遺伝子の海

@v3v

第1話

 


 学習椅子に座る鼎湊かなえ みなとの咳払い一つで教室が刹那的に静まり返り、暫くして、またいつもの休み時間に戻る。顔で飯が食えるのではないかと思える程の美形で長身。

しかし、彼の周りには不思議なくらい人がいない。浮世絵空うきよ えそらはその辺りの事情を詳しくは知らないので、共に昼食を摂っていた錦織蓮にしきおり れん今永知里いまなが ちさとに鼎について尋ねた。


「あー、なんか噂じゃ半グレのメンバーらしいよ。しかも結構有名な」


「こ、高校生なのに?」


 驚く絵空に蓮は携帯を操作して、あるサイトを見せた。


総亜同連そうあどうれん?」


「埼玉の駅で殺人事件あったでしょ。アレ、ここの内輪揉めなんだって」 


「だったら学校に居させちゃダメじゃん。今すぐ辞めさせないと」


「言っても噂の範囲内だからね。でもさ、マジでイケメンだよねぇ。曰く付きじゃなきゃ狙ってたかも」


 鼎を横目で眺めながら知里は言う。


「三鷹くんと別れたばっかでしょ。知里は節操なさ過ぎ」


「いやぁ、私って恋愛体質だからさ。成分足りてないと一人の時とか鬱って、死にたくなる時あんのよ」


「ようは年中盛ってるだけじゃん」

 

 蓮と知里の毎度お馴染みである小競り合いが始まり、絵空はいつもと同じように苦笑した。

 

「浮世さん」


 唐突に名前を呼ばれ、声のする方を絵空が振り返ると積木卓也つみき たくやがいた。


「ん、なに?」


「き、今日の委員会。先生出張だから無くなったって」


「あ、そうなんだ。ありがとう」


「う、うん」 




 それだけを伝えた積木はまた自分の席に戻り本を読む。その一部始終を見ていた知里はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。


「絵空の事好きだな。あいつ」


「えっ?」


「あんな分かりやすいの久々に見たわ。小学生かよ」


「だよねぇ。てか、絵空目当てで保健委員入ったんじゃない?」


 同じく薄笑いを浮かべている蓮。


「絵空は鈍感ちゃんだからねぇ。近々告ってくるかもよ」


「えぇ……」


 絵空はあまりピンとこなかった。


「てか、あんたの恋愛事情ってあんまり聞いた事ないよね。ボーイッシュのイケメン女子なのに。ねぇ蓮」


「渋谷で絵空がメンズモデルにスカウトされたやつ話したっけ? その勢いでカップル割り効く店行ったら、普通に入れてめっちゃ笑ったわ」


 男に間違われる事をあまりよく思っていないので、二人の嘲笑に少しだけ腹立たしさを絵空は覚える。


「でさ、マジで積木に告られたらどうすんの?」


 蓮の問いに絵空は天井の蛍光灯を見つめた。


「素直に嬉しいよ。積木くん中学から知ってるから真面目でいい人なんだと思うし。でも付き合うとかなると……どうなんだろ?」

 

 その日の放課後、絵空は蓮達の誘いを断り電車を乗り継いで母、真由子が入院している病院に向かった。病室の戸を開けベッドまでゆっくりと歩みを進める。


「あれ? 今日映画じゃないの?」


 真由子は読んでいた雑誌から顔を上げた。敏感な母のせいでサプライズは今日も失敗に終わる。絵空の趣味は映画鑑賞。近所の映画館は水曜日がレディースデイなので、なるべく毎週一本は見るようにしている。


「お見舞い終わりで行くよ」


「男はダメだって言われない?」


「実の親まで言うか。でも残念。制服なので大丈夫でーす」


 それから二人は色々と話した。学校での出来事、看護師との世間話、読んだ雑誌の特集、今日見る映画の事。


「ごめん絵空。これからお客さんが来るの。そろそろお開きで」


「そうなんだ。じゃあ、また来るね」

 

 母に別れを告げ、絵空は映画館に足を運んだ。リバイバル上映中心だが、この空間は絵空にとって癒しの場所だ。ドリンクセットのチケットを買い、映画を堪能する。

『ラストエンペラー』

 満州国皇帝であった溥儀の生涯を描いた作品であり、秀逸なラストシーンに絵空の目頭が思わず熱くなる。劇場支配人手作りのパンフを貰い、外へ出ると日は隠れ夜が顔を覗かせていた。家に帰り、スーパーの惣菜を食べてスマホのメモ機能に今日の映画の感想を書く。ダラダラと過ごした後、ほぼ昨日と同じ時間に風呂に入り、いつものように母におやすみとLINEを送り、溥儀の人生について浅く思慮しながら眠りつく。ありきたりで変化のない日常。こんな日々がずっと続くのだと彼女は信じて疑わなかった。


 次の日、教室に行くといつもと違う雰囲気が漂っていることを絵空は肌で感じた。クラスにいる全員が落ち着きなく、騒めきだっている。


「あっ、浮世さんっ」


 あまり親しくはない一人の女子生徒が絵空の元へ駆け寄る。その表情は何かに怯えているようだった。


「ねぇ、これマジなやつ?」


 そう言って見せられたのはスマホの画面。


「浮世さん、知里と仲良いでしょ? 何か知ってるんだったら……」


 はだけているがうちの制服だと分かった。それは数人の男がその女性に乱暴している動画。瞬間、絵空は心臓を握り潰されたと思うほど左胸が強く痛んだ。


「……知里?」


 泣き叫ぶその女性は親友に似ていて、動画には総亜同連の文字が浮かんでいた

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