炎の一撃
* * *
(なぜだ! なぜ殺しきれない!)
影浸の困惑は深まるばかりだった。
確実に相手を始末するため、武器の手数を増やした。
影浸の黒衣の先端は、あたかもタコの触手のごとく八つに分かれていた。
鎌だけでなく、斧、刀、槍、あらゆる刃物に変えて、肉眼でも追い切れない速度でソレらをふるっていた。
これほどの数だ。とうに八つ裂きにしているはずだった。
ましてや、相手がただの人間ともなれば。
だというのに……
「うおおおおおお!!」
黒野大輝はいまだ健在であった。
それどころか複数の刃の猛攻を捌きながら、確実に影浸を追い詰めてすらいた。
そう、かの少年は確実に狙っている。
影浸の唯一の弱点を……。
──荒鷲礫
「くっ!」
三発目の鉄球が影浸の頭部を狙う。
影浸はすかさず武器を盾にして防ぐ。
二重に重ねた斧と刀が粉々に砕けるのを見て、影浸は背筋に悪寒が走った。
いくら鉄球とはいえ、霊力で編まれた武装を軽々と破壊するとは。
ありえない光景を前に、影浸は歯噛みした。
(……化け物め!)
こんなことは、いままでになかった。
霊力も持たない人間に、ここまで畏怖の感情をいだくなど。
(何なのだ……お前はいったい何なんだ! 黒野大輝!)
人間を辞め、生ける屍として、常人を超越した力を得たというのに、なぜこのような思いをしなければならないのか。
あってはならない。
ただの人間に、こんな屈辱を浴びせられるなど!
「……残り三発だ」
ふと、ダイキがそう呟き、影浸は訝しむ。
「……なに?」
「鷲瞳丸は残り三発だ。この残りの数で……お前を確実に仕留める、影浸」
「っ!?」
余裕なのか、または影浸にプレッシャーを与えるためか、ダイキは自らの手札をわざわざ明かした。
いや、偽りの数を告げてこちらの不意を突く作戦かもしれない。
どちらにせよ……。
「先に貴様を始末してしまえば関係ない!」
手段は選んではいられない。
狩らねばこちらが狩られる。
影浸は両手の指を複雑に動かし、霊術を起動する印を結ぶ。
──影結び
影浸の黒衣が伸びて、ダイキの影に向かう。
最初にルカとダイキを拘束した霊術であった。
捕縛さえしてしまえば、形勢はこちらに傾く。
「……遅い」
「なっ!?」
足下に迫る影にダイキはいち早く気づき、一瞬で回避された。
「……殺気が丸出しでわかりやすかったぞ? 最初に俺を捕らえたときと比べて随分と必死だな、影浸」
「……小僧!」
──疾黒ノ槍
怒りのままに影浸は大技は放つ。
無数の槍をダイキの傍で生成し、串刺しにしようとするも……やはり躱される。
「……だんだんと読めてきたぞ。お前の思考がな」
「っ!?」
あたかも予知能力のごとく、相手の動きを先読みしたダイキは、すでに影浸の死角に狙いを定めていた。
──荒鷲礫
「おおおお!!」
影浸は即座に空間転移を使い、鉄球の射線から離脱した。
四発目の弾丸からも、何とか逃げ切る。
「……あと、二発」
「くっ……」
影浸の体はよろめいた。
(まずい。いまのでかなり霊力を消耗した……)
影浸に残された霊力はもう僅かだった。
恐らく空間転移を使えるのは、あと一回。
撃てる攻撃技も限られてくる。
完全回復には数時間を要する。
(こんな……俺が……ただの人間に!)
負けるわけにはいかない。
自分は役目を果たさなければならない。
それだけが……己に許された存在意義なのだから。
影浸は勝負を決めるべく、最後の策に出た。
──
霊装の効果を封じる技を、影浸は……自らに使った。
「なに!?」
ダイキは目を見張る。
影浸の周りにドーム状の影が発生する。
まるで繭のように、本体である影浸を覆い隠した。
「テメェ! きたねえぞ!」
ダイキは影の壁を殴りつけるも、霊装の効果を無効にされているため、大した破壊力を発揮できなかった。
黒い膜がヒビ割れる様子は微塵もない。
「……っ!? うおっ!」
しばらく影の膜を殴っていると、壁面から鋭いトゲが発生し、ダイキは慌てて後方に下がった。
「くそっ……これじゃ手出しできねえ」
有効な手段を封じられ、ダイキは舌打ちをした。
弱点の箇所が見抜かれているのならば……もはや全体を覆い隠せばいい。
影浸はもう恥もプライドも捨て、確実に勝つ手段に出た。
(終わりだ、黒野大輝)
影浸の視覚は封じられていたが、広範囲技である『潜影刃』を地上と上空に放てば、黒野大輝は事切れる。
逃げ場など与えない。
確実に仕留めるため、最大威力を放とうとした……その瞬間であった。
「なに!?」
影浸を覆い隠す『影膜』が、とつぜん溶けて爛れ落ちていった。
隙間から熱い空気が入り込んでくる。
「……まさか!」
辺り一面は、炎の海となっていた。
上空を見ると、無数の火の玉が豪雨のごとく落下している。
こんな真似ができるのは、ひとりしかいない。
「……ダイキ……ごほっ……これで、決めろ……」
『影膜』に包まれながら槍で串刺しにされた紫波ツクヨが、血を吐き出しながら呟く。
瀕死寸前の状態でありながら、彼女は最後の力を振り絞り、大技を放ったのだった。
「おのれ! 死に損ないが!」
影浸は怒り心頭になりながら、激しい動揺に襲われた。
(あの女、正気か!? 弟子ごと焼き殺す気なのか!?)
周囲は完全に紅蓮の炎によって包囲され、逃げ場が無い。
これでは『影膜』を張っても炎によって焼き尽くされる。
空中に逃げても炎の雨が邪魔で墜落してしまうだろう。
だが、それはツクヨにとって弟子であるはずのダイキも危険に曝すことになる。
それを承知で、この炎の海を造り上げたというのか。
「……お前なら、やれる……オレは……信じて、いるぞ……」
影浸には知る由もない。
これが、弟子である少年を勝利に導くための最後の秘策であることを。
ダイキならば、この炎の海の中でも生き抜く──その固い信頼があってこそ、できたことだと。
そんな師の思いを、ダイキはしかと受け取った。
「師匠……俺、やります」
炎の中で、ダイキは瞳に覚悟の光を宿した。
「レン。スズナちゃん。最後に、思いきり無茶をやらかす。だから……任せてもいいか?」
ダイキは少女たちに告げる。
影浸に勝つための、最後の作戦を。
『ダイくん……うん、任せて!』
『はい。スズナ、必ずダイキさんの信頼にお応えします!』
ダイキは頷き、炎の中で、影浸と対峙する。
「終わりにしようぜ、影浸」
「黒野、大輝ッ!」
少年と黒衣の男が、再び衝突する。
(ルカ……必ず助ける!)
(邪心母……お前は俺が守る!)
それぞれの思いを胸に秘めた男同士の拳と刃が、炎を逆巻かせる。
* * *
「ダイキ……頑張って! 負けないで!」
「影浸……何をしているの! 早く倒して!」
炎の中で鍔迫り合う男たちを、ルカは見守り、邪心母は勝ちを急かす。
水の怪異が壁を張っているため、炎の怒濤が彼女たちのもとに届くことはなかったが……ダイキと影浸による闘気が肌をひりつかせる。
「なぜなの? なぜ勝てないの!? 影浸、あなたは……無敵なのに!」
「無敵だろうと関係ない。殴れる相手なら……殴れることがわかっているなら、ダイキは誰にも負けない!」
「黙りなさい!」
生意気な口を利く小娘の頬を邪心母は叩く。
しかし、ルカに動じる様子はない。
最愛の少年の勝利を信じ切った瞳が、邪心母を射貫く。
「ダイキは、必ず勝つ。私も、負けない。あなたたちの目的が叶うことはない!」
「くっ……」
邪心母は悔しさで歯噛みする。
なぜだ? なぜここまで追い詰めておきながら、この若者たちの心は折れない。
これほど力の差を見せつけられながら、なぜ挑んでこれるのか。
(影浸が、負ける? そんなはずない! だって彼は……私を必ず守ってくれた! いつだって、どんな相手だろうと!)
影浸は「お前を守る」と、そう言ってくれたのだ。
だから、負けるはずがない。
彼が誓いを違えたことなど、一度だってなかったのだから。
「勝って……勝って影浸! そんな奴に負けないで!」
捻り出された懇願の声は、どこか悲鳴染みていた。
* * *
炎の隙間をくぐり抜けながら、影浸は死角からの攻撃を警戒した。
ダイキの言葉が真実ならば……残された弾丸は残り二発。
確実に当てるため、チャンスは見逃さないはずだ。
一切の油断も許されない。
だが厄介なことに、炎が壁となって動きどころか、視界すらも妨害される。
「くっ!」
立て続けに落下してくる炎の雨が火柱を生む。
気づけば影浸は炎の壁に囲まれていた。
ダイキがどこにいるのか、完全に捕捉できなくなった。
だが、それは向こうも同じはず……。
「はっ!?」
影浸は気づいた。自分の傍に、目の模様が描かれた御札が浮いていることを。
影浸は即座に御札を断ち斬った。
恐らく、あの御札はこちらの位置をダイキに報せるための霊装。
もしそうならば、次の弾丸は……。
「おおおお!」
影浸は背後を振り返り、大鎌を構えた。
読み通り、鉄球が飛んできた。
これで、五発目……ダイキに残された鉄球は、あとひとつ!
(防がれることを予想して、奴は次の動きに移っているはずだ!)
この戦いを通してダイキの移動スピードが人外染みていることは、すでに承知している。
ダイキはすでに動いているはずだ。
最後の一発を撃つために!
(つまり次に狙うのは……振り向いた俺の背後!)
弾丸が飛んできた方向とは真逆の位置。
そこに視線を移すと……影浸は見た。
炎の壁を通して、うっすらと。
鉄球を構える人影が。
「そこだ!」
──疾黒ノ槍
人影が槍によって串刺しにされる。
(仕留めた!)
読み通り、ダイキはすでに影浸の背後に回り、次弾を放とうとしていた。
だが影浸のほうが動きは速かった。
これで、決着はついた。
終わってみれば、何とも呆気ない。
所詮は人間は人間でしかなかったということか。
だが賞賛しよう。
霊力も無しで、ここまで自分を追い詰めたことを。
勇気ある若者の骸を目に焼き付けるべく、炎の向こうを見ると……。
パラパラと、人影が紙のように崩れた。
「……は?」
それは、人影ではなかった。
無数の御札……天眼札が密集して、人の形を取っていた。
黒い槍は、虚しくそこに浮いているだけであった。
呆然と佇む影浸の背後に。
炎に包まれたダイキが現れた。
──餓狼拳
ダイキは拳をふるった。
影浸の後頭部にある、弱点に向けて。
* * *
無数の天眼札を影浸にぶつけたとき、奇妙なことが起きた。
何もないはずの場所に、まるで見えない障害物があるかのように御札がつっかかったのである。
無数の御札は、その見えない障害物の形状に従って、たわんだ。
レンにはそれが……ボールのような球状に見えた。
そしてそれは、影浸の後頭部にあった。
そこで、レンは確信した。
影浸の秘密を。
「影は『光』がないと生まれない。そして影は同じ方向にしか向かない。影浸そのものが影であるなら、自由に動き回れるのはなぜ? それは……アイツの背後に月明かりとは別の『光』があるから」
レンは口ずさむ。
影浸が極端に庇っていた、その箇所について。
「影が自由に方向を変えるには、同じように方向を変える『光』が必要になる。だからソレは常に浮いている。奴の後頭部で……目には見えない光を発しながら!」
疑似太陽。
それは何とも小さな光の球体。
それこそが影浸の分身を生み出していたものであり、そして……。
「それこそが……あなたの本体なんでしょ! 影浸!」
レンはしかと見た。
炎に覆われた鋼鉄の拳が、影浸の後頭部にある見えない球体を打ち砕いたのを。
空間に球状のヒビ割れが生じ、光が漏れ出ていく瞬間を。
* * *
「ぐわアアアアアア!!!!?」
黒衣の男が渦のように歪み、徐々に消滅していく。
絶叫は黒衣の男からではなく……ヒビ割れた球体から発せられていた。
「やっぱりレンの言うとおり、ソレがお前の本体だったんだな、影浸?」
全身を炎に焼かれ、見るも無惨な火傷を負ったダイキ。
スズナの浄耀鐘によって徐々に傷を癒しながら、ヒビ割れる球体をジッと見つめる。
「お前は弾丸の攻撃ばかりを警戒していたようだが……俺は言ったはずだぜ?」
──お前に、とことん味わわせてやるよ……俺の拳の重みをなァ!
「俺は最初から、この拳で殴る気でいたんだよ」
そして、その拳を打ち込むために、ダイキは無茶をした。
五発目の鷲瞳丸を投げた時点で、そのまま真っ直ぐに疾走し、影浸に向かった。
レンが天眼札を集めて、人影のダミーを造り、影浸はそちらに気を取られる。
その隙を狙い、スズナに浄耀鐘による治癒をかけてもらいながら……炎の壁に飛び込んだ。
すべては、影浸の弱点を確実に撃ち抜くために。
「お前の負けだ、影浸」
「ルオオオォオオオ!?」
球体が弾け、光の奔流と共に長髪の男が現れ、地面に倒れ込んだ。
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