第18話 勝ち取った一歩
バスに揺られながら街の景色に目をやると、枯れ木が並ぶ公園で木枯らしにも屈さず、元気に遊んでいる子供達の姿が見えた。
自身の中からは消え去ってしまった“活力”を感じ、思わずため息が漏れてしまう。
一樹はおもむろに車内を見渡したが、“幽霊”の姿はない。それもそのはずで、いつも乗り込む車体ではないし、そもそも利用している路線自体が初めてのものだった。
赤信号で止まった際、ビルの壁面の大きな広告に不意に“彼女”の姿を見つけてしまう。女優・
――つくづく、どこにでもいるな。
大きなため息をつきながら、一樹は視線を反らす。
自作小説を書き上げてから数か月が経つが、いくつか提出した“コンテスト”は、どれも清々しいまでの惨敗を喫していた。
候補作や佳作にすら一樹の実力は届かず、“
予感はしていた。だがそうは言っても、実際に突き付けられた現実に、心が沈んでしまう。
負けた――どんな言い訳をしようが、一樹の書き上げた作品が、「ラブ&ゴースト」どころか、世間一般の無名作家にすら遠く及ばなかったことは、言い逃れのできない“敗北”という現実を、真正面から突き刺してくる。
一樹だけでなく、期待を寄せてくれた奈緒も、素直に残念そうだった。
しかし、そんな失意に暮れる二人にある小さな“転機”が訪れる。
一樹はバスに揺られながらも、改めて手元のスマートフォンを操作し、自身に届いた一通のメールを確認した。
それは、ある出版社――「ラブ&ゴースト」を扱っているものとは、また別の会社の人間から送られたものだ。
そこには簡潔に、「コンテストに応募いただいた作品について話をしたいため、実際にお会いできないか」という内容が記されている。
これを見て奈緒は大いに喜んだが、一樹はというとどうにも警戒してしまう部分がある。一樹の作品は佳作にすら届かず、ましてや“気になった作品”枠にも、掲載はされていなかった。
そんな痛烈な結果を見ているだけに、いまさら出版社が何の目的で自分を呼び出すのか――どうにも悪い方向へ思いを巡らせてしまう。
バスに揺られること20分。一樹はいつもの出版社とは逆方向に位置する社屋へとたどり着く。“
“四葉”かぁ――かつて出会った“悪霊”と、その噂に出てきた言葉が妙に連想され、嫌な気分だった。
湧き上がってくる邪念を振り払い、一樹はとにかく出版社の門をくぐる。
古びた内装を横目に、受付の人間に要件を告げる。ひとまず応接間に通されたが、社内の広さや家具のグレードなど、なにからなにまで“小さな出版社”ということが、よく分かる装いだった。
良く言えば“年季の入った”、悪く言うと“ぼろい”社屋に、一樹はどうにも不安の色が増してしまう。
少し待っていると、ようやく一人の男性がドアを開けて姿を現す。一樹の担当編集者・田中とは違って、少し小太りな気の弱そうな男性だ。
「どうもどうも、はじめまして。“四葉社”・編集部の
慌てて立ち上がり、差し出された名刺をぎこちなく受け取った。そこには確かに“
「あ……どうも。
「いやぁ、本当に今日はすみませんねぇ。わざわざ、本社まで来ていただいてしまって」
「ああ、いえいえ、全然」
なんだか妙に“低すぎる”姿勢に、これはこれで困ってしまう。会釈をする一樹に困ったように笑いながら、桜井はようやく対面に座った。
「さっそくなんですが、本日ご足労いただいたのは、以前、兵藤さんが投稿された一作――『
聞き覚えのあるタイトルに、ピクリと体が反応した。表情を変えないように努めながら、慎重に男の姿をうかがう。
「実はあの原稿、僕も読ませていただいたんですよ。いやぁ、この度は投稿いただき、ありがとうございます。凄く楽しんで、読ませていただきましたぁ」
「は、はぁ……それは、どうも」
「なかなか兵藤さんくらいの年代で、ああいった“怪奇もの”を書く方って少ないんですよ。それでいてこう、“幽霊”の描写に妙なリアリティがあるというか――とにかく、読んでいる間は続きが気になってしょうがなかったです」
純粋に作品を褒められているのは、もちろん嬉しかった。だがそれでいて、一樹はいまいち、自身が置かれた状況に納得できない部分がある。
バスの車内でもさんざん考えたが、そもそも一樹の作品が“落選”していることは、間違いないのだ。四葉社が打ち出したコンテストの受賞作、そして佳作の一覧は既に公開されているし、何度確認しても自分の作品は載っていない。
だとすれば一体なぜ、自分がここに呼ばれ、そして彼は何を言いたいのか。その意図が分からず、どうにも眉をひそめてしまう自分がいた。
ひとまず「ありがとうございます」と返して黙していると、桜井はどこかたどたどしく、語り始める。
「ええと、それでですね。うちって他の出版社さんにも比べて、まだいまいち勢いにのりきれていない、まぁ、小さな会社なんですよね。ああ、まぁ、見たら分かるかもしれませんがね――」
自虐的なギャグのつもりだったのだろうが、一樹は「はあ」と真顔で返すしかない。桜井はすぐに切り替え、続ける。
「兵藤さんの作品は、今回惜しくも受賞には至らなかったんですが、それでも僕は、凄く見所がある――“可能性”を秘めた作品だと、こう思ってるんですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「それでですね。実はうち、ちょうど今、月刊誌の掲載枠が余ってまして」
「はあ、なるほど」
「そこでですね。もし良ければ、兵藤さんに“連載”をお願いできないかな、と思ってるんですよ」
「へえ――はい?」
あまりにもとんとん拍子で話が進みすぎたせいで、一樹は事態を理解しきれない。一樹の妙な表情に、桜井もどこか驚いたようだった。
しばし男を見つめた後、今度は一樹がたどたどしく問いかける。
「あの……えっと……どういうことですか?」
「受賞した作品は、もちろんどれも“書籍化”が決まっているんですが、一方で、兵藤さんの作品――『幽闇通りのハル』も、非常に捨てがたいと思ったんですよ。なので、もし兵藤さんが良ければ、うちの月刊誌で定期連載をできないかなぁ、と」
「お……俺がですか? その……連載を?」
目の前で「はいぃ」と頷く男に、なおも一樹は目を見開くことしかできない。
徐々に少しずつ、頭が“現実”をのみ込み始めていた。鼓動が緩やかに加速をはじめ、血流が勢いを増していく。
熱されていく体が、どうにも現実味を帯びない“事実”を再確認させた。
「えっと、連載ってことは……俺の作品が……載るんですか?」
「はいぃ。まぁ、ただ、うちはさっきも言ったように小さな会社なので、ちょっと“稿料”も他に比べると安めになってしまうのは、本当に申し訳ない点なんですが――」
桜井のその言葉は本来、出版社の人間としては発するべきではないのだろう。少なくとも“宿木出版”の編集者――一樹の担当編集である田中なら、適当な言葉で取り繕い、半ば無理矢理でも首を縦に振らせるのかもしれない。
それだけ、この桜井という男の人柄の良さが現れているのだろう。だが、一樹はそんな彼の人となりではなく、目の前に置かれた事実をただじっと見据えてしまう。
何度も、何度も、その言葉を頭の中で
どれだけ繰り返そうが、どのように角度を変えようが、提示された事実はまるで変わることはない。
それがただ率直に、一樹は信じ切ることができなかった。
呆然としてしまう一樹に、桜井は少し困ったように続ける。
「あのぉ、本当に、やるかやらないかというのは兵藤さんの自由ですので、もちろんお忙しいということでしたら、無理にとは――」
「――あの!!」
自分でも驚くほど、大きな声を放っていた。びくりと驚き、桜井が身をすくませる。
目を見開き、痛いほどに椅子の取っ手を掴んでいた。滾る熱に耐えながらそれでも、一樹は告げる。
本来は迷うべきではない、そのシンプルな“答え”を。
「俺……その……やります。――やらせてください」
自然と、一樹は頭を下げていた。力強く、深いお辞儀姿に、桜井はまたもやたじろいでしまう。
しかし、“Yes”の返答を貰ったことで、その顔がほころぶ。
「そうですかぁ、良かった! いやぁ、僕らとしてもありがたいですよぉ。是非是非、これからもよろしくお願いしますねぇ」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」
一度は沈みかけた気持ちが、再び高揚し始める。頬や耳が、自分でも分かるほどに激しく
受賞は逃してしまった。だが思わぬ形で一樹が書いた一作は、日の目を浴びることとなったのである。
思いがけず舞い込んだ良いニュースに、自然と口元がほころんだ。だが柔らかく笑う桜井の次の一言で、少し首をかしげてしまう。
「いやぁ、正直、“あの人”が話を持ち掛けてきた時は、僕らも半信半疑だったんですよ。でも、僕も実際に作品を読んでみて、兵藤さんの実力に納得したんですよね」
「“あの人”――と、いうのは?」
「あ……ああ、そうか! いやいや、失礼しました。そうですよね、兵藤さんは初耳なんですものね」
どうにも含んだ言い方に嫌な予感がする。だが一樹にかまわず、桜井はすくと立ち上がってしまう。
「実は連載に際して、ご紹介したい方がいるんですよ。あの、申し訳ありませんが、しばしお待ちいただけますか」
「は、はあ……」
気の抜けた返事を受け、桜井は急いで“あの人”を呼びに出ていってしまう。
前も似たようなシチュエーションがあっただけに、なんだか胸騒ぎがする。以前はこの後、ドアを開けて女優・
だがこんな場所で、こんな状況で彼女が再登場するとは思いにくい。もしかしたら颯爽と姿を現し、嫌がらせでもしてくるのかもしれないが、そんな漫画じみた展開もそうそうないだろうし、そこまで“大女優”は暇ではないだろう。
そわそわして待っていると、ドアをノックする音が聞こえた。それこそ“大女優”の時はなかった展開に戸惑うも、反射的に「どうぞ」と返してしまう。
――面接官じゃあないんだから。
なんだか先程からどうにも、調子が狂う。肩の力を抜いて待ち構える一樹に、ドアを開けて“あの人”が入ってくる。
姿を現した予想外の存在に、一樹は眉をひそめてしまった。
そこにいたのは、黒い
彼は一樹を見つけ、立ち止まって頭を下げる。
「やあ、どうも。はじめまして。あなたが、
「は、はい……どうも」
しまらない返事を受け、それでもなお男性は緩やかに笑っていた。彼は先程まで桜井の座っていた席に「よいしょ」と言いながら、どっしりと座る。
会って数瞬で、一樹は男から伝わる何か言い知れない“気”のようなものを感じていた。
目にこそ見えないが、それでも確かに前方から、肉体そのものに訴えかける“圧”のようなものが伝わってくる。
それはかつて、女優・黒住が纏っていたそれに似ていた。しかし、彼女と目の前の男性が持つそれは、根本的に何か質が違うように思う。
黒住の持っていたそれよりもっと大きく、そして静かで、暖かいもの。戸惑う一樹に、男性はにこやかに笑っていた。
そこで一樹は本能的に、記憶をたどり始めてしまう。
自分は彼を――この“男”の顔を知っている。
緩みかけていた緊張の糸が、きりきりと音を立てて引き締まっていくのが分かった。落ち着いていたはずの鼓動が、また少しずつ波長を狂わしていく。
ごくりと生唾を呑み込む一樹に、男性はなおも静かに、全てを見通すかのような鋭い眼差しを向けていた。
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