影浸を討て!


 レンはやれることを全部やってくれた。

 だったら俺も、やれることをすべて出しきって、影浸を倒す。

 師匠たちから渡された霊装……残る二つを使うときだ。


「来い、『鷲瞳丸しゅうどうがん』」


 掛け声と同時に、俺の腰元で術式が展開される。

 璃絵さんが編んだ術式を参考にしたとのことで、たとえ霊力が無くとも俺の声ひとつで起動する仕組みになっている。

 ベルトにつけられた装飾……六つの金属の玉が付いた金具が翡翠色に光を発する。

 六つの玉のうち、ひとつがベルトから離れ、俺の手元に移動。

 複雑な模様で編まれた術式が起動し、小さな玉が形を変える。


 それは鳥類の翼が模様として描かれた翡翠色の鉄球だった。

 ズッシリと重みが掌に満ちる。

 これこそが狙撃を得意とするカザネ師匠の愛用の霊装『鷲瞳丸』だ。


「行くぞ」


 鷲瞳丸を右手で握りしめ、瞬影で敵の背後に移動する。


 ──荒鷲礫あらわしのつぶて


 砲丸投のように渾身の投球を影浸の背後に向けて放つ。


「小賢しい!」


 影浸はすぐに反応し、黒衣を盾にして鉄球を防いだ。

 ……そう、防いだ。

 攻撃を無効化できるはずの影浸が。

 ある一点に向けた攻撃に過剰に反応した。


 ……なるほど。レンの言う通りだ。

 露骨に庇ってやがるな。

 


「……貴様ッ!」


 影浸は忌々しげな声を上げながら俺を射貫く。

 そこには怒りと焦りが滲んでいるように見えた。


「さては……すでに気づいているな!」

「さあ、どうかな」


 影浸の言葉で確信が持てた。

 レン、お前の見立ては間違っていない。

 影浸の急所は、確実ににある。

 ならば後は狙い撃つだけだ。


「残弾は、あと五発……」


 新たな鷲瞳丸を右手に用意する。

 手に握った物体を弾丸のごとく投擲する技である荒鷲礫あらわしのつぶて

 これまでは弾丸となる石や鉄片を現地で調達する必要があったが、カザネ師匠のおかげで、すぐに次弾を用意できるようになった。

 だがそれにも限りがある。

 俺に与えられた鷲瞳丸は六つ。

 使えるのはあと五発だ。

 それまでに……決める!


 再び瞬影を使い、影浸の死角に入り込む。


「何度も同じ手を喰うか!」


 ──潜影刃


 広範囲に放たれる影の刃。

 どこに移動しようと、俺の逃げ場を無くして、斬り刻む気か。

 ……だが、想定内だ。


「来い、『撤鮫棍てっこうこん』」


 掛け声と同時に、左側の腰元に付けたウォレットチェーンが青色に光る。

 鎖は外れ、俺の左手に移動し、術式が起動して形態変化する。

 チェーンは濃紺色の棍棒と化した。

 中国武術で使われる細長い棍棒は、優に俺の身長を越えた長さだ。


「はっ!」


 右手に握った鷲瞳丸を一旦、上空に向けて投げる。

 空いた手で撤鮫棍を握り、両手で構える。


「おりゃああ!!」

「何っ!?」


 津波のように押し寄せる潜影刃に向かって、俺は前進した。

 明らかな自殺行為に影浸は驚愕している。

 無論、死ぬつもりの突進ではない。


「ふっ!」


 撤鮫棍の先端を地面に突き刺し、体重をかける。


「おおおお!!」


 足を地面から離す。

 棒高跳びの要領で、反発力を使い上空に跳躍。

 そのまま空中で反転し、手元の撤鮫棍を再び構える。

 広範囲に飛ぶ影の刃は、俺も武器も断ち斬ることなく、空振りで終わった。


「貴様ッ!」


 ──黒雨陣


 影浸は空中の俺に向けて無数の針を飛ばす。

 空中ならば身動きが取れず、串刺しにできると思っているのだろう。

 だが甘い。


「おおおおお!!」


 手元の撤鮫棍を渦のように回転させる。


 ──旋陣刻渦せんじんこっか


 即席の壁となった撤鮫棍が黒い針の群れを蹴散らしていく。


「バ、バカな!?」


 針をすべてを打ち払ったところで、上空に投げた鷲瞳丸が俺の目元まで落ちてくる。


「喰らいやがれ!」


 バットで野球ボールを打つように、撤鮫棍で鷲瞳丸を殴りつけ、弾丸として放つ。


 撤鮫棍を授けてくれたウズエ師匠曰く、棍棒はすべての武器の中において最も万能だという。

 先端を突き出せば槍となり、相手の攻撃を捌く盾となり、地面や壁に突き刺せば、移動用の足場となる。

 矛から盾へ。翼となり、大地となる。

 まさに水のごとき変幻自在の武装。

 ウズエ師匠は状況に応じて撤鮫棍の先端に剣や三叉の穂を装着して長槍にしているが、俺には無いほうが扱いやすいだろうということで、棍棒の状態で渡してくれた。

 事実、こちらのほうが俺には馴染む。

 ウズエ師匠の鬼のような修行のおかげで手足のように扱える。


「ちょこざいな!」


 第二の投擲も影浸は大鎌で断ち斬った。

 ならば追撃するのみ。


「せいやああああ!!」


 撤鮫棍の先端を槍のごとく前に向け、落下のエネルギーを加えた突きを放つ。


「くっ!」


 すぐに影浸は黒衣を翼のように翻し、突きの攻撃を防いだ。

 ……また防いだ。

 やっぱり、そこが弱点なんだな、影浸?


「残弾は、あと四つ……」

「おのれ……黒野大輝!」

「どうした影浸? 随分と余裕が無くなったじゃないか」


 俺が接近戦しか能の無いやつだと思ったか?

 紫波家の修行を舐めるなよ。

 こちとらあらゆる戦況に対応できるように、みっちりと仕込まれているんだ。


「そんなに飛び道具と中距離から伸びる攻撃が怖いか? 案外と小心者だな、お前」

「……ほざくなよ、小僧」


 怒気を滲ませて、影浸は黒衣を凶悪な武器へと変えていく。


「どうやら背後で貴様に入れ知恵をしている輩がいるようだな。だがそんなものは無意味だと教えてやろう。貴様を細切れにしてな!」


 斬撃の嵐が襲い来る。

 躊躇うな。怖じけるな。挫けるな。

 必ず影浸を倒し、ルカを助けるんだ!


「おおおおおお!!」


 撤鮫棍を振り回し、影浸の斬撃を捌いていく。

 神経を研ぎ澄ませろ!

 少しでも気を抜けば即死!

 狙え! 見つけろ! 奴の隙を!

 奴の急所に、トドメの一撃をぶち込むために!



    * * *



「そ、そんな……あんな霊力も無いガキが、影浸と渡り合ってるですって!?」


 ダイキと影浸のつばぜり合いを、邪心母は驚愕の表情で見ていた。

 ダイキの身体能力が常人を凌駕しているのは邪心母にとって既知のことだったが……熟練の殺し屋である影浸相手にも引けを取らない戦いぶりに、動揺を隠せなかった。


「な、何をしているのよ影浸! そんな奴、簡単に殺せるでしょ!? 相手は霊術も使えないただの人間なのよ!? ただの、人間……」


 邪心母は己の発言に疑念をいだく。

 本当にそうだろうか?

 いくら才能に溢れ、恵まれた肉体の持ち主で、理解を超えた修行を積んだとしても、あそこまで人間離れした武力を得ることが可能なのだろうか?


「黒野大輝……あなた、何者なのよ?」


 ダイキへの興味や好奇心はいまや薄れ、純粋な薄気味の悪さが邪心母を震わせる。


「どうしてよ……どうして諦めないのよ!? こんなにも絶望的な状況で、どうして前を向けるのよ!?」

「そんなの簡単だよ。ダイキが、ここにいる誰よりも強いからだよ」


 当惑する邪心母に向けて、ルカが力強く言い放つ。

 そんなルカの発言に邪心母は一瞬、面食らったが、すぐに鼻で笑った。


「強い? あんな怪異に怯えるビビリくんが強いですって?」

「そうだよ。ダイキは誰よりも恐怖を知っている。だからこそ、誰よりも優しくて、強くなれるの」


 邪心母の挑発的な嘲りにも、ルカは揺れることなく言葉を続けた。


「死ぬことへの怖さ。失うことへの怖さ。ダイキは、その怖さを誰よりも感じ取って、いつも怯えていた。理不尽に命や幸せを奪われることに怯えて、そして……怒ってきた」


 在りし日の少年の姿を思い浮かべて、ルカは語る。


「ダイキは自分の命を奪われること以上に、他人の命が怪異に弄ばれることを恐れて、怒る人なの。だからこそ……たとえ怖くても、ダイキは戦えるの。理不尽な運命を覆すために」


 そして、ダイキはいまこのときも、ルカのために命をかけて戦っている。

 決して、諦めることなく。


「ダイキが諦めない限り、私だって諦めない! このままあなたに取り込まれてなんかやらない!」

「……はっ! 口なら何とでも言えるわ。霊術も霊装も封じられたあなたに何ができるって言うのよ? ほら、融合が完了するまであと少しよ。そんな生意気な考えもだんだんとできなくなっていって、私とひとつになるのよ!」

「……本当にそうかな?」

「……何ですって?」

「あなたの心は、私を拒み始めているようだけど?」

「っ!?」


 不敵に笑うルカの発言に、邪心母は苦虫をかみつぶしたような表情で苛立つ。

 事実、融合の進行はいつのまにか緩やかになっていた。

 通常ならば、とっくにルカを取り込んでいるはずだった。

 それはつまり……ルカの指摘通り、邪心母は無意識下で融合を躊躇っていることを意味していた。

 自らの心に土足で踏み込む、忌々しい過去を深掘りしようとする生意気な小娘を、遠ざけたいという気持ちが生じていた。


「あなたの傍に、ダイキみたいな人がいれば、何か変わったのかな?」

「……やめなさい」

「私は恵まれていたんだね。ダイキや皆と会えなかったら、私もあなたたちみたいになっていたかもしれない」

「黙りなさいよ!」


 ルカの細首を邪心母は握りしめた。

 しかしルカは変わらず、まっすぐに邪心母に赤色の瞳を向けた。


「私たちは……負けない。心の弱さに甘えて、人を傷つけることしかできない、あなたたちみたいな奴らに」


 少女の瞳から意志の火が消えることはなかった。

 邪心母にとって、それは何とも気にくわないものだった。

 融合の進行は、より遅れていった。

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