クリスマス・モラトリアム

花川せき

クリスマス・モラトリアム

「クリスマスねえ」


 ガラス越しに街を眺めながら、日菜子ひなこは呟いた。ファーストフード店から見える街は、イルミネーションに彩られて輝いている。そんな街のそこらかしこで、カップルらしき男女の姿が見えた。


 日菜子はつまらない気持ちで、コーラのストローを噛む。と、拓海たくみがとなりから日菜子の顔をのぞきこんできた。そんな彼の反応に、日菜子は怪訝そうな顔を向ける。


「なに?」

「いや、なんか聞こえたから。なんて言ったのかなって」


 ああ、と日菜子は頷いた。


「クリスマスだなって」


 日菜子が外を顎で示すと、拓海は「なるほど」と頷いた。


「イルミネーション、すげえよな」

「それもそうなんだけど、カップル多いなって」

「あー」

「まあ、わたしたちには縁のない話でしょうけど」


 なんてったって、『クリスマス独り身の会』なんてものをやってるんだから。

 そう続けた日菜子のことばに、拓海は「まあな」と同意した。


 日菜子と拓海は、高校からの付き合いである。付き合い、といっても惚れた腫れたの関係ではない。遠慮のいらない友人同士、と称するべきだろう。


 かたや花より団子より実験の理系女子、かたや恋愛よりゲームのオタク男子。そんな二人は、高校生だった当時から青春らしい恋愛沙汰とは無縁だった。

 そこで面白半分に他の友人たちを巻きこんでおこなったのが、『クリスマス独り身の会』である。文字通り、クリスマスに恋人のいない友人たちが集まって飲み食いする会だ。ほんの思い付きで始まった食事会だが、気づけば毎年開催されるようになった。


 とはいえ、第一回目、高校二年の頃には六人はいた『クリスマス独り身の会』も、大学四年となった今では、日菜子と拓海だけとなっている。皆、恋人ができたため、『クリスマス独り身の会』から抜けたからだった。


 澱んだ空気を吐きだすように、日菜子は溜息をつく。それが耳に届いたのか、拓海が横目でこちらを見た。


「お前さあ、恋人とか欲しいの?」

「別に」


 ただ、と日菜子は拓海の顔を見た。


「わたしより先に、あんたに『クリスマス独り身の会』を抜けてほしくないってだけ」


 そう言い切ってから、日菜子は正面のガラスを睨みつけた。夜の街を背景に、自分の顔が映っている。最低限の化粧はしているが、それもここ最近やっと身につけたものだ。


 日菜子は恋愛に興味がない。お洒落も化粧も、社会に出る上で必要だから気をつけている。それ以上の意味はない。日菜子にとって重要なのは、実験だけだ。だから、大学だって薬学部に進学した。その選択に後悔はない。


 だが、その一方で、友人たちは着飾るすべを覚えて、恋人をつくっていく。大学も、六年制の学部に通う日菜子より、先に卒業してしまう。先に『おとな』になってしまう。それが、無性に寂しい。


 胸に澱む感情を誤魔化すように、ストローを嚙む。と隣から、拓海の声が聞こえた。


「俺は、お前より先に『クリスマス独り身の会』を抜けねえよ」


 その声があまりにも穏やかだったから、日菜子はストローから口を離した。そして、拓海の顔を見る。彼は声と違わず穏やかな表情で、日菜子を見ていた。


「……なんで?」


 ぽろりと疑問が零れる。そんな日菜子に、拓海は肩を竦めてみせて、


「そりゃあ、『クリスマス独り身の会』を抜ける時は、お前と一緒に抜けるつもりだし?」

「はあ?」


 どういうことよ、と訊いてみても、拓海は微笑むだけで何も答えない。答える気はないらしいと悟った日菜子は、わざとらしく溜息をついて、コーラを一口飲む。


 一緒に『クリスマス独り身の会』を抜けるだなんて、意味が分からない。いったい何を考えているんだ。


 心の中で悪態を吐く。しかし、それとは裏腹に、ひどく穏やかな心地だった。

 ストローから口を離す。椅子の背もたれに寄りかかって、街を見つめる。


 このとき、街のイルミネーションが美しかったことを、日菜子ははじめて知った。

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クリスマス・モラトリアム 花川せき @Prunoideae

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