第17話 老乾道

 老乾道は、りょうようと名乗った。

「さるえにしで、この宴にこちらの先生が毎回のように出席されておると小耳に挟み、丁度お会いしたいと思っていたゆえ、宴に参加させて貰ったのだ」

「いわゆる常連というやつだな」

 琅玕の説明に、老乾道は、酒を含みながら補足した。

 無論、常連客は彼ひとりに限ったことではない。客どうし何度か顔を合わせて知り合いになることもあれば、元から存じ寄りの者どうし出くわすこともある。どちらにせよ、仮面をつけて参加するような宴であるから、本来なら、お互い素性に気づくことがあっても知らぬふりをするのが作法というものであるようだ。

 そのためこのふたりのように、会うなり名を口に出すようなことはそれこそ野暮の振る舞いなのだが、琅玕だけでなく、老乾道の方もそんなことをいちいち気にするような性分ではないらしい。。双方、ことさら強いて身分を隠すようなつもりもないようだ。

わしは、さる道観の長をしておる縁で、ここの観長とは昔からこんでな」

 老乾道は、岐と華の国境にある某有名道観の名を挙げた。

 地理的には岐に属する土地にある観だが、有名道観の観長ともなれば、他国への出入りもかなり自由に出来る様子で、月一で開催されるこの宴に、ほぼ毎回出席しているとのこと。

 そして、

「常連ゆえのえにしもあって、最近はこのりっに、女ひとりでは背負いきれんような様々な事情をいろいろと相談されておるのだ」

 数日前に手紙で、息子が死んだと書いてよこしてさすがに驚いた、と老乾道。

「おまけに昼間、華公代理閣下から文をいただいて、それによれば遺体は別人やも知れぬだの、いま葎華のやつに聞けば息子は生きておるだの」

 どうにも情報が錯綜さくそうしていかん、と老乾道。

 琅玕は、眉間にしわを寄せた。

「御母堂、困りますな。菱先生に事情をお話しされるのは構わんが、情報は正確に伝えて頂かねば」

 あわただしく、琅玕は手短かに事情を説明した。

「ああなるほど、遺体がたとえ別人であったとしても、必ず生きている、ではなく生存の可能性あり、ということか」

 まあ勘弁してやれ、人の子の母たる者ならどんな細い希望であってもすがりたくなるのが人情というものよ、と優しげなことを言う。

 が、その舌の根も乾かぬうちから、

「葎華、用がある時は呼ぶゆえ、部屋で待っておれ」

「…菱先生」

「ごちゃごちゃ抜かすな、はよう行け」

 問答無用、と言わぬばかりの態度。王葎華は数秒、椅子の上でおどおどと身をんでいたが、やがて不満げな顔を隠しもせずとばりをかきわけて姿を消した。

「あれがおると、いろいろと話が面倒になるでな」

 これで心置きなく語り合えよう、と老乾道。それは琅玕も同感だったのだろう、無言でうなずく。

「あの、閣下、私も席を外した方が…」

「お前は変な遠慮をせんでよろしい」

 琅玕は、紫翠を手短かに紹介した。

「ああ、これが噂の御側室どのか」

 菱陽起なる老乾道は、孫を見る祖父そふのごとき表情で微笑んだ。紫翠は黙って供手一礼。

 …先刻、この老乾道は華公代理閣下からの文をもらったと言っていた。そこには王仁礼の生存非生存について書かれていたらしい。だとすると、老乾道は今回の件について、かなり突っ込んだところまで知っている、あるいは直接関わっているということだろうか。

 そのへんのことは、初対面の紫翠あたりが、そうそう気楽に訊けることではないから黙っていたが、

「さて、おふたりはこの宴に参加するのは初めてとのことだが、感想はいかがかの」

 と、菱陽起。全然関係なさそうなことを質問してきた。

 まだ本格的に始まってもいないのに、感想もなにもないものだが、琅玕は、

「いや、じつに興味深うござる」

 途端とたんに、らんらんと瞳を輝かしはじめた。

 珍しい昆虫かなにかでも見つけた子供でもあるまいに、すっかり興奮した様子で身を乗り出す。無論、宴そのものがどうこうではあるまい。

「この伽藍は、一体いつごろからあるものなのでござろうか」

 人の手でいったい何十年かけて掘られたものなのか、この伽藍のほかにはどんな遺跡があるのか、観のえんしょ(創建由来・沿革)などになどのように書かれているのか、世間に古記録などは伝わっておるのか、等々、つばを飛ばしてまくしたて、疑問はめどもきぬ。

「まあ、共どのがたかぶる気持ちもわからぬではない」

 菱陽起は、苦笑気味にそう言った。

「儂も、はじめてここに案内された時はずいぶんたまたものよ、もう二十と余年も昔になろうかの」

 詳細は、自分も部外者ゆえ良くは知らぬ、とのこと。

「そんな昔から、ここではこうして宴が開かれているのですか」

「それどころか、この宴がいつごろどのようにして始まったか、それすら定かではない。それほど大昔からおこなわれておるようだ」

「はあ、それはまた、何とも…」

 そんな歴史ある行事(?)とは思わなかった。見たところ、会場こそ地下遺跡のなかというのが異彩いさいを放つが、それ以外といえば規模こそ巨大なものの、富裕層が社交のために開く普通の宴に見える。

「ただ、素人判断ではあるが、どうもこの伽藍は遺跡のごく一部のようではあるな。周辺を掘ればさらにさまざまなこうが出て来るのではないか」

「ほほう、それはそれは、可能なものなら一度よく見てみたいものですな」

 菱陽起の見解に、舌なめずりをせんばかりの琅玕。一体なにをしに来たのかわからぬ。

「しかし、招待客には他言無用を義務付けているとはいえ、この遺跡、こんな衝撃的なものを少なからぬ人数の部外者の目にさらして、よくぞ今の今まで秘密が守られているものですな」

 ますます脱線をする。

「この観でもよおされる、けん紳士しんしの集う宴、それがこのような伽藍のなかで行われるなどという話はとんと耳にしたことがない。世人はこの種の遺跡などには興味を持たぬものか、私などはむしろそちらの方に驚く。可能なものなら大々的に世間に公表し、専門の者に研究させるべきと思うのですが」

「さて、それはここの観長が許可すまい」

 それどころか、この伽藍だけならともかく、ここよりもさらに奥があることなど、内部の人間でも下っ端坤道などは知らされておらぬ、と菱陽起。

「くだんの鍵というのは、この遺跡のさらに深部にある奥の院の鍵のことよ」

 と、老乾道はさりげなく、ことの核心を口にした。

 浮かれちらしていた琅玕が、ようやく我に返る。

「失礼、菱先生、こちらをごらんあれ」

 ばたばたと卓上に肖像画だの解剖所見だのを並べ、再度、あらためて今度はもっと詳しく、ことの次第を解説した。

「ふむ。…」

 菱陽起は、胸に下げていた片眼鏡を右目にひっかけた。

 かたわらの燈明をひきよせ、肖像画を目前にかざし、近づけ遠ざけ特徴を確認する。しかるのち今度は、解剖所見の紙束をって熟読じゅくどく玩味がんみ

 そして、

「念を押すが、その、さきの尖晶王家の第一王子、えいすい殿下の遺体の腹から出て来たという銀の鍵、それはこれまでずっと共どののやしきにあったのだな」

「そのはずでござる」

「いまは何処どこぞに隠してあるのだな?」

「左様、隠し場所は、こればかりは菱先生といえどもお知りにならぬ方がよろしかろうと存ずる」

「なら聞かぬが、二十年前に遺体の腹から取り出した鍵と、いまになって抽斗の小筐とやらから探し出したそれは、同一のものであるのは間違いないのであろうな」

「さて、少なくとも、私がおのれの目で見る分には同一のものと思えましたな」

 ただ、なにしろ琅玕は二十年間、この鍵の存在なぞ忘れて暮らしていた。その間に誰ぞがどこかへ持ち出していたり、意図的に複製でも作ってすり替えるなどした可能性はゼロではあるまい。

「まあよい、とりあえずは同一のものと信用致そう。確証はないにしろ、悪く悪く疑いつづけてゆけばキリがないゆえ」

 片眼鏡を外し、軽く息をついて、老乾道は白髯はくぜんをしごいた。

 そして、

「儂はな、諸事情あって共どのの言う“銀の鍵“なる物について、だいぶ昔からその存在を知っておった」

 その経緯についてこれから語ろう、聞けばさぞかしそなたらも驚こうぞ―――と杯の酒をひとくち含み、複雑そうな表情で、視線を宙に漂わせた。

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