第6話 上手い話はもちろん危険
「こ、これは……つい出来心と言いますか!」
握った紙のしわを伸ばす。
いけないいけないとそっとテーブルへ返却しようとして、ジールの「あれ?」という声に手を止めた。
「もしかして一度受けてくれた仕事を反故にするつもりかな」
「はい?」
「そうだよね。快く引き受けてくれたんだもの。まさか責任の欠片もなく仕事を放り出すことはしないよね、フレイ嬢」
笑った形のまま鋭くなった目は、一つも笑ってはいなかった。
(う! 私のバカ! なんでつい掴んじゃったの、あの紙)
王族からの仕事を受けないことと、一度受けた仕事を取りやめることでは重みが違う。そもそも前者も少ないが、後者の方が明らかに反感を買う。それは王族に限らず、だ。
受けるとは口に出してはいないものの、どうやら紙を掴んだ時点で仕事を受けたと見なされたようである。おそらくそれが狙いで、きっともう何を言っても覆らない。
その証拠とばかりにジールの目は再び笑みを取り戻していた。
「実を言うとだね、これは王家に関わることだから、口外はできない。そのお金には口止め料も入っているから、そのつもりで頼むよ」
紙を握りしめてしまったばかりに、後戻りはできないようである。
自身の現金さに舌打ちしたい気持ちだが、王子の前。努めて従順そうな笑顔を見せた。
「……どのようなお話なのでしょう。私も、こちらの彼も口は堅いのでその点についてはお約束できるかと思いますが、正直なところきちんと仕事をこなせるかどうかが不安でして」
「そうだな、説明もなしに悪かった。実はね、王子を誘惑してほしいんだ」
さらりと聞こえた内容は、あまりに聞き取りたくないものだった。
自分の耳がおかしくなったのだと、滑稽な希望を持って首を傾げた。
「え?」
「王子……この国の王子アレンを誘惑してほしいんだよ」
フレイもケビンも、ただただジールを見つめ返す。ケビンの反応を見るに、残念ながら耳は正常であるようだ。
対面するにやにやと笑う顔は、まるで揶揄っているかのようにこちらの反応を楽しんでいた。
「ごじょうだん、を」
「あれ。冗談を言っているように見える? 困ったな」
(そう見えないから困ってる!)
仮にも同盟国の(自称)王子。
他国の王子を誑かせとは、正気の沙汰と思えない。
「今日の目的は言質を取ることだったからね。達成できたし、ひとまず帰ることにしよう。こんな場所で話せる内容ではないんだ。トランブールの屋敷はわかる? 明日、そこでもう一度会おう。詳しい話をしたい。もちろん交通費は出すさ」
同盟国であるからこそ、トランブールからの使者や客人が滞在するための宮殿があった。
王族が留まっても心地よく過ごせるよう、王宮のような場所だと聞いたことがある。
たしかにその場所でなら、ジールの腹心だけを集められる。内緒話にはうってつけに違いなかった。
「ほら、俺が王子だっていう確証はないだろう? 君の不安も解消させたいんだ」
だから出向け、と。
もっともな言い分ではあり、そもそも庶民のフレイに逃げ場はなかった。
何もかもが不安の中、小さく頭を垂れた。
「……はい、かしこまりました。それではまた明日、伺わせていただきます」
交通費とばかりに金貨を一枚、フレイに握らせて、ジールは馬車に乗り込み帰っていった。
馬車に乗り込むときの顔といったら、引き攣るフレイとは真逆の、爽やかな好青年そのものだった。
工房内に戻ったフレイとケビンは、そっと椅子に腰を下ろした。
呆然と虚空を見つめ、思いがけず奪われた気力をかき集めた。
「……行くの? やっぱ」
「行かないわけには行かないでしょ。お金までもらっちゃったし。それに彼の言う通り、彼が本物かどうか知る必要があるもの」
宮殿に赴いて、問題なくお目通りが叶うなら。
それは先ほどの彼が、本物の王子ジールであるということだ。
「門前払いならそれはそれでよかったと思いましょう。何をしたかったのかわからないけれど、損をしたわけではないから」
「……本物だったら?」
そんなわけがないと思いたいけれど、全く言い切れない。金貨を握らせ宮殿に招くほどだ。ただの詐欺にしては手が込みすぎている。
嫌な予感を覚えたフレイは大きく眉を顰め、溜息を吐いた。
「…………困ったことになるわね」
断れない依頼の内容が、よりによって自国の王子アレンを誑かすことだ。
口外できないと脅すほどのそれを知った──望んでもいないのに知らされてしまったフレイたちを野放しにはしてくれないだろう。だからこそわざと依頼内容を少し聞かせていったに違いないのだ。
工房も名前も知られている。どうにでもできる、と脅しに近いものをちらつかせ、逃げ道を塞ぐために。
「今日を、もう一度、やり直せないかしら」
そうできたなら、丸一日外出している。そしてしばらく旅行にでも出掛けてやる。怪しい依頼を受けることのないように、逃げてやるのに。
もらった金貨をテーブルでピンと弾くと、くるくると転がった。二人それを見つめながら明日を憂いた。
上手い話には裏がある。
それを身に染みて感じたフレイだった。
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