不思議な飴

猫沢

プロローグ/噂

 私は今、人通りの中を歩いている。


 夜が近づいてくる中、なんて事のない飲み屋街で、仕事帰りのサラリーマン達が、自分たちの疲れを癒すためにキンキンに冷えたビールを喉に流し込んでいる。

 そんな光景を見て、つい喉をならしてしまう。これだけ暑い中で、そんな様子を見せられて我慢する方が無理というものだ。しかし、まだ会社に戻ってやらなければならないことがあるため、残念だが休むわけにはいかない。


 会社に戻って、外回りの報告を済ませた。これで、やっと飲みに行ける。…そう思っていたら、同僚の日村さんに声をかけられた。なんでも、仕事の相談にのって欲しいとのこと。あまり気が進まないが、こんな美人に頼られて断るわけにも行かず、彼女と近くのレストランに向かった。


 そして、レストランに着いたのだが、私が一人の時には絶対に来ないような高級店だった。手持ちがないと彼女に伝えると「私が払うから」と言われてしまった。さすがに悪いと伝えると、「相談にのってくれるお礼だから遠慮しないで欲しい」と。これまた気がのらないが、普段なら絶対に来ないような店なので、せっかくだからご馳走になるとしよう。


 私は魚の何かと白ワイン、彼女はローストビーフと赤ワインを注文した。本題の相談について聞いてみると、それは嘘で私を食事に誘うための建前だったと言う。こんな美人にそんな事を言われて嬉しくない訳ではなかったが、私はあまり口が上手ではないので、終始会話が盛り上がったとは言いがたかった。


「誘いにのってくれてありがとう」と別れ際に言われた。美味しいものを奢ってもらえた上に、告白まがいなことまで言われたのだから、私は大分幸せと言えるだろう。不満なんてあるはずがない。


 少し酔いが回ってきたらしく、足が思うように進まなくなってきたので、駅の近くのベンチに腰をかけた。まだまだ夏なので夜だというのに風が暑い。まあ、酔いを覚ますには良いかもしれない。


 そろそろ駅に入ろうと思った時に、隣に女子高生くらいの少女が座ってきた。こんな遅い時間にだ。まだ少し酔っていたのか、もしくはくだらない正義感でも出たか、私は少女に早く帰るようにと話しかけた。


「君、こんな時間に外にいるのは危ないから、早く帰りなさい。親御さんだって心配するだろう」


「ねぇ、おじさんは知ってる?不思議な飴の噂」


 少女は私の注意に耳も持たず、そんな事を言ってきた。おじさんと言われて、少しムッとしてしまったが、それ以上に少女の言う飴が気になった。


「あめ? あめって舐める飴かい?」


「うん、そう。舐めると、一つだけ願いを叶えてくれるんだって」


「まさか、そんな事があるとは思えないかな。そもそも、そんな飴をどこで手に入れるって言うんだい?」


「おじさんが望むなら、どこでも」


「どこでも?」


「うん。望むなら、どこからでもその飴をくれる男のいる場所に行ける」


「へー!不思議なこともあるもんだ。それはそうと、早く帰りなさ…い」


 少し目を離した隙に少女の姿はなくなっていた。立ち去る音もなく、周りに姿もない。まるで、最初からそんな少女などいなかったとでも言うかのように。なんだか不気味なのですぐにその場を離れ駅へ向かう。


 尿意を催したため、駅のトイレに向かった。扉を開けて中に入り、チャックを下げし始める。少し落ち着いた。そして、さっきの少女が言っていた事を思い出す。願いが叶う飴…か。そんなものがあるなら是非とも欲しいものだ。


 出し終わり、扉を開けて外に出ようとした。開けた先に広がる景色は駅の様子ではなく、黒い空間に白い階段があるのみだった。まだ酔っているのかと、顔を叩いてみたり、扉を何度も開け閉めしてみたものの、扉の先の景色が変わることはなかった。ずっとトイレにいるわけにもいかないため、どうやら進むしかないらしい。覚悟を決め、階段を進み始めた。


 どうしてこんなことになったのかを考えてみる。心当たりがあるとすれば先ほどの少女の言っていた、望めばどこからでも行けるという男の場所だろう。願いを叶える飴なんてと思っていたが、こんな事に遭遇している以上、信じてみてもいいかもしれない。


 随分と歩いた気がするが、まだ階段は続いている。…と思ったら、すぐに階段は終わりを迎え、広場のような場所になった。更に先に進むと、椅子に座った体格の良い人物とその近くに木が見える。人物の方は恐らく男で、黒いシルクハットに、黒いスーツともコートとも言えるような服を身に付けている。木の方は、遠目だったのもあって小さく見えたが近づくと大きく、大きな星が描かれたシャツがさもその木が着ているような感じで幹にあり、とても不気味だ。上の方には色とりどりの何かの実がなっている。


「おやおや、ようこそおいでくださいました」


 その人物はまるで地獄から響いてくるような低い声で喋りかけてきた。


「驚いていられますなぁ。まあ、無理もないでしょうな。しかし、ここに来たということはなにか叶えたい願いがあるのでしょう?」


「ああ、噂を聞いて…ここに来た…のか? しかし、今すぐ何か、これを叶えたいというものがあるわけじゃなくて」


「なるほど。何か叶えたいことができた時に飴があれば良いなとお思いになった、と言うことですかな?」


「まあ、そうです。…本当に願いが叶うんですか?」


「ええ。望むならなんでも、叶います」


「噂になっているらしいので、他にも試した人がいるということなんですよね?」


「ええ。すでに数名の方が願いを叶えていらっしゃいます」


「その人達が何を願ったのか、知ってるんですか?」


「ええ。彼らの願い事とそれによる結果、そして彼らの結末まで」


「結末?」


 この人物は、なんとも不穏な事を言う。叶ったかどうかの結果を知っているのはまだ分からないでもないが、結末ってなんだ?


「おや、気になられますか?」


「まあ、その飴を舐めてどうなったのかくらいは…」


「いいでしょう。お話させて頂きます。そこにお座り下さい」


「お座り下さいったって…椅子なんてどこにも…」


 そう言って、周りを見渡した私の後ろに、さっきまでなかったはずの椅子があった。

 何の音もなくその椅子があったので、その場から生えてきたのではないか、なんて馬鹿なことを考えてしまう。いや、こんな場所で常識を考える方が馬鹿なのではないだろうか。そもそも今、私は正気でいられているのだろうか。願いが叶うなんていう飴の話を信じ始めてしまっているし、この場所や目の前の人物を受け入れ始めてしまっている。それもこれもあの少女に会ってから変なことばかりだ。


 …これ以上は、あまり考えない方が良いだろう。この世には、深く知らない方が良いことだってあるのだから。

 とりあえず椅子に座り、話を聞くことにした。


「それでは、お話しましょう。この飴を舐めた者達の願い、結果、結末について」

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