第7話 依頼する理由
「本当に行くんか、フレイ」
「ここまできて何言ってんの」
十歳も上の男を叱咤し、ぐっと拳に力を入れた。
目の前には大きくそびえ立つ宮殿。トランブール国のための宮殿である。
固く閉ざされた門は、同盟国からの滞在者に万一のことがあってはならないと門兵が配備されていた。
(ええ? あの門兵に言えばいいのかしら)
名乗れば全てがわかる。
騙されていたのか、まさかの本物なのか。
本物だった場合、受けたくもない依頼を受けなければいけない気がするから、門前払いしてほしいと願っていたのだが。
「あの、こんにちは。私、フレイと申しまして」
そっと差し出した名刺をひったくると、門兵は慌てて開門した。
それ以上説明を求められることもなく、むしろ口を挟む隙さえ与えられず、問答無用で整えられた芝が出迎えてくれた。
嫌な予想が的中し、どうやら逃げられないようである。あの自称王子が、本物の王子であると納得しなければならないようだった。
フレイもケビンもこんな場所にはとんと縁がない。半泣きになりながら、入口の扉まで歩くことになった。
ドアノッカーを鳴らせば待ち構えていたかのように扉が開いた。
傍に控えていた執事の案内のもと、通されたのは応接室。
ケビンと目配せをしつつふかふかの椅子に座って待った。
「やあやあ、来てくれて嬉しいよ」
緊張感をぶち壊すような陽気な声かけに苛立ちを覚えたのは、フレイだけではなかったはずだ。
声の主を見やると、やはり工房で見た人物と同一人物だ。
「どうかな、信じてもらえそうかな。俺がジール本人だと」
「……できることなら信じたくはありませんでしたけれど」
「ははっ、いいね。同年代の女性から苦言を言われるのはとても新鮮だ」
ジールは相変わらずにやにやと口元を緩めていた。沸き起こる不穏な気持ちを、ぐっと耐えた。
「今日は詳しいお話を聞きに参りました。お話、いただけるのですよね?」
目の前のテーブルには女性が好みそうなお菓子の数々。有名なものなのかどうかもわからないが、おそらくフレイのためにと準備してくれたものだろう。
周到な接待を受け、すぐに終わる話ではないのだろうと察した。
「うーん? 商売人というのはなかなかせっかちなものなのかな。ま、どうせ話さなくては始まらない。ああ、これは好きな時にどうぞ」
ざっと手で準備されたお菓子や紅茶を指してから、ジールは話し始めた。
「依頼したいことは昨日も言ったが、この国の王子アレンを誘惑してほしいんだ」
「……それですが、まさか私が、王子様を色仕掛けで誑かすという?」
ずっと意味を図りかねていた。そう捉えてしまっても仕方のない言い回しだが、本当かと正気を疑わずにはいられない。
(庶民がどうやって王子様を誑かすっていうのよ!)
もちろん面識もなければ会う手段もない。そもそも庶民に誑かされてくれるとは到底思えなかった。
それに意味も分からない。誘惑するというのは”真実の愛”の仕事には当てはまらない。自国の王子を騙す計画に加担して、果たして無事でいられるのだろうか。
ジールはわかっているとでも言いたげににこりと笑って、それから困ったように眉を下げた。
「君もおそらく知っているとは思うけど、アレンには婚約者がいてね。リーゼ嬢のことだ」
話が変わったことを疑問に思いながら、知っていたフレイはこくりと頷いた。
有名な話だ。幼い頃からの婚約者。行事には二人一緒に参加して仲睦まじい姿を見せるらしい。遠目で見たことがあるが、お似合いだったと記憶している。
「彼女がさ、俺の好きな人なんだよね」
殴られたような衝撃に思わず喉から変な音が出た。
慌ててカップに手を伸ばして誤魔化そうとして、失敗する。
震える手はカップを揺らし、見事にテーブルを紅茶まみれにした。
「きゃあぁあ、あの、申し訳ございません……!」
「ははっ、いいさいいさ。予想以上で面白い」
怒ることも不愉快そうにすることもなく、ジールは片付けを指示していた。
使用人が片付けている間、ジールは何食わぬ顔で茶を啜る。もちろん話は中断した。
居た堪れないのはフレイとケビンである。依頼のこともこぼした紅茶のことも、心臓に負担がかかっている。
だから使用人が下がったとき、緊張が解けたように大きく肩を揺らした。
「好きだからと言って! お二人の仲を裂こうとするのは違う、のではないかと……思うのですが……」
おそらくそのためのフレイたち。誑かせという無理難題はそのためであろう。
フレイにできるわけがない。立場的にも技術的にも体面的にも精神的にも、できるわけがなかった。
「そう、その通りだ。俺もね、ちゃんと君たちのことを調べたのさ。仕事を選んでいるだろう? 成功率を上げるために、成功しそうな人間を選んでいる。トラブルにならないように相手を見て、調べて、ほんの一押し手伝いをすることで”真実の愛”へと発展しそうな仕事を受けているだろう。作られた”真実の愛”だけどな」
そこまで知っていて、なぜ無理難題を吹っ掛けるのか。
その理由はすぐに聞かされた。
「俺は、俺たちは、ちゃんと想い合っている。ただ、少し立場に邪魔されているだけで。何かきっかけさえあれば結ばれることができる。君たちがこれまでしてきた仕事とそう大差はないはずだ」
真摯な顔は嘘を吐いているようには見えなかった。
けれどジールは王子である。駆け引きも得意だろうと思われた。
(大嘘吐きかもしれないし、ただの妄言かもしれない。信用は、できないわ)
フレイがそう思うこともジールには想定内だった。
背を椅子に預け、真っ直ぐにフレイを見る。
「だから、いつもと同じように仕事をしてもらいたい。事前の調査もやってくれて構わない。むしろ喜んで協力しようじゃないか。必要なものがあるなら言ってくれ。なんだって手配しよう」
それは、自分ではどうにもできないと思い悩む、他の依頼人たちと同じ目だった。
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