第2話 顛末

 その部屋には、じつに異様なものが所狭しと飾られていた。

くん、身体の調子でもお悪いのかな」

「い、いえそのようなことは決して。お構いなく」

 そう必死に虚勢を張る彼の、いま座っている長椅子のすぐ後ろには、臓腑ぞうふを引きずり出された若い男の全裸の身体。

 左隣には全身の皮膚をぎ取られ、真紅のきん組織そしきき出しにされた、性別年齢もわからぬ遺体。首から上は髪もまぶたも唇もなく、まるで骸骨がいこつさながら、ぎょろりとした眼球と白い歯列がさらされている。

 右隣には、首筋から胸まで肋骨ろっこつをすべて脇のあたりで切断された、肺臓はいぞう剥き出しの上半身が並ぶ。さらにその横には、筋や血管を浮かび上がらせた手足。耳のあたりで水平に輪切りにされた頭部。心臓、肺臓、胃、小腸大腸、肝臓に腎臓、或いは精巣男性器に子宮など各種の臓器。

 気の弱い者なら須臾しゅゆとてつまい。いま、琅玕と小役人、それに紫翠の三人が対峙している応接室には、色鮮やかに再現された無数の人体が、いたるところ壁を埋め尽くし、高価ないた硝子ガラスの箱に納められて麗々しく飾られていた。

(なにも、客をもてなすべき応接室にこんなものを飾ることはあるまいに)

 かといって馬鹿正直に口にも出せず、逃げ出すわけにもいかず、小役人は脂汗を流しながら必死に耐えている。

 向かい側に座るのは、この趣味の悪い部屋を擁する邸の主、共琅玕。寝間着にほうを一枚羽織っただけという、いささかだらしない格好で、椅子のひとつにふんぞりかえって平然としている。

 その傍らには、神妙な顔つきの紫翠が控えていた。こちらは琅玕と違い、元通り役人の制服をきっちりと着込み、口に出してはなにも言わぬが、気の毒げな眼差しでおのれの上官を眺めている。

 このふたりが、火災の現場より姿を消してから今にいたるまで、丸一日以上。

「可能なものなら、一と月でも二月でもふたりきりで蟄居ちっきょ(?)していたいくらいだが」

 冗談とも本気ともつかず、ふざけたことを真顔でうそぶく琅玕。

 引きこもってなにをしていたか、そんなことをいちいち問うほど小役人も愚かではない。というか問わずとも噂話はいくらでも耳に入ってくる。いまちまたで、若き兵部卿閣下がさる新米役人を「ものにした」一連の次第を知らぬ者はいない。この邸に連れ込んだ新米役人を、どのように寝所で蹂躙していたか、どんな嬌声が漏れ聞こえてきたか、どこまで本当のことかはともかくとして、とっくの昔に市中では大評判になってしまっているのだ。

(とりあえず、どれほど不気味なものに囲まれても、まだ応接室に通されただけマシと思わねば)

 うっかりしていると、それこそ寝所の方に呼び出されていたかもしれない。

 呆れた話もあればあったもので、琅玕は兵部卿としての職務をおろそかにせぬ為に、紫翠を寝台の上で苛みつつも都度ひとを呼び、報告を聞き、即断即決でその場で口頭命令を出し、各所へ走らせ、引きこもりながらも最低限、仕事を滞らせてはおらぬとやら。

 いまのところそれが功を奏し、現在とりあえずこの一件は、黙認という扱いで多目に見られていると言うが、

「もしなんでしたら本当に、しばらく世間に顔を出さず、何処いずこかへおこもりになっていた方がよろしいかもしれませぬなあ」

 なかば本気で、小役人はそう提案した。そうしてくれれば自分などがこんなところに呼び出されたりなぞせずに済む。

 実際、暫くの間はさぞかし世間が煩わしかろう事は想像に難くないが、肝心の琅玕はといえば、

「残念ながら、こちらも暇な体ではないゆえ無理であろうな」

 兵部卿としての責務だけなら、寝所に居ながらでもどうにかこなせなくはない(…)が、

しかばねが出れば駆けつけざるを得ぬ。いくらなんでも紫翠を抱きながら遺体を切り刻めるほど器用ではない」

 などと馬鹿な事をほざいている。小役人はこわばった愛想笑いを顔面に貼りつけて場を誤魔化すしかない。

 琅玕はかつて医者だったころ、普通の開業医のかたわら、いわゆる解剖かいぼうを並行してつとめていた。

「いまでも医者を辞めたつもりはない。患者の診察往診をしておらぬだけのこと」

 彼の実家、共家は歴史ある医の名家である。

 現当主は、歳の離れた彼の実兄だが、王侯貴族や富裕層の患家を幾つも持ち、次男坊である琅玕は若くして隣国、岐の帝都は北師の有名医塾に学んだ。帰国してのちは兄の代診をつとめ、変人の名高い割には患者あしらいも悪くなく、ゆくゆく兄は彼に家督を譲るつもりでいたという。

 が、当人は解剖可能な遺体が出たと聞くや、生きているものを横に退けてもそちらの方へ行ってしまうのが常だったとやら。

 やまい膏肓こうもうに入った挙句、腑分けした遺体を模した解剖模型人形の製作にまで手を染め、

「この応接室にある模型人形は、全てわが手になるもの」

 などと言って、椅子がきしむほどふんぞり返った。

(そんな変物が、一体、何故わが国の軍事の頂点に…)

 ぐんそうかんにでも就任したというなら、話はまだわかるのだが。

 しかし小役人あたりがどう疑問を感じたところで、琅玕はすでに何度も華国の軍を率いて戦場に赴き、毎度あざやかな手並で勝利をおさめ、ぼちぼち常勝将軍の名声が確立しつつある。

 そういう歴然たる実績あっての地位であるから、たとえ生粋の軍人ではなくとも、どれほど前歴が畑違いであろうと、それどころか「個人の武勇はからっきし(談・兵士某)」であったとしても、すくなくとも表立って異論を唱える者はいない。

(たとえ連戦連敗であっても、仮にも華氏の婿殿、未来の国主に文句を言える者はおるまい)

 琅玕は、兵部卿への就任と同時に、この国の国主であるこう代理閣下のめい娘の婿むこに迎えられている。

 この姪娘は先代華公のひとり娘で、とくの継承は彼女の配偶者をもってなされる。つまりいずれ次代の国主の地位は入り婿の琅玕が継ぐことになる。

 そんなわけで普段の彼は、本来なら、華氏の一族の住まう公邸に暮らしている、ことになっていた。

 この、薄気味悪い模型がところ狭しとひしめきあう邸は、もとは実家である共家の持ち家のうちのひとつであったそうな。いまは琅玕の私邸、個人的な財産の一部として既に相続を済ませ、婿入り前はここに暮らしていた。いまも頻繁に戻ってきては、どこからともなく調達してきた遺体を切り刻んだり、その遺体をもとに模型を作ったりと、好き勝手なことをやる根城にしているとやら。

 昨日以来、紫翠の身柄は、ずっとこの別邸に留め置かれている。

「で、くだんの件、遺族の返事は如何いかん

 琅玕は、場の空気を読む気など皆無と見え、唐突に話を元に戻した。

「はあ、残念ながら、焼死した被害者、このお邸に奉公していた従僕、王仁礼ですか、彼の者の母親なる女人、どうにも大変な剣幕でございまして」

 小役人も、そこは役目であるから、萎縮しながらも聞かれたことにはさすがにきっちり答える。

 …琅玕と紫翠のふたりが姿を消し、火災現場では小役人はじめ人々が慌てふためいていた頃。

 ふいに、この別邸の奉公人の制服を着た者があらわれ、琅玕より伝言と称してこう告げた。

 ―――これより、焼死した被害者の遺族がやって来るであろうが、その者に頼んでもらいたい事がある。

 すなわち、王仁礼の遺体を解剖して死因をたしかめたい、という要望を、琅玕が奉公人に命じて現場に伝えさせたのだった。

 が、結果は小役人が琅玕の代わりに、王仁礼の母なる者から怒鳴り散らされるに終わった。

『王氏、言ノ葉ヲ荒ゲテとうセリ』

 ―――解剖など、断じてゆるせませぬ。

 遅れてやって来た、王仁礼の母親なる女、おう葎華りっかは、そう言って断固拒否、なんとしても解剖の申し入れを受け入れなかったと言う。

「閣下のおことば通り、破格の謝礼を用意すると申し伝えましたが、母親は逆にそれで態度を余計硬化させてしまいまして」

 それどころか愛息の死に半狂乱、泣き叫ぶやら周囲に食ってかかるやら、かと思うとその場に崩れ落ちて地に膝をつき動かなくなるやら、興奮のしすぎで失神しかかるやら、と大変な有様だったらしい。

 が、琅玕は意外そうな貌をして、

「ほう、金銭で落ちなんだか、あの女」

「…とは?」

「息子を金銭かねでうちに売っていまの地位を得たような女であるゆえ」

 その女、坤道こんどう(道教の尼僧)の姿ではなかったか、と問い、

「はあ、おっしゃる通り、某有名道観どうかん(道教寺院)の上級坤道のいでたちでございましたが」

「彼女はその道観で、ほんの少し前までは上級どころか坤道ですらない、下働きの雑役婦であったはず」

 王仁礼をこの邸に雇う際には多額の支度金が出ている。諸事情あって、普通に従僕を雇う際の三倍近い額だという。王仁礼の母は、その金をほぼ全額、そのまま自分の住み込む道観へ喜捨したのだそうだ。

 そして同時に得度もしたのは良いが、これまでなんの修行をしたわけでもないにもかかわらず、どういうわけか得度と同時にいきなり、その道観の観長の側近という高い地位を得たのだとやら。

「そういう女なら、金をやると言えばいくらでも尻尾をふると思っていたが、一体どういう風の吹き回しか…」

 琅玕はなおもぶつぶつ言っていたが、

(だとしても、どれほど欲深い者だとて、焼死した息子の遺体を切り刻ませろ、などと要求されて、はいそうですかとうべなう者がそうそう居てたまるか)

 口にこそ出さね、小役人は内心ひそかにそう思う。金銭のことは措くにしろ、世間一般の常識感覚としては、王仁礼の母の反応の方が至極真っ当なのである。

 そもそも、自称であれ他称であれ、「解剖医」などという肩書を使う医者がいま現在、琅玕の他に世間に存在するのかどうか、小役人は寡聞にして知らない。

 このころ医者といえば、弱った体に薬を与えるのが仕事である。

 つまり内科医が医者の保守本流で、外傷の手当などはその余技という扱いであった。ましてや人間の身体を切り刻むなど、戦場で軍医が必要に応じて患部を切開縫合する程度にすぎない。そのうえ、死者の身体をどうこうするなど言い出せば、正気の沙汰を疑われても文句は言えぬ。琅玕は、それでも医者としての腕は確かであったゆえ、妙な道楽に関してあまり表立ってとやかく言われずに済んでいるだけのこと。

 とはいえ例によって、この共琅玕という男、その種の常識論など知ったことではないらしいが。

「まあ結構、それで、残りのふたりは」

 残りのふたり、つまり、王仁礼とともに焼死したとされる2名の遺体のことだ。琅玕はこの二遺体も、可能であれば解剖したいと伝えていた。

「はあ、そちらは女将おかみの証言から、どちらもあの宿の常連だった破落戸ごろつきとのことで」

 破落戸ふたりは全くの天涯孤独、ねぐらさえ定まっておらぬ風来坊とやら。従って、解剖の許可をとるべき遺族がそもそもおらぬ様子、閣下のご随意にしていただいて問題ございますまい、と小役人。

「焼け落ちた安宿の、女将をはじめ従業員、そのほかの泊り客は皆、無傷かせいぜい軽症程度で助かっておりますが」

 宿の女将は、

 ―――火災のおこる数刻前、その日の夕暮れ時、馴染なじみの破落戸ふたりが頭巾で顔を隠した者を連れ、3人で一部屋に入って行った。

 と、証言しているという。

「顔を隠した者というのが、すなわちこちらの従僕、王仁礼どのと思われます」

 ただし遺体は3体とも黒焦げで、人相などは全くわからない。燃え残りの衣類や女将の証言だけで身元の特定は不十分であるから、いまも捜査を続けさせているという。

「で、閣下には、こちらのお邸づとめの従僕と、そういう素行のよからぬ破落戸どもが、どういう理由で行動をともにしていたのか、お心当たりはおありでございますか」

「いや、全く」

 勾引かどわかしかなにかとしか思えぬ、と琅玕。そもそも焼死した従僕の王仁礼は、火災の前日に使い走りに出たきり戻らず、行方不明で届を出していた。

 宿の女将の証言によれば、破落戸二人に連れられた王仁礼と思しき者は、顔を隠している以外は挙動に不審なところもなく、おびえたような様子もなかった、という。

「だとすると、暴力で強引に連れて来られたわけではないのかな」

「さて、平静を装うよう脅されていたのやも知れませぬ」

 そのへんは現在捜査中にございます、と小役人。

「まあそんなわけで、閣下ご希望の、ええと解剖ですか、上にはすでに黙認をとりつけました。焼死体3体のうち、王仁礼をのぞくふたり分の遺体はご希望の通り、先刻すでにこのお邸の地下に運び込みが済んでおります」

「御苦労。では」

「あ、閣下、どちらへ」

 琅玕が紫翠を促して、とっとと退出しようとしたものだから、小役人はついそう声をかけたが、

「どちらへも何もない、遺体を解剖する以外にすることはござらぬ」

「こ、これからすぐにでございますか」

「解剖は時間との戦いにほかならぬ、一刻が一瞬でも惜しい」

 季節は真冬、暖かい時分にくらべれば随分と足は遅いが、それでも腐敗という大敵はおおいに手強い。

「なにしろすでに絵師を呼んで待たせておるのだ」

「え、絵師?」

「腑分けした腹の内景ないけいや臓器を絵に描かせる。私も絵心がないではないが、それよりも解剖刀メスを振るう方に忙しい。しかし絵で記録を残す過程を省略はできぬゆえ、そちらは専門家に任せることにしておる」

 なんでしたら貴君も御同席なさるか、なかなか見れるものではござらぬぞ、などと言われ、

「い、いえ、結構にございます」

 慌てて身を引いた小役人を横目で眺め、こんどこそ、琅玕は紫翠を連れて出て行った。

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