第13話

 次の日。

 私は未だに昨日のことを億劫に思いつつも、学校へと歩いて行った。

 どんな顔をして会ったら良いんだろうか……そんな気持ちが私の頭の中で楕円軌道を描いていた。

 しかし幸いにも――見方を変えれば不幸にも――海と私は声を交わすことは無かった。

 彼女は教室に入って来てから、後ろの席に座ってからも話しかけてこなかった。

 目すら合わなかった。

 もしかしたら海も海で私の昨日の態度に怒っているのかも知れない。

 その後、少ししてから先生が教室に来て朝の連絡事項を伝え終わると、続けてLHR(ロングホームルーム)の時間になった。

 この時間でクラスの委員や係を全部決める。

 勿論私はこれまでこういうのは一切やってこなかったので、今年もやるつもりなんて殊更ない。まるで他人事のような気分。


「じゃあ諸々決めていくんだが……まずクラス委員長を決めたいので、誰かやってくれる人―」


 上下ジャージを身に纏い、今日もまた鈍い低音を響きかせる先生。

 さて。普通なら決めるのに時間がかかりそうな係だけど、このクラスはそうはならない。


「はい、先生。俺が引き受けましょう!」


 何故なら、うちにはこんな風にキリっと手を勢い良く挙げてくれる彼がいるから。


「君は確か……」

吉原狐実よしはらさみです。『きつね』の『み』と書いて『さみ』と言います」


 私が吉原君と呼ぶその男子――吉原狐実は中学一年生の頃から常にクラス委員長をしてきた所謂この教室の舵取り役だ。

 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗。

 一切の欠点を嫌でも見つけることが出来ないすごい人。

 しかもこのクラスで唯一吉原君だけが私のことを気にかけてくれていた。

 何度か「相談に乗ってあげるよ?」と救いの手を差し伸べてくれたが、流石に将来有望な彼にまで迷惑はかけたくなかった。

 彼も私の意思を――心の中ではもどかしくあるだろうが――尊重して先生にもこのことは言わないでもらっていた。


「吉原吉原……あ、お前ずっとこの役職やってるんだな。今年もやってくれるなら一番助かるんだが、本当に良いんだな?」


 受け継ぎ資料だろうか? 

 先生は手元にある名簿帳のようなものに目を落としながら表情を一切変えることなく淡々と言った。


「はい! 最後まで自分の役職の務めを果たしたいと思います!」


 相変わらず吉原君はすごい……私なんかと大違いだ。

 きっと親御さんも良い人なんだろう。


「みんなも吉原で良いかー?」

「「パチパチパチパチ」」


 自然と拍手が起こる。そりゃあこんな面倒くさい仕事をやってくれるのは助かるだろう。


「じゃあ、あとの係決めは吉原に任せるから。先生は職員室にいるから全部終わったら紙にまとめて提出しに来てくれー」


 先生はそう言って早々と退散してしまった。これは一種の職務放棄ではと一瞬思う。


「それじゃあ早速係を決めていきたいんだけど……」


 吉原君は教団に立つと、カッカッと黒板に白いチョークで役職一覧を丁寧に書いていく。


「最初に決めたいのはやっぱり文化祭実行委員かな。この学校で一番盛り上がる行事だしね」


 彼の言う通り、中高一貫校であるだけにここの文化祭は毎年かなりの来場者数を誇っている。体育祭は中学校と高校とで別々なものの、文化祭だけは混合で行われるため、中学生もこの高校の文化祭に参加出来るのだ。


「基本、挙手制でいきたいと思ってるからそれでよろしくね!」


 挙手ねぇ……誰も手なんて挙げたくないだろうと心の中で思ってしまう。

 今年は受験だ。しかも、いくら私をいじめるような卑屈な人間がいようともこの学校がまあまあな進学校であることには変わりない。

 大半の人間は優秀なのだ。


「それではっ、文化祭実行委員をやってるくれる人いませんか!」


 手を挙げるジェスチャーを吉原君がすると同時にみんなの視線が右往左往する。 

 ……誰も、いない。やっぱそうだよね。

 さて、ここから地獄の耐久戦か……せめてその戦に巻き込まれないよう祈っていると、突如私の方にみんなの視線が集まった。

 え、なに?


「はいっ! 僕がやります!」


 今日初めて聞いた彼女の声は昨日のとは真反対。

 爽やかな青の空を思い浮かばせるような透き通った元気な声。


 すぐに後ろを振り返るといつの間にか海は席から立っていた。

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