第4話 日の当たらないお姫様
「くそっ、言わせておけばチビチビと」
城から少し離れた裏庭にある、キラキラ輝く小川に目を向けながらその木陰に座り込んだナイーダは未だ怒りを抑えられずにいた。
いつもそうだ。いつもバカにされる。
勢い余って手に握るミルクの瓶を潰しかけ、そして我に返る。
(また、チビだと言われた)
顔をしかめたまま、豪快にミルクを口に含む。
これでも努力しているのだ。
毎日毎日、日頃のトレーニングの合間に気持ちが悪くなるほどミルクを飲んで、柔軟体操だって欠かさず行っている。
それなのにナイーダの背の高さはここ数年、一向に変化することはなかった。
同世代の男子に追いつくどころか、女の子であるリリアーナよりも少し高いくらいなのである。
二本目のミルクを口にする前に、吐き気を感じ、それ以上は口に運べなくなる。
(さっきから変だったが、やはり……)
長期の遠征から帰ったばかりでそのままここへやってきたことが祟ったのか思った以上に体調が優れず、そのままぐったり木に寄りかかった。
(俺は、情けないな)
ふと思う。
いつも冷静でリリアーナにもしっかり意見し、堂々と振る舞っているアルバートに比べて、自分はいつも中途半端だ。
彼は笑いながら、そんな無能な護衛なんていなくても自分一人で十分だろう、と言っていたが、ナイーダ自身、彼の言わんとすることが何となくわかるような気がした。
大切な大切な姫君なのだ。
生半可な気持ちで護衛を務めるやつがいるのなら、ナイーダ自身が許さない。
もし自分にその資格がないのなら、文句を言わずにその場を去るべきだと考えている。
ましてや、付き人としてでさえ最近は、全ててきぱきとこなしてくれているのはアルバートのようなものだった。
貴婦人の誰もが頬を染め熱狂するあの甘い笑顔がふと浮かんだ。
アルバート・クリアス。
武官として優秀なのに加えて頭も良く、十六と若くして近衛団の隊長を任され、またナイーダと共にリリアーナ姫を任された護衛の一人で、父上が対立する黄の騎士団と青の騎士団のうちの、青の将軍の息子であった。
父上は何かあればいつもアルバートに敵対心を燃やし、それと同じくナイーダも彼に過剰なまでの対抗心を燃やしていた。
結果としては、完璧無敵な彼には敵うはずもなく、ナイーダは何においても彼に対して未だに連敗記録を更新中であった。
それでも幼い頃から、共にリリアーナに付き、共に近衛団の一員としてトレーニングをしてきた彼はナイーダにとって古くからの友人なのも確かである。
ただ、年齢が上がるごとにどんどん二人の間に溝ができ、ナイーダはアルバートに対し、ますます敵対心を燃やすようになり、アルバートはアルバートでナイーダに対し険悪な態度で接するようになった。
いつも、ナイーダはアルバートに圧倒的な差を見せつけられ、正直のところ身も心も疲弊しきっていた。
だからこそ、もうほとんどが意地のようなものだった。
リリアーナに対するような彼の笑顔など、ナイーダは数年見たことがない。
ついついムキになってしまう自分にも問題はあると理解しながらも、ほんの少し、それは寂しくもあった。
胸の辺りがさらにムカムカして気持ちが悪くなってきたように感じ、ますます自己嫌悪してしまう。
(あいつだったら、絶対こんなの問題ないだろうのに……)
ついには霞む瞳と震えだした手首を見て、絶望的な気持ちになった。
アルバートはいつも余裕で何でもこなすというのに、自分は少しのことで体力に限界を感じ、こうして影に隠れて休憩していないとやっていけないのである。
見た目からして、背も高く程良く筋肉が備わっているアルバートに対し、背も低く未だ筋肉のかけらもついていない細い腕のナイーダでは体力の差が明らかではあるが、その事実がナイーダにとっては許せなかった。
「……っ、なんだよ。アルのヤツ、急に大きくなりやがって……昔は一緒くらいだったのに……」
いつの間にかグーンと差を付けられた。
「なんでこうも違うんだよ!」
悔しくて悔しくて仕方がなかった。
何度言ったところで変わるわけでもないが、それでも言わずにはいられなかった。
「仕方ないだろ。もともとの作りが違うんだから……」
呆れた表情を浮かべ、無遠慮にナイーダの隣にしゃがみ込み、その場に散らばった瓶の数々をまじまじと見つめアルバートは呟くように言った。
「うわっ、またそんな無茶して……」
「ア、アル! お、おまえ、い、いつの間に!」
「ずっといたよ。おまえがぶつぶつ俺の悪口に夢中になってる頃から」
「なっ!」
「さっきから、隙が多いな。チビスケ」
「ち、チビスケって言うな!」
二度も背後を取られ、それでも気付いていなかった自分にまたナイーダは腹を立てた。
「まぁ、今日は仕方がないか。いいか、今日はもうこれ飲むなよ。俺が持ち帰るから」
地面に散らばったナイーダのミルクを並べ、アルバートはナイーダに鋭い視線を向ける。
「な、何バカ言ってやがるんだ! これは俺のだ。お、おまえ、ま、まさか、これを飲んでさらに成長する気か? そうはいかねぇぞ!」
いつもこうだ。
いつも彼の前では冷静さを失う。
半ばやけでビービーと騒ぎ立てるナイーダの頬をつねり、そんな訳ないだろ、とアルバートはまた溜息をつく。
「じゃ、じゃあなんでだよ。返せよ……」
「おまえ、自分の顔がどんなになってるかわかってる? こんなもん飲んでる暇があったらとっとと帰って休め。体調悪いんだろ。顔が真っ青だ」
「な……」
(ふざけるな……)
一瞬、顔がほてったのがわかった。
「大丈夫。姫はまだ気付いてなかったから」
(だったらどうしておまえが気付くんだよ)
ますます劣等感を感じてしまい、嫌な気持ちになる。
「ほ、ほっとけよ。俺はこのまま……」
(さ、最悪だ。さっきも何人かの部下に出会ったけど、誰にも気付かせなかったのに……)
「長旅から帰ったばかりだろ。無理しない方がいい」
「お、おまえだって連日休みなく働いてるくせに! 俺ばっか弱いもん扱いすんなっ!」
いつもいつも、なんでこいつはこうも自分より一枚も二枚も上手なんだと思うと本当に悔しい。
「てか、それ返せ! 俺にはこれが必要なんだよ」
もっとアルバートに近づくためにも。
「だから何度も言うけど、どれだけ飲んだって無駄だと思うけど?」
「は?」
「そもそも成長するホルモンの働きってのが違うって、習わなかった? 背よりこっちの方が成長してくれてる方が俺は見てて嬉しいんだけど」
ナイーダの胸元を指差し、彼はふんと鼻を鳴らす。挙げ句、こっちもまだまだ成長不足のくせに、と呟く。
このセリフは、ナイーダを一瞬で真っ赤にするには十分だった。
「な、ど、どこ見てるんだよ!」
「どこって、確実に俺と違う場所、だと思うけど?」
「ふ、ふざけるな! 俺は男だ!」
憤慨し、勢い良く立ち上がろうとしたナイーダはやはり目眩を感じ、不覚にもアルバートに支えられた。
「お、俺は……」
「忠告しておくけど、この城ではうすうす噂されて来ている。そんなきれいな顔の男、いるわけない、ってさ」
「な……」
「まぁもっとも、お暇なご婦人やご令嬢たちの楽しい妄想の方が強いと思うけどさ。おまえの中性的な外見からならどっちにしろ、何でも面白おかしく想像できるからな。例えば、恋人のメレディスはカモフラージュで、実はいつもぴったり追っかけている俺とデキてるとか。おまえが最も憤慨しそうな話題は他にもたくさんある」
何の躊躇いもなく、言って退けたアルバートにナイーダはあんぐりしてしまう。
「で、デキ……どうしてそんな気色悪い噂が生まれるんだよ! 偏見はないが、何が楽しくておまえと何か起こる必要がある? ありえんだろ!」
「こっちだってごめんだよ。そんな趣味はない。まぁ、ただの噂だ。そんな話もあるってことが言いたかっただけだ。とにかく、気をつけるんだな」
いつも以上に引き締まったアルバートの表情に、ナイーダも思わず息を呑む。
と、その瞬間、
「さ、姫も待ってるし、行くぞ。送っていくから」
軽々しくひょいっとナイーダを持ち上げ、平然とした面もちで何事もなかったように彼は歩き出した。
「ちょ、下ろせよ!」
これにはナイーダももう我慢の限界で、全力で彼の腕から逃れようと必死になったが、それでも左右にがっちり固められた彼の腕に隙はなく、動けそうにない。
妙な心臓の鼓動を感じつつ、それでも近くに見えるアルバートの鍛え上げられた筋肉を目の当たりにして、泣きたくなったナイーダはさらに真っ赤になって憤慨した。
「お、おい、アル!」
「あんまり大声で騒ぐと余計目立つぞ。俺が見目麗しいと評判のナイーダ副隊長を抱き抱えて歩いてたなんて貴婦人方どころか近衛団の奴らにも知られたくないだろ」
意味ありげに口元を緩めるアルバートに、脅しだろ!とにらみつけたナイーダはまた弱みを握られたことに気付く。
数少ない自分の最大の秘密を知る人間の中に、こいつも混じっていたことが運の尽きだったなと、ナイーダは絶望的な気分になった。
「言っとくけど、俺はこんなの飲んで大きくなってないぞ?」
アルバートからやっとの思いで奪い返したミルクの瓶の数々をしっかり握りしめるナイーダに、また彼は追い打ちをかけるように続けた。
「しっかり寝たら大きくなった。今日は無理だけど、添い寝が必要ならまた次の機会に協力してやってもいい。ただしその時はちゃんと女の子の格好で……」
「け、結構だ、ばかやろう!」
これでもかというくらいにナイーダをからかうアルバートのセリフに今にも噴火しそうに頬を染めたナイーダは、アルバートの胸に向かって力いっぱい拳を打った。
それでも彼には効果がなかったのかアルバートはけろっとし、ははっとおかしそうに口元を緩めた。
何度も何度も全力で離れようと必死に努力はしたが、結局嬉しそうにニコニコと二人を待ちかまえていたリリアーナの元につくまではアルバートの体はピクリとも動かず、ナイーダの努力は無駄に終わった。
誰にも合わないよう、彼らだけが知る秘密の通路を通ってくれたことだけはほんの少しだけ感謝をしたのはナイーダだけの秘密だ。
「ナイーダ、やっぱりそうしている方がとっても可愛いわよ。お姫様みたいで……」
挙げ句の果てに、自分より若く世間知らずのリリアーナにまでクスクス笑われ、アルバートの腕の中で縮こまり、ナイーダは言葉通り、穴があったら入ってしまいたかった。
「わたくしはクールでかっこいいあなたも大好きだけど、やっぱりそんな可愛いあなたも大好きよ、ナイーダ!」
美しい春の女神のように微笑む愛しい姫君が、たまに悪魔のように見える時がある。
悔しさのあまり目に浮かぶ涙を必死でこらえ、全力で否定しようと口を開きかけた時、突然、視界がぼやけ、ナイーダは自分が意識を失いかけていることに気付いた。
「だ、そうだ。チビスケ。よかったな。姫にも認められたぞ……って、おい、チビスケ……お、おい! しっかりしろ!」
最後に聞こえたのは、普段滅多に聞くことのない動揺したアルバートの張り上げた声だった。
そう、ナイーダの一番の秘密であり弱点は、とうの昔に捨てたはずの女という性別が、最近になり、自分自身の身体の成長にだんだん影響してきているということであった。
そのことを唯一知り、昔から精いっぱい支えてきてくれていたのも、相方であり、最大のライバルであるアルバートと、守るべき大切な姫君のリリアーナだった。
あたたかく大きな腕に支えられて不思議と安心感に包まれていた。
遠退く意識の中で、ふとナイーダは大好きだった兄の腕の中を思い出していた。
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