第3話 思いがけない罠
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王都にたどり着いたのは、出発から3日後の早朝のことであった。
私は馬車の窓から、まだ動き出す前の、人気のない静かな街並みを見る。
緊張して寝られなかったのではない。妙な期待を持っていない分、そのあたりは達観できていた。
だからこの時刻に起きたのは、ただただ習慣だ。
使用人時代には日が昇る前に起きだして、誰よりも早く勤務についていた。
王都にやってくるのは、どこにも貰い手がなく妹の家で奉公することになる前以来、約5年ぶりのことだった。
変わった景色に目を取られているうち、やがて馬車が停まる。
「アンナ様、ここが王子、シルヴィオ・シーリオ様のお屋敷でございます」
御者にこう促され、降りてすぐ私は驚かされた。
さすがに、次代の王とされる人物の住む屋敷だけのことはある。
公爵家であるステッラ家のものより、さらに一回り大きく、黒と白のモノトーンで作られた外装は荘厳な作りに見えた。
私が圧倒されているうち、馬車が去っていく。残された私は、そこで気がついた。
……どう考えても、はやく到着しすぎた。
これも妹・メリッサの嫌がらせの一つなのだろうか。
ただ、今さら真実などどうでもいい。
問題なのは、このまだ肌寒い春先に、外へと放り出された事実だけだ。
こんな時間に、誰が迎えに来てくれるわけもない。
おとなしく、あたりを散歩でもして待っていようと思ったら、屋敷の庭がなにやら騒がしい。
鳥のさえずり――いや、そんな優雅なものではない。
興奮した鳥が複数、騒ぎ立てるかのように鳴いている。
つい柵の中を覗きこめば、花壇に囲まれた芝生の上で、一人の若いメイドがほうきをふるっている。
相手にしているのはスズメの群れだ。どうやら、強制的に払いのけようとしているらしい。
「もう、なによっ! うるさいなぁ!」
あらら、あれじゃあむしろ興奮させて暴れさせる結果になる。
過去に同じような目にあった経験があるから、分かるのだ。
さて、どうしようかと少し思案する。
なにか直接的に役立つような強力な魔法を使えたらいいのだが、私はそもそもほとんど魔法が操れない。
頭を悩ませた末、思いついたのは実に使用人らしい作戦だった。
懐から乾パンの残りを取り出す。
小さくちぎって、鳥たちに見せつけるようにわざわざ高く放り投げる。すると、スズメの一羽がこちらへ飛んできて、やがて群れ全体が外へと出てきてくれた。
平和にパンくずをついばむスズメを見て、ほっと胸をなでおろす。
「どなたか存じ上げませんが、ありがとうございます」
メイドさんが駆けてきて、柵の奥から私に頭を下げた。
彼女はぱっと顔を上げると、
「まぁ、なんてお綺麗な方……」
とつぶやく。
きっと、鳥の群れから救った感謝からくるお世辞だろう。
たしかに、一応王子に会うために化粧などは馬車の中で施してはいる。化粧もおしゃれもゼロだった状態に比べればマシだが、そう言われるほどではないのは自分で分かっているしね。
それよりも気になるのは、彼女の手に握られた数本の旗のほう。肩から提げた紙袋の中からも輪飾りなどがのぞいていた。
「パーティーでもあるんですか」
「いえ。でも、似たようなものですね。今日は、聖女さまが若様、シルヴィオ王子の正妻として、この屋敷にやってくる日なのです。それをただ迎えるのでは、物足りないでしょう? だから、こうして飾り付けをしているんです。そうしたら、キラキラしたものに鳥が寄ってきてしまって……」
なんと、こんな時間から働いているのも、加えるなら鳥に襲われていたのも、私のためらしかった。
途端に申し訳なくなってくる。
「とにかく助かりました。あなたがいなかったら、どうなってたか」
どうやら彼女は、目の前にいる女がその聖女だとは、まったく思っていないらしかった。
王都で暮らす商家の娘だとでも思っているのだろう。
たぶん、この服装のせいだ。
持っている中では一番仕立てのいいドレスを着てきたが、それでも使い古しだ。
若いころには気に入って着ていたが、最近はろくに着る機会もなかった。鮮やかだった水色も、少し褪せてきている。
「これできっと聖女様も喜んでくれます」
……言いにくいこと、このうえない。
どうやら、私のことは聞いていないのだろう。聖女と聞いて絵に浮かぶような、美しい麗人を想像しているに違いない。
けれど、この子が屋敷の使用人なら、どうせ後で顔合わせすることになるのだ。
「えっと、ありがとうございます。嬉しいですよ、歓迎いただきまして」
「……え?」
「私は、アンナ・リシュリル。一応、聖女とされる者でございます」
自ら聖女と名乗る日がこようとは、今この時までつゆも思わなかった。
まったく、しっくりこない自己紹介であった。
♦
信じてくれるまでは少しかかったが、王家とやり取りをした手紙などを見せることで、最終的には中へと入れてくれた。
最初に出会ったメイドの子は恐縮して、何度も頭を下げながらも中を案内してくれる。
「こ、ここでお待ちください。若様はすぐにまいりますので」
最後にこう告げると、足早に出ていってしまった。どうやら、とんだ無礼を働いたと思われているらしい。
……むしろフランクに、同じ立場で接してくれた方がありがたいのだけど。
私はもう令嬢扱いされるほうが、こそばゆいくらいなのだ。
そんなふうに思っていると、扉の奥、廊下の方から足音が聞こえてくる。
それだけで、部屋の空気がもう変わった気がした。
姿を見せる前から、息を飲まされる人など。この世にそうはいない。
「お初にお目にかかります、聖女様。いえ、アンナ・リシュリル様とお呼びした方がよいでしょうか」
自己紹介なんて、されなくても分かる。
この人が、シルヴィオ・シーリオ。
シーリオ王国の第一王子にして、正統後継者とされるお方にちがいない、と。
前評判どおりに、いやそれ以上の美しさであった。
「私はシルヴィオ。シーリオ王国の第一王子を務めさせていただいているものです。この日を待ちわびておりました。お会いできて、大変うれしく思います」
ただ平坦な声音で挨拶されただけで、まるであたりに薔薇の花が舞ったかのよう。
華やかでみずみずしく、そして芳しい。
その雰囲気に、凡人である私は一瞬にして飲み込まれる。
白のジャケットに、こちらも白のスラックス姿。
わざわざ正装に着替えてくれたらしく、煌びやかな装飾のついた衣装だった。
あれを立派に着こなせるのだから、その手足は長いだけでなく、ほどよく鍛えられているのだろう。
誰もが惹かれるというのも納得だ。
かつて見た少年の面影を残しながらも、少し長いブロンドの髪は、その先から色気をこれでもかと垂らしているし、そのコバルトブルーの瞳なんて夜空みたい。
輪郭も目鼻立ちも一点の乱れさえなく、完璧だ。
言葉もなくなりそうな美しさだったのだが、ただ一つだけ。
でも、もっとも大きな疑問がわく。
「にゃあ」とか「ふしゃー」とか。
彼の腕の中で、三毛猫が暴れているのだ。
なんと無礼なことに、尻尾で胸まで打ち付けているし、抜けた猫毛が高そうなジャケットに絡まりついている。
私の視線に気づいて、シルヴィオ王子は説明を入れてくれた。
「あぁ、やっぱり気になりますよね。大変申し訳ありません、聖女様の前で。たまたま逃げ出していたのを見つけたものですから」
表情を変えずに淡々と言われると、まったく理解しがたい状況にも関わらず、ついそういうものかと納得してしまう。
「あぁ、いえ。気にしてません。むしろまじまじと見てしまい、大変申し訳ありません! 少し驚いてしまいまして」
「それはよかった。この子は、ミケというオス猫です。少し前に庭で弱っているのを見つけてから、うちで保護しております。ただ臆病で、こうして逃げ出したらなかなか見つからないのです」
「な、なるほど……」
「アンナ様は、猫はお好きですか?」
「えっと、はい……! 好きですけど」
妹の屋敷にいた頃は、飼い猫の世話係を担当したこともある。
そうでなくても、庭に迷い込んだ猫にはどれだけ癒されたことか。
だが、そんな話を言えるわけもない。
二十代後半とはいえ、私は聖女になったのだ。
あまり使用人だった頃の話をすれば、品格を疑われるわよね、たぶん……。
そのせい、言葉に詰まった。
彼の端正な顔を見ていたら、なおのことだ。これ以上は唾しか、わいてこない。
「あ、あの! こちら、ご挨拶の品でございます」
私なりに機転を効かせたつもりであった。
それに、手土産を渡すタイミングとしても、今はふさわしいはずだ。
小机に置かせてもらっていた、のしつきの化粧箱を抱え、シルヴィオ王子へと渡す。
意図を読み取ってくれたのか彼は屈んで、ミケを一度、床へと降ろした。
すぐに包装を解いて、蓋を開けてくれたのだけれど、
「な、なんだ、これは!」
「きゃ…………」
そこで思いがけないことが起きた。
中から、耳を裂くような音とともに噴き出したのは、白煙だった。
圧縮魔法でも仕掛けられていたのか、それはたちまちに部屋へと充満していく。
煙により視界がだんだん薄らぼけていく最中、私は悟る。
妹・メリッサの仕業に違いない、と。
きちんとした贈り物だと私に思いこませたうえで、はじめから私を貶めるつもりだったようだ。
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