第8話 魅了するイケボのマッチョ
マチルダは元来明るい性格だった。
鍛えれば鍛えるほどついた筋肉は魅力的で男達は彼に憧れた。彼自身の真面目な人柄は老若男女に受け入れられていた。
大きな目に堀の深い顔立ちの彼が微笑めば、女たちも優しかった。男にも女にも信頼され、好かれる。そんな男だったのだ。
あの日までは。
「あの日に何があったの?!」
もったいぶるシーマの言葉に倫は身を乗り出した。
サラの家に戻った一行はジュースを飲んで一息ついていた。マチルダの声を初めて聞いた倫達は、どうして今までしゃべらなかったのかと問い詰めたのだが、シーマが長くなるからとサラの家まで戻って来たのだ。
ちなみに、シュウはエミリオと共にベッドルームでお昼寝タイムだ。サラがついていてくれる。赤子二人の寝顔、プライスレス。
「それはですねぇ、リン様……ふむ。説明するより実演しましょうか。マチルダ」
促されたマチルダの目には迷いが見えた。不安そうである。リンとユーリは話の続きが気になって仕方がない。
「リン様はしっかりしていますが、まだ幼いですし。ユーリも同姓ですし……まあ、少しくらい大丈夫でしょう」
こくり、と頷くとマチルダは倫の横に跪き、口を開いた。
「リン様、きちんと挨拶もせず申し訳ありません。ユーリも、今更だがあの時は手荒な事をして悪かった」
落ち着いた響きを持つ声は、ストン、と倫の体の中で響いた。なんとも心地の良い声に、目を閉じたくなる。そういえばママも、好きな音楽やラジオを聞くときに目を閉じていたっけ……。
「……様!リン様!」
「──はっ?!私、何して?!」
「眠っておられました」
倫を起すと、シーマは椅子に座りなおした。
「リン様の場合は心地よくて眠気を誘ったようですね。ですが、大抵の場合こうなるのです」
シーマが指さした先には、頬を紅潮させてぽーっとした表情を浮かべるユーリの顔があった。これはあれだ。
「こ、恋する乙女……?」
マチルダはユーリの肩を揺らし、覚醒させる。ユーリは、はっとした表情の後、恥ずかしそうに目を伏せた。
「そうなのです。なんやかんやありまして、マチルダの声には不思議な力が不随するようになってしまいました」
「なんやかんやが気になるんだけど」
「とても端的に申し上げますと、私子供の頃から女の子と見間違われるほど美しかったんですよ」
「は、はあ?」
突然始まった自分上げのシーマの言葉に、戸惑いながらも相槌を打つ。横にいるマチルダも、うんうんと頷いている。薄々感じていたが、シーマはナルシストらしい。
「それでですね、サキュバスに気に入れらてしまいまして」
「サキュバス?」
「サキュバスは人を魅了するという特徴を持つモンスターです。知能が高く、見た目も人に寄せることが出来るため、人間社会に溶け込んでいる場合もあります。彼女はリリアと言いまして、とても美しかった。幼かった私の初恋でもあります」
思い出しつつ語るシーマの顔は、なんだか嬉しそうでちょっと笑いそうになる。
「う、うん 」
「リリアは美しかった私を気に入り、連れ去ろうとしました。そこを助けてくれたのがマチルダです。その時に何故かリリアの魅了するという力がマチルダの声に宿ってしまいまして」
「ふむふむ」
「マチルダの声を聞くと、どうしてか皆メロメロになってマチルダに惚れてしまうんです。なので彼は私以外とは極力話をしないようになったというわけです」
「なるほど!でも、じゃあシーマは何故大丈夫なの?私がならないのにユーリがあんな風になったのは何故?」
「私に関しては謎です。ちなみにサラもマチルダと会話できますよ。……ユーリがああなってリン様がならないのはリン様がまだ幼くいらっしゃるからかと。ユーリにはわかりますね?」
「あ……まあ、はい」
ユーリはまた顔を真っ赤にして俯いてしまった。なんとなく、それ以上は聞きにくい雰囲気だ。
「ようはイケボすぎて困ってるって事よね。うーん。出来るならマチルダともお話してみたいしなぁ……」
リンの言葉に、申し訳なさそうにマチルダは肩を竦める。
「声でメロメロ……メロメロ……」
音を聞かなくて言いようにするには、ヘッドフォンでもすればいいだろうか。そうすると肝心なマチルダの声が聞けなくなってしまう。
「うーん……」
考えながら倫は椅子の腕で足を組んだ。マチルダ、シーマ、ユーリが何かいい案があるのかと期待を込めた目で見てくるが、正直何も浮かばない。
「そういえば、そのリリアってどこで何してるの?」
「リリアはあれ以降姿を見ないですねぇ」
「そっかぁ」
とりあえず会って話せばわかってくれるかもしれないのに、世の中そうはうまくいかないものである。
「ふえぇえええん!」
「あ、シュウが泣いちゃった。ごめん、話の続きはまた今度ね!」
慌ててリンがベッドルームに入ると、サラがシュウを宥めるように抱いてくれていた。
「ねーねがいい!」
眠そうな目を擦って、シュウがリンを求める。サラは笑いながら手渡してくれた。
「お姉ちゃんが大好きね」
そう言われれば悪い気はしない。ぎゅうと首に巻き付いてくるシュウの髪が鼻に当たってくすぐったいが、それすら愛おしい。
同時に、何か忘れている気がする。なんだったか。
「あれ、ちょーだい」
「ん?どれどれ?」
「あれー!ちょうちょ!」
「あ」
欲しがったのは壁に立てかけられた伝説の剣(仮)である。剣よりもマチルダのことがきになりすぎてすっかり存在を忘れていた。
リンに降ろしてもらうと、愁は大きな剣の柄を持った。もちろん重くて持ち上げられないから、ずるずると引き摺って歩く。
大きな剣と幼児という組み合わせ、正直めちゃくちゃ可愛いのである。
可愛いのだけれど、今はそれよりも剣をどうするかを考えなければならないだろう。
しかし今は、んしょんしょと剣を運ぶシュウを見て、どうしても頬が緩むリンなのであった。
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