誰でもない誰かと、どれでもない話

幹上 灯

erindring─0 

 小さいころ。

 物心さえあったかも判別がつかないような、誰とも分け隔てなく接せられた幼いころ。


 家にはいつもおかあさんがいた。

 あたたかくて、やさしくて、家から帰ってきたらいつも抱きしめてくれて、柔和な笑みを浮かべていた。

 たおやかな花の匂いがした、おかあさん。


 おかあさんの足元にはいつも妹がいた。

 おかあさんの足を半身を隠すように抱いている妹がいた。

 家から帰ったぼくをおかあさんが抱きしめようとすると、妹は、ぼくとおかあさんを抱きしめようと、小さな体躯で腕をいっぱいいっぱいにまで伸ばして、ぼくとおかあさんの背中を、その小さな掌でつかんでいた。

 放さないように。

 離れることがないように、小さな手で力いっぱいつかんでいた。 


 ぼくとおかあさんは、そんな妹の姿を捉えて、微笑みながら妹の肩に手をまわした、そうすると妹はきまって笑う、僕にはよくわからなかったけれど、おかあさんも笑っていた、だからぼくも笑っていた。


 外が黒く塗りつぶされると、おとうさんが帰ってくる。

 ぼくと妹は、素早く駆けておとうさんのおなかに飛び込んだ、おとうさんはおなかをかかえたままうつむいてしまい、おかあさんは困ったように笑う、いつも通りの光景。


 そんな。

 そんなあたたかい光景が、ぼくは好きだったのだ。


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