第40話
「疲れたねー! 今日は色んなことがあったし」
「うん。そうだね」
すっかりと空は輝きを忘れ、代わりに月がこんにちはと静かな笑みを届けている。
風もそよそよとなびき、並んで歩く私たちの間を攫うようにひゅうーと抜けていく。
その流れていく方向に目をやると、同じように視線をやる海と目が合って、思わずぷぷぷと二人仲良く微笑んだ。
私は海の家へと向かっていた。
なんでも海がお疲れ様会を開きたいらしい。断る理由なんて今の私には無いから、いつも通りお邪魔させてもらっていた。
海の部屋には既にたくさんの料理が並んでいた。
しかもその多くが私の大好物だった。
「月、これ好きだったでしょ⁉ ちゃんとあのノートに記録してるんだから」
覚えてるよ、と言わんばかりの笑顔。
海は私のお母さんかな?
本当にそうだったらどれだけ幸せなんだろう。
想像も付かなくて頭の中で分解する。
「さあさあ、食べようか!」
「うん。いただきます」
「いただきます!」
日頃ではありえない運動量をこなした私のお腹はもうペコペコだった。
あっという間にほとんどの料理を平らげ、しばし満腹感に浸る。
「ねえ、海」
楽な姿勢をしようと、体を傾けて天井を見上げていた私はふと口にする。
「なに、月?」
「キス……」
「キス?」
「キス……しよ?」
なんの躊躇いも無く出たその言葉は、後から言ってることの恥ずかしさを自覚する前に月の耳へと流れていった。
あれ? 今私なんて……⁉
「い、ちょ、ちょっと待って‼ 今のなし! なしにしてっ!」
一気に頬がぽかーっと熱くなる。急いでピンク色に染まっているであろう顔に両手を当ててみる。
うわっ、すっごい熱い……私、どうしちゃったの。
「なし、でいいの? 月?」
「……いじわる」
海の表情はインタビューで耳打ちしてきた時とおんなじ表情だ。
ひどく大胆で小悪魔的で、魅惑的で。
私の心を手のひらで操っているように海は迫ってくる。
「マウス―トゥーマウスでしたくなっちゃった?」
「言い方が……なんかやだ」
そう言いながらもお互いの顔の距離は自然と近づいていく。
手を伸ばせば彼女の頬に触れられる。
顔を近づければ彼女のおでこと私のおでこをくっつけられる。
「インタビューの、ことなんだけど……」
「うん」
「本当に私のこと……そういう意味で好き、なの?」
「うん。大好き。月の全部が好き」
「私……結構面倒くさい人間なんだよ? だって初めの頃、ぐいぐいプライベートに入り込んでくる海のこと嫌いだったし。ひどいこと言っちゃったし。自己中だし」
「うん」
「承認欲求強いし。依存気質だし。なにより私いじめられてるんだよ? 海まで私の問題に巻き込んじゃってるし。それに……私なんて誰からも期待されてない。愛されてない」
「うん」
なにを言っても海は優しく相槌を打ってくれた。
その温かみにもっと触れたかった。
「なのになんで……海は私のこと……」
それは今までの純粋な気持ちを込めた疑問だった。
「……僕だって結構変わった人間だよ。少年院入ってるし、実は出た後もなかなか同年代の人と馴染めなくてね……各地を転々としてたんだ。平気で人殴るし、昔のことすぐ忘れちゃうし。ノートにまとめるくらいに、ね。『僕』って言ってるし。人なんて誰だって欠点なんてあるもんさ。どんなに完璧な人間であろうとも、なにかしら裏の面があるよ」
「そう、なの……? じゃあ吉原君は……?」
「っはっは。彼はどうだろうね……今のところは分かんないや」
でも、と海は続ける。
「そんな未完成な人間なんだから、その未完の部分だけに目を向けちゃいけない。月はこんなちょっと頭のおかしい僕と今こうして仲良くしてくれてる。それくらい優しい。『僕』な僕を受け入れてくれてる。普通みんなキモがるのにさ。みんな気が付いてないだけなんだ。月は頭だってそこそこ良い。運動だって人並みだ。顔だってすごい整ってる。その深い黒色の髪だってすごい綺麗。スタイルだって女の子らしい。僕には十分魅力的すぎる。そんな月だから……」
言い切る前に海はグイッと私の頭を自分の方へと抱き寄せてくる。
彼女の手のひらサイズの胸に私の頬がむにゅっと当たる。
正真正銘、海は女の子だ。
「僕は好きだよ」
心音が聞こえてくる。ドクッドクッドクッ。
「……鼓動、早くなってる……」
「あ、バレちゃった? こう見えても僕……結構頑張って今こうしてるんだよね。あははー」
「なんでそこまで……私には出来ない、と思う」
「前も言ったでしょ。言葉だけじゃ伝わらないんだ。伝えきれないんだ、この想いは」
「そう、なんだ……」
「だから……もうちょっとだけ伝えても、良い?」
海は自分の胸から私をそっと引きはがす。
互いの顔が見える。
海の頬がリンゴみたく赤らんでいる。
そこから私たちはまるで『惹』かれ合うように、顔の距離が近づいていく。
彼女の息づかいが聞こえてくる。
艶めかしく湿り気を持った吐息が私の耳元を浚う。
もう、彼女の目には私かいなかった。
否、私の目にも彼女しかいなかった。
――ちろり
海が小さく舌を出して唇を舐める。
私も同じように潤す。
この熱を確かに伝えるために。
――ぷちゅり
初めはほんの一瞬。
お互いに目を瞑って、久しぶりのこの感触を思い出すように。
――ぷちゅ
次はもう少し熱を帯びて。小鳥みたいにお互いの唇をつついて、深く相手の感触を、形をこの体に刻み込み、熱を、愛を、安心を求める。
永遠は今ここにあるんだ、と。
――ぷちゅ……
いつの間にか私たちは更に深くお互いのことを求めていて。
息継ぎも忘れて、ただひたすらに唇をむさぼっていた。
顔の傾きを幾度と変えながら、まるで相手の唇の形を覚えるかのように、そして覚えさせるように、強く押し付ける。
欲は人をこんなにまで熱するんだと知る。
「「はぁーはぁー……」」
やっと息継ぎをしたけれど、またすぐに視線が重なってお互いの火照った顔に手を当てながらとろけるような愛を伝える。
もっと、もっと……海……
「……っ」
海の舌が私の口内に侵入してくる。
ざらざらとした感触が常にぴくぴくと蠢く。
海の舌につれられて、私のも海の中へと入れていく。
こんなキス、初めてだしやり方も知らないからお互いが不器用に、無駄な動きばっかりで……ただ相手の舌を吸う。
「「はぁー……はぁー……」」
やっと口を解放された私はすぐに酸素を求める。
お互いの唾液を混ぜるようなこのディープなキスに私たちはひどく呼吸を荒くする。
あはは、なんだかイヌみたい。
「……海」
「……なに?」
「……好き」
「ほんとに?」
「うん……今日でようやく気が付いたの。ごめんね。ずっとあの日から返事してなくて」
「全然いいよ。今こうして月が言ってくれたから」
「ねえ……?」
「どう、したの?」
「もっと、しよ……」
「僕も……うん。したい」
私たちは言葉を交わすことなく手を繋ぎ場所を移して……
さらさらと指で触ると溶けてしまいそうな雪の髪。
湿り気のあるミルク色の瞳。妖艶な長いまつ毛。
無防備な白に照らされ映える淡い紅色の頬。
ちろりと甘く結んだピンク色の唇。
そのすべてが鮮明に私の脳内を支配する。
「じゃあ……しよ」
彼女の細くて繊細な指先が、まずは私の首元を襲う。
そして徐々に下へ下へ……ちろっと舌も出してぴくぴくと私の体の形を刻むようになぞっていく。
ゾクゾクして思わず大きな声が出ないように、私はベットのシーツをぎゅっと握りしめる。
変な高揚感でまともな顔になれない。海に見られないよう必死に顔を横に反らす。
「かわいいね……もっと……ね?」
――今夜、私たちは眠らない夜を過ごした。
――女の子でも、互いに互いを、愛を、一瞬を、永遠を、求め合えるんだ。
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