第16話 遺跡

 琅玕は、紫翠をつれて一度別邸に戻った。

 なにしろまだ朝であるから、宴が始まる戌の刻までまだだいぶ時間の余裕がある。紫翠は自室で一休みをしつつ、自分と琅玕ふたり分のうたげ装束しょうぞくの準備をはじめた。

 観からは、宴に参加するにあたって、

―――めんでお顔を隠しておいで下さいまし。ぶん、立場が明確に特定できるような服装やお持ち物は固くお断り致しております。

 という条件を提示されている。

 招待されるのは、それなりの階層の人間ばかりのようであるから、ただ身元を誤魔化ごまかすだけでなく、ある程度みすぼらしく見えぬ格好をせねばならない。紫翠は私服のなかでは一番上等なほうを準備し、琅玕には、かつて上流階級の患者相手の往診で着ていた樟脳しょうのうくさい衣装を引っぱり出す。

 その間、琅玕本人はといえば、宴の出席準備など紫翠に任せきり、朝食も食わず、また苑環を呼び出してなにやら指示を与えたり、どこぞに人を走らせたり、かと思うと今度は自分がどこかへ出かけていったりと実にあわただしい。

(閣下は、なにゆえ突然、玄牝観での宴などに出る気を起こしたのやら)

 明確な理由があるなどと言ってはいたが、結局、観を辞したあとも、琅玕はその理由とやらを説明しない。

 ここしばらく、変に突拍子もない出来事ばかりが続くせいか、紫翠も、すぐに事態のなんたるかが解明されなくても、あまり不都合を感じなくなっている。

 (いまは、何がなんだか解らなくとも、いずれ解るときが来るのだろう) 

 大した根拠もないまま、なんとなくそんなことを思いつつ準備をととのえ、とりの刻も押し迫った頃にあらためて、観に向かった。

 

 

 

 

 別邸に差し向けられた目立たぬつじ馬車ばしゃは、なにも言わずとも玄牝観へと走った。

 琅玕は、目元のみ隠す仮面をつけているが、紫翠は顔の傷痕を全て隠さねばならないので、顔面を全ておおう仮面を選んだ。馬車に乗り込むとき、御者が無言でじろりとふたりの姿を睨みつける。ここで、宴に相応しからずと判断されたら乗車を拒否されるのやも知れぬ。

 さいわい今回はそんな展開にはならなかったが、観に到着すればしたで今度は、門前でなにやら、踊り子かなにかのような華美かびな衣装の若坤道に出迎えられた。

―――今宵見聞きすることは全て、他言無用にてお願い致します。

 なによりも先にそれを念を押され、連れてこられたのは、本堂のだいぶ奥まったところにある、日頃は関係者以外は立ち入り禁止の札の下がった扉の前だった。

「…これは」

 扉をひらくと、おのれの目を疑うような光景が広がっていた。

「な、なにゆえこの観に、このような場所があるのですか」

 横に数人並んで上り下りできそうな、かなり広い石階段。それが下に向け、ずいぶんと地下深くまでのびている。

 石階段の奥底には角灯ランタンの灯りがチラチラと見え隠れしている。っすらとれ聞こえて来る、人の声のざわつきや管弦かんげん音曲おんぎょく

「宴は、地下室で開かれているのですか」

 そう聞いても、案内役の若坤道はなにも答えず、やはり角灯を取り出してを入れ、先に立って石階段を降りはじめた。

 そのあとについて、文句も言わず自分も階段を降りていく琅玕。しかたがないので紫翠も黙ってその後に続く。

 黙々と、どこまで続くかも判然とせぬ階段を降りながら、

(途中から、足音が変わったような気が…)

 ふと、そんなことを思った。

「紫翠、手をのばせ」

「え?」

「俺の方じゃない、壁を触れ」

 隣で、琅玕がまた妙なことを言い出す。

 言われた通り、腕をのばして壁を触ってみたが、そこにあるのはざらざらとした硬い触感。指先を触れたまま、しばらく階段を降りつづけてみたが、何歩おりても指先が継ぎ目をさぐりあてることはなかった。土壁でもなく漆喰しっくいでもなく、目の粗い軽石のような手触りの、なにやら、変わった建材ではある。

 自分たちの他にも、前や後ろには灯を持った坤道にみちびかれる客たちが何組かいる。そのためあたりはそこまでは暗くはない。ただ、この石段の表面がなにで出来ているのか、それが鮮明に見えるほど明るくもない。

「途中までは、人頭大じんとうだいに切り出した石を組んでつくった石垣状だったが、途中からはそれが岩盤がんばんくりぬきに変わったな」

「そ、そんな大掛かりな造りなのですか」

 石段を降りながら、琅玕は、周囲を注意深く観察していたらしい。

「どうもこの道観、せきかなにかの上に建っているようだぞ」

「遺跡?でございますか?」

「このあたりの土地に、我々の祖先が入植してきたのが何千年前か知らないが、それより前、もし別の、先住の民族がいたとして」

「はあ」

「その先住民族がただ去ったのか、我々の祖先に攻め滅ぼされたのか知らぬが、ともかく居なくなり、その後、彼らが築いた建築物がのこされた…」

「それで?」 

「その後に我々の祖先なり、別の民族なりが入植してきた場合、遺された建造物やら何やら、そういうものは普通、壊してしまうものだが、なんらかの理由で壊し切れなかった、あるいは意図的に壊さなかった場合というのがあるようだ」

「壊さずに、遺してどうします」

「大概は、埋めてしまうようだが」 

 埋めた上で、さらにその上に別の建物や施設を築いてしまう―――という例が、割によくあるらしい。

「場合によっては、先住民族の遺した建造物を流用して、そのまま住み着いてしまうパターンというのも珍しくないと聞く」

「…この遺跡も、そうだと仰るので?」

「住み着いているというのとも、また違うだろうが、どうも宴は地下遺跡のなかで催されるようだな。まさしく遺跡をいまに活用しておるわけで、まあ似たようなものだろう」

 なんだかよく解らぬ琅玕の講釈を聞きつつも、紫翠は、先を行く先導の若坤道の様子を伺う。当然ながら、ふたりの会話は彼女にも聴こえているはずだが、無視するよう指示でもされているのか、それとも単に興味がないのか。とにかく、会話に関心を示す様子はなく、反応はいっさい返ってこない。

 結論として、琅玕の憶測は当たった。

 石階段を下り切った先には、今度は傾斜のない平坦な隧道トンネルがのびていた。それを少し行った先に、アーチ状の門のような開口部が開いている。

 その開口部には、上から薄絹うすぎぬとばりがかかっているが、それをすかして伝わってくる内部の喧騒けんそう

「…これは」

 圧倒され、紫翠は、その場に棒立ちになった。

 若坤道が帷をくって入っていった向こうは、本当に地下かと疑いたくなるような、想像以上に巨大な空間。

だいらんとでも表現すればよいのかな」

 琅玕が、喉の奥で小さくうめくようにつぶやく。

 目前に広がるのは、たこでも飛ばせそうなほど高い天井、馬を駆け回らせてもまだ余りそうなほど広い空間。

 そちこちに無数に輝く燈明や雪洞ぼんぼり。その灯に照らし出される岩肌は、やや茶の混じる薄紅うすべに色。地下だというのに、あたりはさながら、昼をもあざむく明るさと言っていい。

 大伽藍のなかに天井をささえる柱は一本もなく、何やら、雪でつくったカマクラをそのまま巨大にしたような構造である。よほど巨大、かつ硬くて頑丈な岩盤を、膨大な時間をかけて根気良く掘りぬいたものか。

「一体いつごろ造られたものか、見ただけではわからねど、こうも巨大な伽藍が長期間、落盤らくばんのひとつもあった様子がないというのは驚きだな」

 だとするとこの岩盤、相当、硬い岩と見える、などと琅玕が顎をひねって述懐じゅっかいする。実際、地上にあるものならまだしも、この伽藍は土中にあり、さらにその上には玄牝観が建っているのだ。長年、上からそれだけの重量がかかっていながらなお健在なのだから、かなりの強度があるのは間違いあるまい。

 そのうえ一体どんな仕組みなのか、よほど換気かんきがいきとどいているらしく、地下にありがちな湿っぽさもなければ、これだけあかりいているというのに息苦しさもじんもない。

 巨大伽藍のゆかには高価な(中東方面)渡りの波斯ペルシャ絨毯じゅうたんが敷きつめられ、円座や卓が並べられ、すでにかなりの数の客が山海さんかい珍味ちんみ銘酒めいしゅを味わいつつ歓談している。とはいえもとが異様にだだっ広いので、それでもまだ空席が目立つ。本格的に宴が開始されるまでにはまだ間があるらしい。

 楽師の姿をした坤道が各所に散らばり、思い思いの楽器を手にしてたえなる音色ねいろかなでている。客のあいだをって酒肴しゅこうをはこび、しゃくにいそしむ若坤道たちはみな、透き通るようなうすものの衣のすそひるがえし、身体を動かすたびにあちこち肌が見え隠れして、見ようによっては踊り子どころか、妓女ぎじょのようにすら見えぬでもない。

 伽藍の床の中央には、客席を真ん中で分断する道路のように、向こう端からこちらまで長々と毛氈もうせんが敷かれていた。

 いずれなにかし物でもあるのだろうか、舞台がわりに使われるのか、結構な広幅だが、いまは緋毛氈の上には誰もいない。なぜかその中央にはなにやら、白布に包まれたかたまりが、花とづなに飾られ、でんと鎮座ちんざしている。なにしろ巨大な大伽藍ゆえ、だいぶ遠くにあるので小さく見えるが、どうも実際にはかなり大きなもののようだ。

「こちらへ、おいでくださいませ」

 呆然としていたところを案内の若坤道にうながされ、ようやく我に返った。

「こちらで、すでにお待ちでございます」

 大伽藍のまわりの壁には、無数のアルコーブ穿うがたれていた。

 龕の正面には目隠しの薄帷うすとばりを垂らし、なかを個室のように使えるようにしてあるらしい。ふたりが案内されたのは、大人の5、6人ほどは悠々と入れそうな、結構な広さの空間である。

 そのなかで、さかずきを傾けつつ待っていたのは、白髯はくぜんをなびかせ乾堂けんどう(道教の男性修行者)のころもまとった、枯れ木のような小柄な老人だった。仮面は外して卓上に放置、かたわらに、さすがに若坤道たちほどではないにしろ、これもずいぶん華美な衣装の王葎華がひかえていた。

「ああどうも、お久しぶりでござるりょう先生せんせい、お待たせ申し上げましたな」

「久しいのう共どの、いやさ、兵部卿閣下とお呼びせねばならぬのだったな。一別以来いちべついらい息災そくさいのようで何よりだ」

 あらためて御出世をお祝い申し上げる、と老乾道は杯をかかげた。

「なんの、面倒ですゆえ呼び方などこれまで通りで結構」

 琅玕は琅玕で、勝手に側の椅子を引き寄せながら、無造作に告げる。

(どういうつながりか知らぬが、どうも顔見知りらしい)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る