属の僧や乾坤道すら、なにがあろうと決して見てはならぬとする絶対秘仏・秘神像の場合もあり、厨子ずし(仏像や神像の収納庫)の扉を一千年以上のあいだ閉じたまま、たれの目にも触れず、ついには火災や自然災害などで永遠に失われてしまった例すらあったりする。

「秘神像か。それは、非常に現実的で腑に落ちる解釈でござるな」

 ひねくれ者の琅玕がめずらしく、素直に納得している。

「それで得心とくしんがいき申した。菱先生が、この遺跡の深部の奥の院の鍵などと仰るゆえ、おかしいと思うておったのです」

 琅玕いわく、あの銀の鍵は一見してそう古いものではない。ごく平凡な普通の古道具にしか見えぬが、一方で、この遺跡は一体いつごろのものなのか。

「なにしろ遺跡でございますゆえ、まあ正確にはわからねど、場合によっては数千年の昔からあるものと思ってつかえございますまい。つまりあの銀の鍵とは時代がわぬ」

 あの鍵で開け閉めをするような錠前や扉なら、ある程度近年になって作られたものでなければおかしいが、

「遺跡が発見されたのち、あとから扉や鍵がつけられたと考えれば矛盾はない」

「ああ、そういうことか。問題の銀の鍵というのを、実は儂はまだ直接に見たことがないからな」

 そこまでは気づかなかった、と老乾道。そういえば、菱陽起が先代観長にことの次第を相談されたのは、鍵を岐鋭錘に持ち逃げされたのちのことだった(当然だが)。そののち今になって琅玕が「発見」したが、この場には持ってきていないから、事情に詳しい割には、菱陽起は鍵の外見を知らぬのだった。

「古代の遺跡から、ふるい時代の神々や、伝来まもない頃のほとけの像などが発見されるのも割とある話だ。石窟像せっくつぞうがいぶつのように、その場から動かせぬものが地下深くで発見されたのやもしれぬ。ふるいものはひと目を避けた方が劣化を防げるゆえ、そこに至る途中に扉と鍵をつけたは良いが、経緯が忘れられて今に至るのやも知れぬな」

「あるいは描かれておるものの姿形や、文言などが、現在伝えられている様式や教義と矛盾があるのやもしれず」

「ふむ、そういうものをうかつに公開などすれば、大変な宗論そうろんを巻き起こす可能性とてないとは言えぬ、信仰上の問題や対立というのは、ひとつ間違えると根の深い問題になるゆえ」 

「はあ、お言葉ですが、そういうことはそれほど大切な事柄ですか?」

 紫翠は、ついそんなことをいてしまったが、

「何を言う、中になにがあるのかが重要でないはずはあるまい。もし大山たいざん鳴動めいどうして中にはねずみ一匹居るきりだったなどとなれば、馬鹿馬鹿しいを通り越して腹が立ってくるわ」

「それはそうですが…」

 当然といえば当然なのだろうが、琅玕も菱陽起も、ずいぶんと「何が隠されているのか」にこだわりがあるようだった。

「事がひと段落したら、一度、なにがあるのかきちんと確認をした方が良いでしょうなあ」

「口伝の禁に触れることになるな。さてどうやって沈どのを口説いたものかの」

 揃って、そんな先走ったことまで言い出した。

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