第12話 フレイは絶望した

 ひとしきりフレイの意気込みを聞いてくれた後、ケビンはソファの背にもたれかかった。


「まあ、フレイが楽しいんなら、三年間、王子様の戯言に付き合ってやればいいんじゃないか。リーゼ様は関係なくさ。庶民には一生経験できない体験を可能な限り続けたほうがいいんじゃないの」


 合っていた視線はするりと外された。

 この場所に居座りたいのだと思われたのかもしれない。だけどそれは違うのだ。


「それはそれ、これはこれよ! 閉ざされた中でどう楽しむかを考えた時、今学んでいることって、庶民の生活では絶対学べないことばかりだと気づいただけ。言いなりになるだけなんてつまらないじゃないの。でしょう?」


 そう言って再度こぶしに力を込めれば、ケビンはいつもの笑みを見せた。彼はいつも楽しそうに笑う。

 励まされるように思ったのは、今回だけではない。

 かつての依頼で上手く調査が進まなかったときも思い通りの結果にならなかったときも、彼のおかげで乗り切れたところがある。仕事において一番信用している人物で、仕事の上でだけは誤解されたくない。


「そっか。じゃあそんなフレイに朗報だ。聞いて驚け。実は、リーゼ様のほうも真っ黒王子様の言う通り、どうやら気があるらしいんだ」

「なんですって」


 まんまと驚いた。だってジールの思い込みだとばかり思っていたから。

 嘘か本当かわからない笑顔を張り付けて本音を見せないのだと思っていたら、話した内容は全て事実。そんなことがあるだろうか。


「え、つつつまり、両想いってこと……?」

「だなあ」


 大きく頷くケビンにすら、疑いの目を向けてしまう。

 築いてきた信用も一瞬でどこかへ行ってしまった。信じられるはずのケビンの情報を、心から信じたくないと思ったのは初めてだ。


 ジールが胡散臭いのはひとまず置いておいたとしても、だ。リーゼといえば、自国の王子アレンの婚約者。政略婚だが、だからこそ幼い頃から婚約しており、定期的に交流を深めていると新聞で読んだことがある。その様子が伝えられると大人たちはみんな幸せなニュースだと笑顔になっていたし、幼かったフレイですら王子様とお姫様の物語みたいだと思ったものだ。


(にもかかわらず、リーゼ様は他国の王子と恋仲ですって? いえ、まだ恋仲ではないから悪魔王子が私たちに依頼してるんだったっけ)


 ジールはリーゼを、リーゼはジールを、互いに想い合っている。ではアレンの気持ちはどうなのか。そんなの婚約者リーゼに決まっている。王子の立場でありながら婚約者をないがしろにできるはずがない。

 想いの向きの矢印を頭の中で描きつつ、フレイは愕然とした。見事に面倒くさい関係を築いているではないか。


 フレイはすぐに首を振った。

 考えてみれば元々そういう話だった。が、絶対に嘘だと思っていたからこその衝撃。


 閉じ込められた世界で、授業を受けることにようやく楽しみを見出したところだった。

 調査結果が出て真実が明らかになれば、この生活から解放されるものだと思っていたから気楽に捉えていたところもあったのだ。

 しかし、これでは本当に仕事を請け負うことになってしまう。


 ──つまり、アレン王子を誘惑する、という無理難題をやらなくてはいけないということだ。


「え、待って。ねえ、待って。ちょっと落ち着いて!」

「フレイの方だろ」

「ええ、そう、落ち着くのは私、わかってるわ。大丈夫。えっとケビン……あなた、どこでこの話聞いてきたのよ」

「どこって……リーゼ様のお屋敷さ」

「そんなのわかってるわ。誰に、聞いてきたのかって話よ」


 ケビンはもたれていた身体を起こす。


「働いてる使用人たちだ。結構、有名な話らしい。度々ジール王子様から送られてくる手紙にメイドさんが騒ぐくらいには」

「な、なるほど?」


 決定打にはかろうじてなっていないような気もするが、屋敷の人間が二人の仲を許容している状況ということ。

 アレン王子を誘惑しなければならない事態に近づいてしまった。フレイは食い下がる。


「でも、手紙の内容まではわからないわけでしょう。それが恋文でなければあの黒王子様の言うことは嘘だったということよね」


 そうであればフレイにとってどんなにいいだろう。

 しかしケビンは簡単に期待を裏切ってくれる。


「ま、確かに内容まではわからなかったが、リーゼ様はその手紙を楽しみに待っておられるようだったし、読むときもすごく嬉しそうにしておられるそうだし、何より空気が違うんだ。アレン王子様と会うときと、ジール王子様との手紙を読むときの」

「え?」

「俺は下っ端だし、近くで見たわけじゃあない。だけどな、感じるんだよ。屋敷の雰囲気というか、リーゼ様のご様子というか、もちろん使用人たちの態度もだけど」

「ええと、つまり?」


 頭ではわかっているはずだというのに、受け止められない。

 縋るような目を向けたが、ケビンは気の毒そうに眉を下げた。


「諦めろ、というこった。できるとは思わないし、本当に可哀想だとは思うけどな、誘惑する練習をしたほうがいい。どうやるのかは知らんけど」


 そうしてケビンにさえ、ひどく弱々しい応援をされてしまった。フレイの目の前はただ真っ暗になった。

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