魔骸転身②

    * * *



 ルカは言葉を失っていた。

 まるで悪魔のような姿になった影浸が右手を振るった。

 ただそれだけで……凄まじい衝撃波による爆発が起きた。

 そこからは、一方的だった。

 いかなる攻撃も通じず、弱点であったはずの後頭部への奇襲はもはや無意味。

 為す術なく、ツクヨが、キリカが、アイシャが、そして……ダイキが。

 槍によって串刺しにされた。


「皆ァァァァ!!」


 ルカは泣き叫んだ。


「あ、あぁ……アアアアアアア!!」


 決して負けまいと勇んでいたルカの心は、ここで打ち砕けた。

 ダイキたちの体には、またしても霊装封じの『影膜』で覆われ、スズナによる回復ができずにいた。

 死んでしまう。今度こそ本当に、ダイキたちが死んでしまう。

 死神の濃密な気配を感じ取り、ルカはむせび泣いた。


「……ははは。これが……これが真なる闇の力か! 素晴らしい! 素晴らしいぞ! 何を躊躇っていたのか俺は! どうせヒトなど捨てたというのに、心を失うことを恐れていたことがアホらしい!」


 影浸は月に向かって高らかに嗤った。

 その姿を見て、邪心母も「ははは」と乾いた笑いを浮かべた。


「ああ、影浸……本当に、あなたの心は、闇に捧げたことで消えてしまったのね……」


 一筋の涙が邪心母の頬を濡らす。


「ありがとう、影浸。私のために、そこまでしてくれて。あなたがそこまでしたんですもの。私も覚悟を決めるわ」

「ぐっ!?」


 ルカは苦痛の呻きを上げる。

 進行が止まっていたはずの融合が、再び活発化した。

 ルカの体が急速に、邪心母に呑み込まれていく。


「あ、ああああっ!!」


 自分が失われ、別の何かと混ざり合っていく感触に、ルカは本能的に恐怖を覚える。


「無駄にしないわ影浸。あなたの覚悟を決して。私は必ず……野望ユメを叶える」


 もはや一切の余念もなく、邪心母は目的を完遂すべく動き始めた。

 悪夢は、まだ終わらない。



    * * *



「……がふっ」


 ぼやける視界。

 それでも、皆が瀕死の重傷を負っていることだけはわかっていた。

 一瞬だった。

 一瞬で、ツクヨさんも、キリカも、アイシャも、為す術なく倒された。


『ダイくん! キリちゃん! アイシャちゃん! ツクヨさん! いや……いやああっ!!』

『お願い! 皆の傷を癒して! お願いぃ!!』


 レンとスズナちゃんの錯乱する声が届く。

 浄耀鐘の鐘の音がずっと鳴り響いているが『影膜』のせいでまったく回復する素振りがない。


「あ……」


 熔さんから貰った御札が懐から落ちる。

 光を放っていた御札がゆっくり消失する。

 ……霊体相手でも物理攻撃が通り、ダメージ量を増幅させる御札。

 その恩恵が、とうとう無くなってしまった。


「ぐっ!?」


 体中に走る激痛。

 刺し貫かれた槍が、内部でトゲ状に広がっていくのを感じる。

 ……俺は死ぬのか? こんなところで。

 ルカを、助けることもできずに。


 黒い影が、俺の眼前に降り立つ。


「影、浸……」


 もはや面影など一切ない異形となった影浸。

 その姿を見て湧くのは恐怖ではなく、不思議な悲壮感だった。

 影浸、お前……そんな姿になってまで、邪心母を守ろうっていうのか?


「よくここまでやった、黒野大輝。お前には最大の敬意を持って、俺が引導を渡す」


 敬意だって?

 なんて薄っぺらい言葉だろう。

 そんな姿になる前のほうが、ずっと言葉に重みがあったぞ?

 ああ、そうか。

 お前、本当に人間をやめちまったんだな。

 身も心も、化け物になっちまったのか。


「ふざ、けるなよッ」


 ヒトを捨てたヤツなんかに、殺されてたまるか!

 皆を、死なせてたまるか!

 ……だが俺に何ができる?

 霊力も持たない俺に。


 また、失うのか?

 無力であることを突きつけられて、また大切なものを奪われるのか?


(清香さん……クロノスケ……)


 助けたかった存在。守りたかった存在の顔が頭に浮かぶ。

 俺にもっと力があれば、何か違う結果があったかもしれない。

 なのに……。

 どうしてだ?

 どうして俺には、悲劇を変える力がない!


 ……おい、神様よぉ!

 勝手にこんな世界に転生させたなら、ひとつくらい特別な力を寄越せってんだよ!

 お約束事だろ! それくらい守りやがれ!


「あ……あああああああ!!!」

「大したものだ。まだ無駄に叫ぶ活力があるか」


 影浸が右手を巨大な鎌に変える。

 アレで俺の首を刎ねるつもりか。

 俺の次は……ツクヨさんか、キリカか、アイシャか……。

 そしてルカは、邪心母に取り込まれて……。


「……させ、ねえ」


 そんな絶望的な未来……変えてやる!

 だから神様よ……力をくれ!

 俺に、この残酷な世界の運命を変える力を!

 できねえとは言わせねえぞ!

 居るのはわかってるんだからな!


 俺をこんなクソッタレなホラー漫画の世界に転生させた責任を……取りやがれ!!








 ──受け入れる覚悟はあるか?


 ふと、白い空間に俺は立っていた。

 その目の前に黒い影が立っている。

 影浸ではない。

 もっと巨大な、そしてもっと恐ろしい姿をしたナニカだった。

 全身を鎧のような皮膚で覆い、頭部から二本の角を生やし、白い眼光を向けている。

 それはまるで……伝承に聞く、あらゆる童話に登場する、とある妖怪を彷彿とさせた。


 ──運命を受け入れる覚悟が、お前にはあるか?


 黒い影は俺に問う。

 いったい何の話か、俺にはさっぱりわからない。

 だが……これだけはわかる。

 ここが、俺にとって運命の分かれ道だと。

 なぜか直感的に、そうわかる。


 ──お前は力を欲した。そしてお前には、それを叶えるための力がある。只人を超越するための力が。だが同時にそれは……ヒトから外れることを意味する。


 黒い影は重苦しく語る。

 力を得ることへの代償を。


 ──力を得れば、たちまちに始まる。運命の歯車が回り出す。それでもお前は望むか? ヒトを超える力を。


「……それで、皆を守れるのか?」


 黒い影は頷く。


「そうか。だったら迷う理由なんてないだろ」


 ひょっとしたら、これは悪魔との契約かもしれない。

 だがそれでも、大切な人たちを失うこと以上に怖いものなんてないから。

 だから俺は……。


「受け入れるさ。どんな運命だろうと」


 俺の答えを聞いて、黒い影は──穏やかに微笑んだ。

 そんな気がした。


 ──やはり変わらないか。何度、転生しても。


「え?」


 謎めいた言葉を残して、影は消えた。

 代わりに、四つの光が目の前で瞬く。


 ──では、鍵を外そう。解き放て。運命を切り拓く力を。


 赤い光が。

 金色の光が。

 翡翠色の光が。

 青色の光が。

 俺の傍に寄り添う。

 ……知っている。

 俺は、この温もりを覚えている。


「お前たちは……」


 ワン、っと赤い光が吠える。


『決めたんだね? ぼくたちは、ずっと待っていたよ!』


 頬に涙が伝う。

 そうか。お前たちは、ずっと……。


『行こう! 一緒に戦おうよ! ■■……いや──ダイキ!』


 懐かしい名前を訂正して、彼は呼んでくれる。

 俺の今世の名前を。

 ああ、間違いない。

 来てくれたのか。

 俺のために、この世界に相応しい姿となって。

 だったら俺は、その思いに応えなくちゃな。


「ああ、行こう。待たせたな、お前たち」


 四つの光が、一斉に輝きを増す。

 感じる。

 俺の中で、カチリと錠が開いていくのを。


 変わる。

 俺の体が。

 魂の在り方すらも。


「そうか……これが!」


 込み上がる力の奔流を、一気に解き放った。





    * * *



「うおおおおおおお!!」

「なにっ!?」


 不思議なことが起こった。

 影浸が大鎌でダイキの首を刎ねようとしたその瞬間……。

 ダイキの体から赤い炎がほとばしったのである。

 その炎は影浸の拘束を解き、槍もろとも消失させた。

 炎の余波は止まず、ツクヨたちにかけられた拘束すらも一瞬で消滅させた。


『っ!? スズちゃん! 浄耀鐘を!』

『はい!』


 スズナの浄耀鐘によって、全員が瀕死の重傷から回復する。


「バ、バカな!」


 このありえない事態に影浸は動転する。

 動揺は意識を取り戻した女性陣にも広がる。


「な、何が起こったの!?」

「あれは……クロノ様の体が、赤く光って!? いったいあの御方の身に何が!?」

「まさか……ついに目覚めたのか!」


 ツクヨだけが、すぐに察した。

 ダイキの中に眠る『力』が、ついに覚醒したのだと。


「──ありがとう」


 赤い炎を纏いながら、ダイキは感涙と共に微笑む。


「ずっと、傍にいてくれたんだな?」


 それは、ダイキにとって前世の家族たち。

 種族を越えた友情を育んだ動物たち。

 その絆が、次元を越えて、世界を越えて、いまこそひとつの力の結晶として解き放たれる。

 その名を、ダイキは告げる。

 霊獣として姿を変えた、愛犬の名を。


「霊獣解放──火花ヒバナ!!」

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